第13話





「下手くそ、そこは自分で曲げてから筐体に合わるんだ。……ほら、そこのパーツにはこっちの基板。……あぁそんな付け方じゃ可動部が限定されてしまうだろうが。やり直し」


 雑然とした整備室の一角で、依舞樹に指示を飛ばすヒナの声が聞こえる。

 いい加減声に棘が混ざっているのは、疲労が溜まり始めているからだろう。かくいう律自身も、そろそろ会話をするのが面倒になるぐらいには無我の境地だ。


 あれから一週間。


 とりあえず軽微な被害の教習機をヒナと二人で全力で修復し、残りの無傷な筐体も含めて修正プログラムを入れることで今週の講義は乗り切った。

 城ヶ崎の予想通り、宮坂は後処理に奔走しているようで今日の講義は自習という丸投げ具合。アシスタントで課題の無い律とヒナは、丁度良いのでこの時間を修復作業に充てさせてもらったが、勿論まだまだ終わらない。

 特に戦闘になった筐体は破損が著しく、各パーツの調達からしなければならなかったのだ。


 ようやく昨日、一部のオーダー品が届き始めたので、講義終了後もそのまま残って作業を続けているというところ。

 何だかんだ言いながらも、恭祐や依舞樹、奈央、そして御子柴までもが手伝ってくれているのだ。


「え、でも流石に肘をここまで曲げねーっしょ。これで十分じゃねーの?」


 ハードデザイナーの本領発揮とも言える、迷いないヒナの手元を覗き込みながら依舞樹が疑問を投げかけている。


 まずはどうしても物理的な修復をしないと始まらないので、ハード専攻のヒナと依舞樹が中心になって筐体を組み直しているのだが、基本を習得し始めたばかりの依舞樹はコテンパンだ。

 先程からヒナに容赦なくリトライさせられていて、それでもめげずに頑張っている。

 むしろめげそうなのはヒナの方だ。いつかその手に持っているスパナが依舞樹の後頭部に飛んでいく気がしてならない。


「筐体まで人体の枠に嵌めるな、この運動音痴」

「えー、こんなに曲げることあんの? それって凄くね?」

「いいから手を動かせ。……気になるならそこの暇そうなリンカーに聞くといい」

「それもそーか。なーなー牧さん、こんな動きすることあんの? 雑技団なの?」

「なんだよ雑技団って……。まぁ可動部は大きいにこしたことねーよ。運動前の柔軟で怪我が減る、みたいに、壊れるようなダメージは軽減できるぜ。……てかヒナちゃーん。俺そろそろケーブル持つ係、飽きたんですけど」


「恭祐は他に使えない」


「…………」


「……ちょっとっ! 誰かフォローぷりーず!」


 数種類のケーブルを持ったまま情けない声を出す恭祐を慰める者はいない。

 聞こえなかったかのように奈央までが無言を決め込んでいることが、ヒナの言葉の明確さを如実に示しているだろう。御子柴に至っては最初から会話に加わる気は無いようだが。


 ヒナの小さい背中から若干の怒気が浮かび上がっている気がするが、見なかったことにして律も自身の手元に集中する。

 ハードが専門ではないとはいえ、この中では十分に熟練者だ。

 細かい作業を延々と続けながらのプログラム調整は、慣れてるとはいえ辟易するのは仕方ないだろう。


「うわ、ここってこんなパーツから自作してんの? この基板ももしかしてヒナちゃんの自作? すげー配線……。ねーねー、これって何のセンサー? あ、取れ――ぐっ……」

「………………恭祐、そこのトランジスタ入れてるケース取って」

「……………………あい、ヒナちゃん様。……ちなみにそこの依舞樹、大丈夫?」


 頭を抱え込みながら声も無く蹲っている依舞樹。

 その後方には、ヒナが愛用しているスパナが転がっている。

 ――そして、依舞樹が握り締めているのは、基板から取れたトランジスタ。


 いつもの無表情に明らかに怒気を滲ませたヒナは、迫力ある目力のまま恭祐からケースを受け取り、荒々しく新しいトランジスタのピンを整え、はんだを手にする。――と、その手がピタリと止まり、じーっと溶けるはんだを見つめるヒナ。


