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 この国は、物語に毒され過ぎている。

 「毒」の筆頭といえば、傾国の美女アクイレギアの物語だ。


 古の大帝国を滅ぼした魔女・アクイレギアは、華やかで、奔放で、おぞましいほどに美しく――そして何者をも愛さない、冷酷な女であったという。

 民衆が魔女を打ち倒した後、三日三晩燃え続けたと言われる巨大な城は、伝説に名を残すばかりでその所在を明らかにしない。魔女と呼ばれた古城の主が本当に呪術の使い手であったのかも、今となっては定かではない。すべてはお伽噺に過ぎないのだ。


しかし、かつて地上の楽園とも呼ばれ繁栄を誇った帝国の末路は、その後の動乱を生き残った人々の言葉で今へと伝えられ、教訓として語られるようになった。


カーレンバルト王家に伝わる宝剣は、魔女最愛の弟子から、帝国最盛期の皇帝に捧げられたとされるものだ。

アクイレギアの心臓と呼ばれる巨大な宝石があしらわれたそれを、呪われた剣と言う者もいれば、帝国の継承者たる証だと主張する者もいたけれど、何にせよその存在が物語の「毒」を強めていることには違いない。


こうして、華やかなものを悪と捉え、美しいものを断罪する風習は、いつしか法や宗教として人々の心を支配し、実体のない王が如くこの国に君臨するようになった。

少し他より綺麗な赤ん坊として生まれてしまっただけなのに、かつて美貌の魔女に苦しめられた先人の記憶とやらは、何の力もないレグルスを魔女の名代に仕立てあげてしまったのだ。――そうしてそれが、彼の「罪」だった。


所謂「なかったこと」にされるのは何もレグルスに限った話ではない。

これまでにも数多の花や生物が、魔女の使いというレッテルを貼られ消えていった。

今日もきっと法廷では「鼻がいくらか低いから無罪」だの「指の長さが理想的過ぎるから有罪」だのと、黴の生えた魔女の肖像と被告を見比べながら、くだらない裁判が行われているのだろう。


それを是とするこの国自体、レグルスとしてはどうかしていると思うし、何より個人的に、余計なことだけ言って王宮を去ったらしい預言者とやらは殴りたい。



ベッドに転がって、彼は考えを巡らせていた。

通された部屋は意外なほど清潔に整えられていたが、古ぼけた暖炉には隙間なく石が詰めてあったし、大体これ以上高い所へ登っても仕方がない。唯一の窓に恐る恐る近づいて眩暈を覚えたのが夕方のことだ。


せめて見るなら城の庭の方が馴染みもあったし目に優しかったろうに、あろうことか窓の外に広がっていたのは、春なのに雪を被ったままの山脈と底の見えない深い谷だった。

王子でなくなったレグルスに与えられた部屋は、王宮の外れにそびえ立つ塔の最上階だったのである。


一体いつから存在しているかも分からない用途不明の塔など取り壊せばいいのにと思っていたけれど、なるほど使い道は一応予定されていたらしい。ともかくこの高さでは、自力での脱出はまず不可能だろう。大した嫌がらせだ。


(つまらない預言なんか無ければ、国外追放辺りで丸く収まったんだろうけど)


 本当に殺されずに済んだだけ父の情に感謝だが、これでは真綿で首を絞められているのとそう変わらない。考えれば考えるほど「預言者」が憎らしくもなるというものだ。何の言葉を預かったどこの誰だか知らないが、おかげさまで文字通り八方塞がりではないか。


 逃げる気だと弟の前で格好つけて宣言したくせに、一日目にして既に投げ出したくなっている。情けないぞと自分を叱責したところで、良い方法が思いつくわけでもない。


 苛々と目を閉じて、レグルスは耳を澄ました。

風の唸る音以外には何も聞こえない。そろそろ暗くなり始めた窓の外から、いつもなら虫の声でも聞こえてくるものだが、木々ですら豆粒大に見えるこの高さまでそんな音が届くはずもなかった。


今夜は眠ってしまおうかと思っても、あまりに静かすぎるとかえって落ち着かないものらしい。

もう寝返りも何度目だろう。

じわじわと襲い来る焦燥感に思わず息を吐いたところで、鼠の鳴く声が聞こえたような気がした。


「……?」


 薄目を開けてテーブルを見ると、声の主らしき白い塊が目に入る。

 一体どこから入ってきたのかは知らないが、食べ物の匂いでも嗅ぎ付けてきたのだろうか。そう言えば、少し前に運ばれてきた夕食には手を付けていなかった。


(……おい)


