始まり

 気がついたら俺は死んでいた。


 正確に言うと、仮死状態にあった。


 身体が固まり動けない俺を、大きな鎌をもった灰色の肌の男が見下ろしていた。


「ふん、俺の仕事を増やしやがって」


 その男は動けない俺を嗤った。「親のすねかじりが……」と確かに呟いた。俺は激高したが動けない以上なにもできない。幸いにも眼球だけは動いたので、見れる範囲を見渡してみる。


 世界がシャッターを切られた静止画のようになっていた。銃弾がさやかの背を捉え肉片を確かに飛び散らせており、撃った本人の頬の肉が己のなしたことへの恐怖で引きつっているのがじっくり観察できる。そう、じっくりと……。


「動けるようにしてやろうか」


 口の端に嗤いを湛えたまま、男が言った。


(動けるように……してくれ)


 してやろうか、と言うからにはできるんだと思っていた俺は、男の次の言葉で苛立つ。


「ならば現実を受け入れることだ」


(はっ? 早く俺を自由にしやがれ!)


「お前に現実が受け入れられるか」


 男は鎌を大きく振りかぶり、爽の背に下ろそうとした。俺は思わず叫んだ。


「やめろ!」


「ほう、声を取り戻したか。なら直に感覚も戻るだろう。だが、真実を知って心が持つかどうかな」


「なんだと!」


 男につかみかかろうとして、静止画の風景が薄れていく。代わりに、死体を前に忙しく動く人々の群れがうっすらと浮かび上がってきた。


「あーあ」


 男……死神は言った。


「お前のせいで間に合わなかったな」


「なにが、だよ」


「お前はお前自身の手であの子の魂を狩らなければいけない。死ぬべきはお前だったのにあの子は世界を歪めてお前を救った。その罰を受けねばならぬ」


「なん、だと……」


 死神の言葉の万分の一も理解できぬまま、死神は空を蹴ってふわりと歩いた。その一歩は予想外に大きく、取り残されそうで俺はたちまち心細くなる。


「償いを知りたければ、早くついてこい」


 死神の言葉に我に返り、俺は空を蹴った。なにもない空間のはずなのに足の裏には確かに何かを蹴った感覚があり、現に俺は百メートルは進んでいた。


 死神は俺がついてきているのを確認すると、テンポよく空を蹴って、さらに遠くへと駆けていった。


「単刀直入に言うが、お前は今から死神となる」


 死神はそう言った。


「これがお前の鎌だ」


 渡されたのは刃渡りの長く大きく反った鎌だった。


「試しにあそこの猫の魂を狩ってみろ」


 死神は真っ白な壁を指さした。そこから雲のように現れて浮遊する塊があった。


「虐待を受けて死んだ飼い猫だよ。早く狩らねば霊になる」

 

 俺は慌てて鎌を振り下ろすが塊の端をかすめただけで塊自体には変化はない。


「下手くそが」


 死神が忌々しげに呟いては白い塊を救い上げるように鎌で捉える。その途端、塊は鮮血のような液体を散らし、ゆっくりと蒸発した。


「しかしまあ、初心者にしては上出来か。この部屋を死神の部屋といい、各死神ごとに割り振られている。この部屋を得られたら一人前なのだが、当たり前ながらお前にはない。死神の部屋は時空を跨いで存在しているため、わざわざ死体まで出向いて魂を狩ることはない。普通はここに映し出される魂影たまかげを狩れば十分なのだよ。――お前のような罪人つみびとが現れない限り、な」


 死神は自身をタナトスと名乗った。俺は、エマと名乗るよう言われた。


 この日から、俺の死神生活が始まった。

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