「……はんだって、ろうそくみたいだと思わないか?」

「ひぃぃい! はんだを使ってろうそくプレイ!? 恐ろしすぎまする、ヒナちゃん様……」


 土下座する勢いの恭祐にフンッと鼻息一つで返事をしたヒナ。

 少し面白い事を思いついたような目をしているが、深くツッコむ元気はない。


 騒々しい三人とは対照的に、ソフト側担当の律、奈央、御子柴は黙々と作業を続けていた。


「……一条」


 殆ど修復の完了した筐体から、幾本も出たケーブルの先。数台のノートPCを行き来しながら作業をしていた御子柴が、画面から目を離さないままに律を呼んだ。

 丁寧に扱われているのが分かる皺一つない制服の背中はピンと伸び、時折目を細めて画面を見る表情は真剣だ。


「結局まだあのハッキング事件の犯人は見つかっていないのか?」


 てっきり修復に関することかと思っていたので虚を突かれる。

 御子柴の正面で別のPCを操作していた奈央も、その細面を上げた。


「調査が完了したのですか?」


 事件についてはセキュリティチームに主導権があり、各調査の進展などは公開されていない。

 内容が内容だけに、恐らく今後も生徒達に公開されることは無いだろうが、少しでも関わってしまったからには顛末を知りたいものだろう。


 律自身も全ての詳細を知るわけではないが、ログの調査結果や、城ヶ崎や宮坂から聞き及んだところだけを掻い摘んで説明する。


「んーとね、最初に直立停止した三台もハッキングされてたよ。強制切断からコントロールを奪われたことで、こっちからのコマンドが拒否されていたんだ。それを回収に行った恭祐達四台のうち三台もハックされたのは知ってる通り。なんで恭祐の筐体が無事だったかというと、ハッカーが侵入経路にしていたセキュリティホールを、偶然にも俺が見つけて対策していたから」


「……その対策した処理が、吉野さんの言っていた、起動シーケンスの差、か」


「そういうこと。で、他にも中央のATRA本社側のネットワークに侵入形跡があった。たぶんこっちが本命だろうね。陽動と時間稼ぎにあんな乗っ取りが行われた線が濃厚だけど、結局犯人までは辿り着けてない」


 ドライバーをくるくると回しながら思考する。


 派手なハッキング。その裏の本命は本社のネットワーク。

 そこにはATRAの研究データは元より、吸収合併したアルバテルの機密情報も含まれている。

 ただの企業スパイか、もしくは俗に言うアルバテル派の残党か。

 ただの学生である自分には、企業間の抗争なんて興味も無いのだが、ATRA学園に属する身としては無関係とも言い切れないのが辛いところ。


 一つ言えることは、教習機にセキュリティホールを埋め込めて、訓練場内のローカルネットワークにアクセスする経路を持っていた人間がいる、ということだ。

 犯人か、その協力者に、ここのATRA学園内部を自由に動ける者がいるのだ。


 ATRAは規模が大きい。この学園内で、もしくは本社側の人間の中で誰が怪しいか、なんて簡単に推測出来るものはない。

 今のところ侵入された形跡はあったが、データの流出形跡は幸いにも無かった。ということは、恐らく次がある。

 相手の狙いが何らかのデータであった場合、またアクションを起こしてくるだろう。


「……嫌だな、めんどくさい……」

「声に出てるぞ」


 御子柴の冷静な声を聞き流しながら手元でくるくる回るドライバーを見つめる。

 その向こうには、細かい仕切りの付いたケースに入っているたくさんのパーツ。

 更にその向こうには、いずれかの四肢を取り外した教習機が何体もドックに固定されている。


「…………」

「……律。ドライバーを回す軸が間違っている。どうせ回すなら先端にネジを付けて回せ」

「ですよねー……」


 いくら筐体が好きでこの学校にいるとはいえ、ひたすら教習機を直し続けるのは根気がいる作業だ。

 既にこの一週間、空いた時間は全て教習機の修復と、セキュリティチームからの依頼でログの調査にあてていた。どうせ筐体漬けになるなら、新しい技術を使った革新的な筐体に時間を使いたい。――とはここにいる全員が思っているだろう。


