死の意味、生の意味

”殺して”

 死神というものは死人のもとに出向いて魂を狩るものだと思っていた。


 素朴な疑問をタナトスにぶつけると、彼は苦笑した。


「人の死に関わる仕事なんざ、神業界のなかでもなり手が少ないんでね」


 そんなものか、と俺は思った。死者に接しすぎて俺の感覚は麻痺していた。俺を庇ったさやかも、なんだかんだいってそのなり手の少ない業界に入ったできそこないの神に狩られたのだろうと思った。タナトスは続ける。


「昔はなり手も多かったんだ。だから死にかけの者のもとに出向いて狩っていた。しかし、産業革命以後、人口が爆発的に増えた」


「だからおっつかなくなったんだな」


「……それもある。だからこんなシステムを神は作りあげた。だがエマ、産業革命で増えたものがもう一つある。なにかわかるか」


 知ったこっちゃないが、タナトスが珍しく質問に答えてくれるので、一応考えてみる。しかしわからない。


「それはな、”意味のない死”だ」


 言葉を文字通り空間に捨てるような言いぐさが気に食わなかった。それがどうも、顔に出ていたらしい。


「本当に意味がないなんて考えちゃいないさ」


 タナトスが言い訳のように言う。


「今日は暇だから、ちょいと昔話でもするかね」


 連日の会議にでも疲れたのか、今日のタナトスには元気がない。調子が狂うから、例によって俺を虐め始めるまで様子を見ようと考えた。俺は聞き耳を立てる。


「昔、俺が新米だったころ、この部屋に来てはずっと居座る魂がいた。俺はその魂にとうとう一か月付き合わされた。完全に死んでないと狩れないからな、お前もそんな状況に遭ったろう?」


 俺は頷く。


「そいつは年端もいかない娘だった。自分のことを意味のない存在だと思って死にたがっていた。信じられるか? そいつは身体がピンピンしているのにここに来たのだ」


 怪我も病気もせず、そのままの意味で言うなら全く”死にかけていない”魂だったという。


「そいつは俺に様々な景色を見せた。生まれ落ちた瞬間に母親に殺められかけ、幼少期は飯もろくに与えられず、養護施設とやらで育ったが友もできない。本人すら覚えているかどうか怪しい、心象風景の数々……」


「悲惨だな……」


「……」


 俺は思わず仕事を忘れて後ろを顧みた。泣いているのかと思わせる、無言だった。


「悲惨な子どもはいつの時代にもいた。悲惨な大人だってそうだ。戦争は幾たびも俺たちの仕事を増やした。幼い子の魂を狩るのはいつだって悲しい。だが、今は少し違う。彼らに、死の意味がない」


 わかるようでわからない話だった。俺はしばし考える。タナトスはそれを待ってくれた。


 ふと、腑に落ちた。宗教の希薄化だろうと、思った。


「輪廻転生なんて、信じてる人少ないもんな」


「いや、信じている人もいるかもしれない。しかし、それが死に意味を与える事例は少ない」


 哀れな、苦しい死を迎える人はいつの時代もいた。現代の人間は、忙しさにかまけて生と死が日常になっていない、と彼は言う。


「生きるために息をする。こんな簡単なことすら忘れられる。深呼吸は脳にいい、学習効率があがる、そんな言葉で思い出したように人は肺一杯に息を吸う。それは自分の幸福のためにあるべきだと、思わないか」


 タナトスは俺に問いかけた。


「死神ってもんはな、口吸いを欲するんだ」


 誰に言うでもなく、彼は呟いた。

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