夢想

 俺は悪夢にうなされていた。早く仕事に戻らなければ悪霊が生まれてしまう……しかしこの夢は一向にエンディングを見せてくれない。


 さやかが俺を問い詰める。よもや忘れたのではなかろうな、と。なにか彼女と約束事をした覚えはないのだが、爽は霧散するように消えてはまた現れて俺を責め立てた。


「だから、俺は何を忘れたんだよ……」


 無限回繰り返す問いと、それには答えてくれない爽の目が恐ろしい。俺の見ているこの爽が、怨霊そのものなのではないかとも思えた。


『どうして……どうして忘れたの、りゅう


「俺はながれだ、勘弁してくれよ」


 確かに琉はりゅうとも読める。というか、そちらの方が正しいのかもしれない。宝石を意味する”玉”に”りゅう”と読むつくりをつけた形声文字だ。それにどんな思いを載せて第一子の名としたのか、俺は知らない。


『りゅう……りゅう……』


 この世のものとは思えない薄暗く気味悪い空間に、声だけが響く。精神を病んでしまいそうだ。俺は目を背けていた爽の幻覚に再び目を戻した。揺らめく炎のようなそれは、水面に映る影のように時々形を変え、目視できない方法で移動する。


さやか


 俺は彼女を名前で呼んだ。


「お前、生きているのか?」


 これだけ長い間彼女と向き合ったにも関わらず、なぜこの疑問が出なかったのか自分でも不思議なくらいだった。この空間にやられていたのか?


『え……?』


 爽の影が波打った。脈動したという言い方の方がしっくりくる。浮草のように流される移動と変化へんげではなく、意思をもって動いた、という印象がした。


『生きるって……なに?』


 無垢な赤子のような目を俺は射貫く。これまで漠然と死んだものと思っていたが、生きてくれるならその方がいい。彼女を身代わりにして死なせたという後悔が、ある種の足かせとなって俺を人外に留め置いているのかもしれないから。


「汝の魂よ、あるべき場所に帰れ!」


『ねえりゅう、生きるって』


 この場合エゴかもしれない、爽を生かすのは。けれども俺はやめない。


「生きるってのはなあ、爽! 苦しみを超える喜びが存在するあることだッ」


『よろこび?』


 喜びなんて爽は忘れたかもしれない。苦しみだけを与えられ、生きながらにして死なされていた彼女のことだから無理はない。けれども――


「俺がお前に今までの苦を上回る喜を与えてみせる――ッ」


 爽の目が、俺を見据えた。喜色を湛えたその目はありがとうとでも言うように潤み、爽の身体は、完全に空間から消え果てた。


 俺のまぶたも濡れていた――そして、空気に準ずる存在として当たり障りなく生きてきたはずの俺が、こんなに熱くなっていることに一種の感慨を覚えた。


 ――そして、俺はそんな自分に、確かに見覚えがあった。

 

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