 仕方ない、頑張るか。


 伸びたままの依舞樹の上に、基板とすずメッキ線を無造作に放り投げたヒナは、無言のままに鬼気迫る勢いではんだ付けを始めている。

 普段、意味の分からない奴が真剣に作業していると、それだけでよく分からない圧力を感じるものだ。


 各々一旦会話をやめ作業を再開するも、しかし結局、一時間もしないうちに集中力は途切れた。


「あー……後頭部痛い……腹減った……」

「もう十九時ですものね」

「りっちゃーん、メシどうすんの? 食堂って二十時までっしょー?」


 たんこぶが出来ているらしい後頭部をさすりながら腹の具合を訴える依舞樹をきっかけに、ゆるゆると全員が手を止めて顔を上げる。


 白い人工灯で照らされた整備室内は、外に繋がる窓が無いので時間の経過に気付きにくい。

 いつの間にこんな時間に……と、思いつつ立ち上がって伸びをした律。

 午前中より明らかに大きくなったパーツの塊に、小さな達成感を覚える。


「今日はこのぐらいで終わろうか。これはそのまま置いといていいし」


 片付けろと言われても簡単には片付かないだろう室内を見渡しながら言う。

 そろそろ研究室の見学期間で、整備室を使う学生が非常に少なくなるのを幸いに、一角を占拠する許可を既に貰っているのだ。


 わーい、と床に転がる恭祐と依舞樹。その二人を避けるように、ヒナが出来上がったパーツをラックに避難させている。

 作業台に置いた数台のPCを操作していた奈央と御子柴も、手を止めて伸びをした。


「じゃあ一条、僕はこれで。完了した作業はテストシートを見てくれ」

「了解。凄い助かったよ、ありがとう」

「お、御子柴クン帰っちゃうの? 一緒にメシ食わねー?」

「部屋でコーディング中のプログラムの続きがしたいんだ。……吉野さん、帰るようなら女子寮まで送りますが」

「いえ、私も食堂に寄ってから帰りますのでお気遣いなく」

「そうですか……。じゃあ。また手が必要なら言ってくれ」


 どこか残念そうな顔の御子柴に、忙しいところありがとー、とお礼を言って見送る。

 セキュリティ錠のついた白い扉が開き、外の無機質な廊下に御子柴の背中が消えて行った。


 ――と思ったら、すぐに再び扉が開く。


 何か忘れ物だろうか、と全員の視線が開いた扉に注がれた、が。


「あれー、一年生じゃん。どうしたの?」


 入ってきたのは栗色の髪の小柄な男子生徒。

 着たおされている、くすんだ色のツナギを着て、両手には紙袋を下げている。


「あ、青木先輩! こんばんわっす、居残りっす」

「と言っても、もう帰るとこなんですけどねー」


 慌てて起き上がった依舞樹と、上体を起こしただけの恭祐が答えた。


 青木と言えば、第四研究室のハード専攻にそんなメンバーがいた筈だ、と律は曖昧な記憶を辿る。

 あまり他の所属員まで把握していないので面識は無いが、学生闘技会などがあれば担当筐体と共に名前が出てくるので、字面だけ知っているということは良くある話。


 キョロキョロと整備室内を見渡した青木。

 一瞬、目が合った気がしたが、それはすぐに逸らされて恭祐達に向く。


「そっか、居残りお疲れー。僕は荷物が届く予定だから受け取りだけ。ちょっとお邪魔するねー……あ、きたきた」


「ちわーす、金井製作所でーす。オーダー品の納品に来ましたー」


