三日目

 いやそれは三日目だったのか俺にはわからない。日付と言う概念がないどこまでも暗い空間で、俺は一秒も惜しんでさやかを探した。


 時折妙な風景が見えることがあった。ブランコに寂しく一人で乗る女の子の背や、学校の校門の前で立ち尽くし日が暮れるまで暇つぶしをするランドセルの女の子が見えたりした。それがさやかであることは簡単に想像がついた。だが、空を蹴り手を伸ばそうとすると、悲しげな顔が振り向いた気がして、ふっと我に返るとそこは相変わらずの闇だった。


 あの声の主がなにか知っているのだと思ったが、耳を澄ましても何も聞こえない。澄ましているその一瞬も、俺にとっては血より大切なものだと気づくのに時間は掛からなかったし、そうと気づいてからはあの声に頼ろうとする心を務めて廃していた。


 それはそうと、俺が忘れているさやかとの思い出とはなんだろうか。それさえ思い出せば、どこに行けばよいかの検討もつくのだが、歩みを止める気にはならない。走っている間に思い出してくれよと俺は強く念ずる。


 何度目かの風景に、それは現れた。


 初めて俺が出てくる風景だった。


 俺はさやかと横に並び、背の高い人と連れ立って歩いていた。その時のさやかは、酷く幸せそうだった。俺は、そんな爽と隣の人間との間柄に嫉妬していた。


 ――ッ


 割れるような頭痛が響いた。俺はたまらず身体を丸め込む。まるで胎内で外界から遮断されたままのうのうと暮らす胎児のように、外界、すなわち隔絶された風景への憧憬が身体を軋ませる。


 何かを忘れている気はしていた。それがなにか、背伸びすれば届く位置にあるような気がした。しかしそれはまだ届かなくて、ただ身体を丸めたまま苦しさにあえいだ。


 そんなとき、あの声が聞こえた。


『お前は口吸いをしたことがあるか』


 口吸い?


 古風な言い方をする、と思った。タナトスもキスのことを口吸いと言っていたか。


『死神は、己の肉体を永久に手放す覚悟があれば、定められた死を回避させる権限を持つ』


「なに……?」


『ただし』


 俺の期待を砕くように声は語気を強める。


『”それ”を行うには、生かす者の記憶が未来永劫戻らないことに了承せねばならん』


「……そんなッ」


 それでは意味がない。そう心で呟いた。俺が爽を幸せにするんだ、そんなでは爽は幸せにはならない、と。


『それはお前のエゴだろう』


 冷たい声。抗議しようとして、気づいた。爽にとって”記憶”は、幸福を付随させるものではない。おそらく一生なりえない。


 ならば俺は肉体を手放して、記憶のない状態としての爽を生かすのが最適解だというのか?


『――わからんやつめ』


 声が途切れると、俺の頭痛は消え、この気味悪い空間にまた一人になった。



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