 いくら幽閉の身とはいえ、城にいながら鼠に齧られたパンを食べるなんてプライドが許さない。


 何となく気分が乗らないし当て付けに食べずにおいてやろう、などと子供じみた抵抗に出ようとしていたのはこの際忘れることにして、レグルスは勢いよく身を起こした。


「てめぇ、そこのネズミ!」


 突然現れた巨大な陰に、「ぢゅっ!」と小さく悲鳴を上げた塊はテーブルから飛び降りる。そのまま慌てて逃げ出そうとしたけれど、か細い尻尾を踏みつけられていては動けまい。

 じたばた暴れる鼠の首根っこを掴んで摘み上げ、レグルスはにんまり笑った。


「俺のパン盗み食いしようなんて、いい度胸じゃねえか、チビ」

「……ちい」


 鼠はしょんぼりとこちらを見上げたように見えたが、当然言葉が返ってくるはずもなく。


 いくら暇だからって鼠に話しかけてどうする。

 そう思い直すのに、時間はかからなかった。


「……何やってんだ俺」


 ばかばかしい、と鼠を放り出し、再びベッドに寝転がる。

 断崖絶壁の上という最悪の立地条件と重量感ばっちりの鉄扉を信用して、部屋の前に見張りがついていなかったのがせめてもの幸運か。鼠と会話を試みる光景など他人に見られたら憤死するところだった。


 鼠はといえば、せっかく放してやったのに、まだベッドの周辺をちょこまかしているようだ。やかましいことこの上ない。


「ほら、もう、これやるから出て行けよ。城の連中に叩き潰されないようにな」


 机の上のパンをちぎって投げてやると、鼠は目を輝かせ、ちい、と一つ鳴いた。礼のつもりだろうか。

 妙に人間臭い鼠だな、とレグルスは首を傾げる。そういえば余所でよく見る鼠より幾分小柄な割に、触った感触はふわふわと柔らかだった。鼠を飼う奇特な人間が城にいるとは思えないが、人馴れし過ぎている感はある。


 独りになった自分のために、誰かが鼠に芸を仕込んで送り込んでくれたのだろうか――ふとそんなことも考えたが、すぐに取り消した。自慢じゃないが、困った王子だと煙たがられこそすれ、そこまで自分に肩入れしてくれる人間が城にいたとは思えない。


 優等生のロビンがいれば皆も満足だろうし、世継ぎにだって困らないのだ。存在意義の薄さなんて今に始まったことではないけれど、気にかけてくれる人に心当たりがなさすぎるのも、それはそれで悲しいものがある。

 沈み込む気分を誤魔化そうと、レグルスは無理やり顔を上げた。鼠は暢気に青い目を瞬かせて、パンのかけらをどこから齧ろうか悩んでいるように見える。


「……でかすぎたか? ごめんな」

「ちー」


 首を傾げたのは、気にするなということだろうか。

 しばらく悩んで、鼠はパンのかけらを更に小さく千切った。のろまな割には器用なようだ。パンを一口大にして口元へ運ぶ様子は、前足というより既に手の域に達している。


 つられてレグルスもパンに手を伸ばし、一口齧りついた。小麦の甘さがじんわり沁みて、そういえば空腹だったのだと思い出す。

 冷めたスープは塩気ばかり強く感じたけれど、どうやら鼠の舌にはぴったりだったようだ。残ったひとすくい分をスプーンに乗せて与えたら、あっという間にたいらげてしまった。

 空っぽのスプーンにしがみ付いて離れない鼠を膝の上に落とし、レグルスは苦笑した。


「食い意地張ってんなあ」

「ちい……」


 鼠は恥ずかしげに顔を伏せたかと思えば、今度は優雅に淑女風の礼をして見せる。

 今更しおらしくしたって無駄だろうに、乙女心とかいうやつだろうか。……ああ、こいつ雌か。等々。どんどん行動が鼠離れしていく白鼠を見ているうち、レグルスなんかこの鼠に比べれば至って普通のヒトではないかという気がしてくるから不思議だ。


「……ん?」


 自分の思考に疑問を持って、レグルスは眉を寄せた。


 いや。

 不思議だ、ではない。


「……なあ。お前さ」


 あまりにも自然に打ち解けていたけれど、相手は鼠のはずだ。鼠がパンに礼を言ったりお辞儀をしたり、そもそも人語を解すわけがない。

 本当にそんな鼠がいるのなら、レグルスなんて紛れもなくただの人間だ。そう考えるのに不思議なことなど一つもないのだ。


 レグルスは息をのんで、恐る恐る問いかける。


「さっきから、もしかして、……俺の言ってること分かってる?」


 果たして鼠は、レグルスの顔をじっと見つめ。


「ちい!」


 大きく頷いた。


 そんな馬鹿な。

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