 快活な挨拶の声に続いて、台車を押した男子生徒が姿を見せた。

 金井製作所、とロゴの入った帽子を被った男子生徒を、青木が整備室内へと誘導していく。


「金井くん、いつもありがとーね」

「こちらこそご贔屓にあざーっす!」

「今日って結構多いんだね。他の研究室のもあるの?」

「いやー、何か先週、宮坂講師から特急オプションのオーダー品が突然割り込んだんすよー……って……」


 金井と呼ばれた男子生徒が、青木と雑談しながら段ボールを下ろす途中、何かに気付いたようにこちらを見て固まった。


「あ、フェアリー君」

「そのあだ名は止めて差し上げろ」


 ピっと指を差す依舞樹の手を叩き落とした恭祐。

 それを聞いて律も思い出す。

 耳についた大量のピアスと、帽子に隠れて見えないがアレは……。


「個性的な残念ヘアーのヤンキー・金井ではないか。ご苦労ご苦労」

「残念じゃねーよ! おしゃれパーマだよ、目ぇ見開いてもっかい見ろ!」

「あ、今日は帽子で押しつぶされてヘタってる」

「更にワカメじゃないか。大事故か?」


 正直すぎる依舞樹とヒナの感想に、ぐわーっと髪の毛を掻き乱す金井。

 そろそろこの二人に全力で挑むのは諦めた方がいいと思う。


「あれ、もう知り合いなんだ」

「いや、知り合いっつーか……まさかコイツ等が……いやでもそうか、ツナギ着てたか……」

「廊下で因縁つけられたんです、青木先輩助けてください」

「あははは、それでか! 金井君、実家の製作所を名乗ってる時以外は、基本的にチンピラだもんねー! 普通科を牛耳ってるんでしょ?」

「チンピラってなんっすか! もー、特急発注のせいで、ここ一週間は散々親父にこき使われたんすよー。追加料金貰うっすよー?」


 味方がいないと察したらしい金井が、脱力したように段ボールにしなだれかかる。

 そして笑う周囲に控えめなガンを飛ばしながら開封し、出てきたパーツと発注書のリストを照らし合わせ始めた。


 初対面の印象が強すぎて意外だが、どうも第四研究室や宮坂御用達のパーツ製作所の息子らしい。普通科とは言っていたが、勿体ないぐらいに慣れた手付きでオーダー品の仕上がり具合を説明している。


「はい。第四宛はこれで全部っす。これが宮坂講師宛なんすけど、青木さんが代理受け取りでいいんすよね?」

「うん、ここに置いといてって言われてるから、受領のサインしとくね。一応中身確認しときたいんだけど……」

「了解っす。えーっと、これは腕パーツだと思うんすけど、既存の鋳型じゃ設計書のオーダー通りにいかなかったんで、ここの部分は全部プレスしてます。で、このチタンフレームには、宮坂講師から指定のあったセンサ系の拡張ボードと、極小サイズのサーボモータを取り付けてます。あ、いつも通り配線とかはしてませんよ。このセットが7つと――」


「あ」


「……あ?」


 周囲の会話をさらっと聞き流しながら片付けをしていた律が、唐突に声を上げて金井を見つめた。

 それに反応した金井も、口を半開きのまま見つめ返す。


「その宮坂宛のパーツ、こっちのオーダー品だ」


 聞き流し過ぎて反応が遅れたが、宮坂講師宛で一週間前の割り込み品なら、教習機の修復用パーツだろう。宮坂に必要なオーダー品をリストで送りつけていたのだが、未だ届いていない大部分のパーツが今日届く予定になっていた。


