死神任務も板についてきた頃、俺は妙な白昼夢を見るようになった。


 重い鎌の扱いにも慣れ、確実に魂を無害化する手立ても学んだ。だからもう、無意識に仕事は遂行できる。そんななか、死のイメージとは裏腹な真っ白な壁に、ある見慣れた人の、見慣れていない表情が浮かぶ。


 佐藤翔琉かける、俺の憧れの作曲家であり、俺の想い人を撃った男。同い年に近いはずのさやからしき女の子が部屋の片隅に小さく怯えている。年の頃合いは十歳くらいに見えるが、奥に映るカレンダーの日付が正しければ彼女は十五歳のはずだ。


 カリスマミュージシャンの一人娘は難病で、父親である翔琉が看病していると聞いたが、どちらも嘘だろう。難病で痩せている娘を、よく見ればあんなに埃が溜まっているではないか、あんな不潔な場所に俺なら置いておけやしない。


 妻は、爽の母親はどこにいるのだろうかと見渡した。荒れたテーブルの上に、乱雑に置かれた紙があった。


『私は出ていきます。どうぞご勝手に』


 置き文に別れの文句があった。佐藤翔琉は、この時期妻と、少なくとも別居状態にはあったらしい。テレビではおしどり夫婦と騒がれていたが、果たして事務所の圧力があったかどうか。


 なにか音がしたのだろうか、壁に映る女の子がビク、と肩を震わせた。


 大股で床に散乱した雑誌やお菓子の袋を乱暴に蹴り上げながら、翔琉かけるは女の子――さやかに迫る。さやかは逃げようとしない。逃げられないことを悟っているのだろう。


「……いやッ」


 小さく呟いた。彼女のささやかな反抗だった。それは大の男の手によって醜く潰された。


「誰が食わせてやってると思ってるんだ」


 低い声で我が子を脅す彼に俺は戦慄する。


「……そうか、生きるのが嫌か。父さんの仕事を邪魔し食い扶持を奪うのに耐えかねたんだな。そうかそうか。お前はよい子だ。ならば、死ね」


 ぐいと突き出されたのは果物ナイフ。そのナイフを持つ翔琉の手は小刻みに震えている。このころから薬物が翔琉の身体を冒していたのだろうか。


「ひッ」


 死より苦しいこの世の闇だった。誰よりも死に近いところにおりこれ以上ないくらい死を裁いても、慣れることができないだろう類いの恐怖だった。俺は思わず仕事の手を止めていた。白昼夢も途切れている。


 映像は見なくなったが、我に返ってから数分もすると、さやかの声が聞こえてくるようになった。


『殺して……』


 ――ながれは放心してなにも考えられない。そんな空っぽの意識に夢のなかのさやかは死を希求する刻印を刻み続ける。


『殺して――せめて琉に殺されたい』


 思われて死ぬならそれは”幸福”だという意識が琉に流れ込む。琉は、勝手に想い人であることを公言しただけで関わりの薄いはずの”お屋敷の令嬢”が、十年前から自分を認知していたという不思議に、とうとう気づけないままだった。


 その次の日も、琉は痛めつけられる爽の映像を見た。そして気を失い、爽の怨念とも呼ぶべき鎖に身を任せるのが恒例になった。その間の仕事はタナトスが行った。彼は言った。「この試練にこの子は耐えられるかね」と。



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