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タナトスの思惑

 俺がさやかのもとに戻される間、声の主は手短に自身が何者かと俺を導いた訳を話してくれた。


 彼は、タナトスの親友であったらしい。その親友に頼まれて、俺に過去を思い出させるという任務を受けた。


 あれこれ手を使って俺に過去を見せたのは、俺が自発的に思い出すことを目指していたからだという。死神の世界の掟として、他者から聞いた自分の過去は”過去”としてその人にインプットされない。


 記憶を司る海馬は現実の肉体に存在する。その肉体を断絶された魂に対し記憶に何かしらの操作をしようとしても、現実に反映されないのだ。それが忘れた記憶を取り戻させようとした試みだったとしても。海馬を含め肉体が朽ちた”死者”には、死ぬ瞬間に持っていた記憶以上のものは冥界に持ち込めないという。


 そして彼は言った。俺は彼が知る限り唯一の特殊事例であると。


 一旦死に冥界に来たにも関わらず、俺の肉体は生きている。霊安室で息を吹き返したらしい。今俺は植物状態にある。それなら普通に生き返ればいい。しかし俺は生き返れない。魂が、死神の素質ありの魂として冥界でリストアップされていたため、一旦死んだ瞬間に死神見習いとしてタナトスの管理下になった。そうなった魂は容易にその運命から逃れられないのだ。


 そこでタナトスは考えた。本来の自分の寿命を大幅に短縮させ、弟子である俺を強制的に見習いから死神に格上げさせることで、”口吸い”の儀式を行えるようにした。


 タナトスは俺に嘘を教えていた。”口吸い”は自分の肉体を永遠に手放すのと引き換えに他人の魂の死の運命を回避できるものだとタナトスは言った。しかし声の主曰く、”口吸い”は自分の魂のもつ生気を生きている者に分け与える儀式で、与える側の肉体は関係しない。そもそも肉体を手放した死んだ魂である死神の儀式に肉体云々の記述があるわけがないのだ。


 死神となった者は後継者が死神として名跡を継ぐまで死神のままだ。しかし一方、タナトスが古代の書物を読み漁った結果、ある記述があった。


『肉体朽ちるまでに生きている魂に生気を与えられた魂は強制的に生還させられる。それは何物にも優先することわりである』


 ”口吸い”では稀に、生気を与えようとした魂に生気が逆流することがある。本来はよくない事例として取り上げられるが、今回はそれが命綱だ。その逆流には二種類あり、対象が拒絶した場合と、対象が受け入れたものの接続に失敗した場合だ。そして後者は、稀に逆流した生気に対象の生気が混じることがある。


 つまり、「まだ肉体と断絶してはいないが彷徨っている爽の魂」と話し合って爽を何とか生きようとさせ、生気譲渡を拒否しないようにした上で、俺に口吸いをさせ爽を死地から救い、同時に爽からわずかでも逆流を得ることで断絶した俺の魂を死神の運命から免れさせようという試みである。


 タナトスが”死ぬ”前、やたら出かけて部屋を留守にしていたのは、書物漁りと試みが成就するまでの爽の寿命期限の時間稼ぎ、親友への交渉などがあったらしい。


 そりゃあ痩せこけるわと俺は妙に納得した。と同時に、それほどのことをして自分は生きるべき人間なのかとも思った。


 それに、まだ忘れたままの「爽がそこまで死にたがる理由」がまだわからない。


 それがないと、爽に生きようとさせることも難しいのだろう。


 色々な人(死神だが)の苦労が、俺のチンケな記憶力のせいで無になろうとしている。


 声の主は、間に合わぬならせめて死にゆく人の側に居てやれと言ったのだ。



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