「そうそう、これこれ。腕のメインフレームが無くって、こっちの修復が進められなかったんだよね。助かったー」


 金井から段ボールを受け取り、何個かのパーツを取り出して確認していく。

 教習機の設計書は元々データベースに保存されていたので、それに一部の改善点を加えたパーツをオーダーしていたのだ。

 ボードやサーボモータなども指定のものだし、希望通りの納品に満足する。


「ヒナ、これ。そこの1~3までがこれだからそっち置いといて。こっちは4~7の脚部に使うから後で仮設しよう」

「2のショルダーは無いのか? あれの配線が一番大変だから早めに着手したい」

「えーっと、これだ。残りは別口で宮坂に頼んでるけど……まだ届いてないか。無線モジュールなら研究室に余ってたから、それ使わせてもらって……」


 届いたパーツを仕分けして渡しながら、今後の修復予定を話し合う。

 ヒナは既に単位を取っているからいいとして、律自身は宮坂にこの講義の単位を握られている身だ。下手に手を抜けば簡単にバレる。

 せっかく奈央や御子柴というマンパワーも確保出来ているのだから、このチャンスにさっさと終わらせてしまいたい。


 などとパーツを眺めながら考えていると――。


「――そんなことしてる暇があるなら、第六の筐体をどうにかすればいいのに」


 刺々しい言葉が、和やかな空気を凍らせる。


 先程まで笑顔で会話をしていたはずの青木が、納品リストを無表情に見つめたまま口を開いたのだ。

 男にしては童顔な愛らしさが、一瞬で冷徹な印象に変わる。


「せめて闘技会に出れるぐらいのものを作ってから、講師の手伝いでも何でもしてろよ。何の為に第六にいるんだか。他の所属員に迷惑だと思わないのかな」


 まるで独り言のような風体で決してこちらを見ない。しかし確実に律を批判しているのが分かる内容に、誰も相槌を打てない状況。

 青木の正面にいた金井も、不穏な空気の中でどういう顔をしたらいいか分からないのか、変顔をしたまま息を潜めている。


「じゃあ金井君、僕のところの分だけは持っていくから、残りはそっちの人たちに説明しといて」

「え……あ、はいっス……」


 別人のように笑顔がないまま金井に向けて指示を出した青木は、小さな段ボールを片手に抱えて足早に出口へと歩いていく。


「萩原先輩が勿体ない」


 最後にチラリと律を見てそう呟いた青木は、そのまま誰の反応を確認するわけでもなく、白い無機質な廊下へと出て行った。


 整備室内に残った全員は微妙な表情のまま、扉がオートロックされるまでを凝視した後、たっぷり時間を取ってから視線を合わせた。


 そしてヒナが口を開く。


「……ふむ。萩原ファンだったか」

「そこ!?」

「要は、萩原を闘技会で勝たせてやれということだろう」

「それは黒井さんに言ってよ! てかあの人、出た試合には勝ってるじゃん。……登録筐体が足らなくて、団体戦の時に棄権することが多いだけで……」


 これが第六の、ひいては律にも関係のある最大の問題点なのだろうが、萩原の勝率には影響がない。……という逃避。


 第六研究室の要とも言われている副室長、リンカー・萩原依久のファンは多い。

 黒井がデザイン・調整し、所属員の見嶋を筆頭とするプログラマーが協力した、登録筐体名『FY03』の専属リンカーだ。依久という名前から誤解されやすいが、とても珍しい女性リンカーの一人である。


 筐体自体の完成度の高さと、萩原の粘り強く泥臭い戦闘スタイルで、勝率としては非常に高い成績を残している。背が高く、切りっぱなしのショートカットを無造作にかき上げる仕草などから、男装の麗人のようだと女性を中心にファンが多い。

 せめて名前ぐらいは女の子らしくしたらいいのにと、黒井が勝手に『いくちゃん』なんて愛らしいニックネームで呼んでいたりするぐらいだ。


 実力も人気も高い萩原が、成績の芳しくない第六研究室に所属していることを不遇だとして、移籍を進める声があることは事実だ。

 それでも萩原自身が、黒井の製作した筐体を選んだことで、周囲は何も言えなくなった過去がある。


 青木も、そんな萩原ファンの一人なのだろう。


「……りっちゃんってホントに研究室に所属してたんだ……」

「恭祐はそっち!?」

「よくわからんけど、環境に恵まれなくて闘技に出れないのは、リンカーとしては辛いもんがあるからなぁー。りっちゃん頑張らんとー」

「なに真面目にしんみりしちゃってんの!? あの人……萩原はむしろ引く手数多だからね。好き好んで第六に居座り続けてる変人の一人だよ。青木君、なんか憧憬フィルターかかっちゃってるんだってば!」


 第六研究室の実態を見せてやりたい。

 本当に。


 外面と、パッと見が非常にまともな人に見えるだけで、萩原もあの研究室の中で副室長として統制を取る側の人間なのだ。


「そいや俺たち、第六研究室を見学希望で出しといたよんー」

「そうそう! 第一と、青木さんに誘われたから第四も希望してたんだけどさー……一条君と青木さんって仲悪かったのか?」

「いや初対面だけど」

「えええええ? 元同級生でしょ? あそこまで言われる?」

「あれ、元同級生になるのか。そうか、俺って留年してたんだった」

「あんた留年してんスか。俺よりヒデェ……。てか青木さんだって、いつもはあんな態度する人じゃないんスよー? あんたよっぽど悪いことしたんでしょーよ。やめてくださいよ、これで第四から発注無くなるとか」

「いやー、何かしたかなー……全然面識も無いんだけどなぁ……」


 初対面の人間にボロクソに言われた後、更に身内からも追い打ち。

 何故なのかなぁと思わず遠い目をしてしまう。

 第六自体が闘技会に重きを置いていないだけで、けっこう研究室内の活動にも貢献してる筈なのに。報われない……。


「……そうですわ、ヒナさん。聞きたいことがありましたの。第六研究室の見学期間はいつから始まるのでしょう?」

「あぁ、それは再来週の月曜日からと決まっている。何故ならば、学内トーナメントの準備が始まるからな」

「……どういう意味です?」


「もちろん、準備のための人員確保だ」


 ヒナの扱き使ってやると言わんばかりの表情に、恭祐と依舞樹から盛大なブーイングが出たことは言うまでもない。




***




 廊下を猛然と歩きながら、青木は大いに憤慨していた。


 先程の整備室での一件だ。

 山添室長に頼まれて荷物の受け取りに来ただけのはずなのに、不快な人間と出くわしてしまった。


 なぜあんな奴がのうのうと第六研究室の一員として在籍しているのだろう。実力が伴わなくても、せめて真面目に所属員として活動していれば何も思わないのに。留年してもそれを気にすることなく好き勝手に振る舞っている様がとても癇に障る。


 第六室長の黒井も黒井だ。

 あんな人間を所属員に加えている余裕があるなら、他に誰でもいいから人員を確保すべきだ。適当な研究室運営をしているから闘技会への参加がままならないのだ。

 才能に溢れる萩原先輩が、第六研究室という存在の中に埋没してしまっているではないか。


「うちの山添室長も、何で第六には強く言わないんだか。……って、やば」


 知らず知らずのうちに両腕に力が入っていたようだ。抱えている段ボールがたわみ、若干の折れ目が出来ていた。

 慌てて持ち直し、早足になっていた歩みを緩めながら昨日の山添室長との会話を思い出す。


 第四研究室のドッグ内でのことだ。


 学内トーナメント用の筐体を調整中、計算上の性能まで動かしきれない専属リンカーの不甲斐なさに、思わずぼやいてしまったのだ。




「あーダメだー。何であの人は毎回ココで引いちゃうかなー……。山添室長ー。萩原先輩を本気でスカウトしてくださいよー。萩原先輩にこの筐体乗って欲しいなー」

「おいおい、あいつだってうちの研究室のエースリンカーなんだがな……。それに、萩原は黒井の筐体を気に入ってるから無理だぞ。リンカーに、乗りたいって思って貰えるような筐体を作るしかないな。精進精進」


 手元の計器から目を離すことなく、適当にいなされた返答にムッとくる。


「じゃあ第六ごと吸収合併しましょうよ。学内トーナメントだって、萩原先輩の筐体以外は数合わせの教習機みたいな雑魚じゃないですか。もっと酷い時には、リンクするのがリンカー専攻じゃないんですよ?」


 そりゃあ萩原先輩なら、個人戦だったら第一の筐体とも、もしかしたら城ヶ崎室長のナイトレコードとすら互角で渡り合えるだろう。


 しかし学内トーナメントは三対三の団体戦。

 頭数が揃わなければ棄権するしかないのだ。もし第一試合で勝ったとしても、萩原先輩以外の筐体が致命的な損傷を受けていたら、次の試合には出られない。

 第六研究室は毎回、一戦もせずに棄権するか、一戦一勝して棄権している。


 筐体やリンカーが確保出来ないならば、一つの研究室として独立させているのは無駄だろう、と最近よく思う。

 うちの第四研究室と合体すればお互いにいい刺激になるし、第一研究室の牙城だって崩せるかもしれない。……僕の下っ端雑用係も卒業かもしれないし……。


「黒井はああ見えて優秀な奴だよ。萩原の戦績だって、黒井の筐体が無いと築けないわけだし」

「それはわかってますよ。他ですよ、他。他の所属員は何やってるんですか」

「うーん。第六は所属員の数も少ないからなぁ。見嶋とかも頑張ってるが、萩原の筐体以外に注力する余裕が無いんだろう。……黒井も、一条がやる気を出してくれれば楽になるだろうになぁ」


 出た。一条。

 つい最近、一年生の勧誘中に留年したと聞いて、やっぱりかよ、と思っていたのだ。


 そもそも去年、講義に殆ど出席していなかったのだ。必修もたまに来るだけで、真剣に聞いているのかいないのか。

 周囲も、そんな一条とは距離を取っていたし、研究室の所属を決める時期には全く見かけなくなったから、勝手に退学したと思っていた。

 なのに、次の学内トーナメントで第六研究室の陣営にいるのを見つけて、そりゃあもう驚愕した。授業もまともに受けてないくせに、研究室には所属しているのかと。

 しかも萩原先輩の研究室。ここ重要。


 実は青木は第六研究室を第一希望にしていたのだ。

 だが通らなかった。

 募集枠に達したのでゴメンナサイ、ということだった。

 一条が先に所属希望を出したから、先着順で落ちたに違いない。


 こういう経緯もあって、青木の中では『一条律』は敵以外の何物でもない。

 だからといって隙あらば第六研究室に移籍したいとも思っていない。山添室長には、エース機を任せてもらえるまでに指導して貰ったという恩義がある。一条と共闘する気もないし。


 でも、それでも、萩原先輩の闘技スキルと、その後の棄権という惨めな幕引きを見る度に、勿体ないと思ってしまうのは仕方ないだろう。


「まぁ闘技会の成績だけが、研究室の存在意義じゃないからな……。っと、余計な事考えてる時間はねーぞ。うちのエース機の調整を進めよう。ぶすっとしてないで早く次のセットアップに変更!」



 そう言って眉間をちょんと突かれたところまで思い出して、今現在も眉に力が入っていることに気付く。


「僕の売りのプリティーな雰囲気が台無しじゃん。……一条のせいだ」


 眉間をごしごしと擦りながら呟く。

 あと少しで闘技場から渡り廊下を渡って研究室棟だ。

 むすっとしていてはメンバーが気にする。

 ただでさえ闘技会前は鬼気迫って皆ピリピリしているのに。


「もうすぐトーナメント戦か……。第六はどうせ準備に駆り出されるんだろうし、せめて萩原先輩の手を煩わせないでほしいな……」


 とか言いながらも実は、あの量の設営を任されずに済んで良かったー……なんて思っているのは内緒だ。


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