少女と流浪者(八)

「終わったわ」

 サロエは背後から静かに近づく男に向けて言った。男は左手に先程まで顔に張り付けていた白髭を、右手には瘤杖を持ちクルクルと器用に回している。栗色の少し汗ばんだ髪のその男は、口角を上げてサロエの背で立ち止まった。

「クリスの最後、教えてあげてもよかったのに。せめてもの優しさかな?」

「そんなんじゃないわ」

 サロエは目の前に転がる二つの亡骸のうち、一方からロケットを拾い上げた。立ち上がるとそれを背後の男に差し出す。栗毛の男は左手に持つ白髭を投げ捨てると、それを受け取り蓋を開いた。

「クリス=カトロー。確かアルム=ゼンダー戦死の報を受け自ら命を断つ、とあったね。こんな顔だったんだ」

 男は再びロケットの蓋を閉めると、着ているローブをたくし上げカーキ色のパンツの左ポケットへと仕舞った。今度はローブの内側にあるポケットから使い古された小さな冊子を取り出す。片手で器用にぱらぱらとめくると、その中の一頁で手を止めた。

「およそ百数十年前か。長いことさ迷っていたもんだ」

「ええ。亡国の剣士…何度か目撃情報は確認されているけど、サヴァに人が住まなくなった後も思念が残り続けたのね。よほど殺されたことが悔しかったんだわ。その事実を受け入れられなかった」

「カラバ公国の夜襲だったか」

 栗毛の男はひどく錆びついた剣を拾い上げると軽く振ってみせ、五色の宝飾が鈍く輝く鞘へと仕舞った。ガリガリと不快な音が響いた。

「そう。当時休戦協定を結んでいたけど、両国の緊張状態は続いていたのね。戦の口火を切ったのはカラバだった。第一陣の将を失ったアルテオンはただちに第二軍を差し向けて、長い大戦が始まるけど…」

「国が滅んじゃ意味ない、と」

 パサ、と栗毛の男が冊子を閉じる。そして元あった場所へと仕舞った。サロエはそれをただ黙って見つめている。男はその視線に気づくと、また口角を上げサロエに言った。

「さて、若き歴史学者さん。こんな不毛の地にいてもしょうがない。仕事も完了したわけだし、戻るとしますか」

 サロエは不機嫌そうに答えた。

「言われなくてもそうするつもりだけど…今回のは何?」

「何って?」

 男は巨岩の傍に留めてあった馬の元へと戻ると、その背に取り付けた袋に宝剣を仕舞った。そして軽やかに跨る。

「辺境リート村の長…設定も、老人への変装も、随分と陳腐なものね。よく欺けたものだこと」

 サロエがロシャラ翁──翁と呼ぶにはあまりにも若く見える。年の頃は三十程であろうか──にため息混じりに声をかけ、その男の後ろへと跨った。

「挙句、握手なんか求めて…平静を装うのが精一杯だったわよ」

「ああ、確かに。僕も手を出してからしまった、と思ったね」

 そう言いながらも、からからと笑うロシャラはどこか楽しそうである。その様子を見ながらサロエが不機嫌そうに言った。

「結局、全ての尻拭いは私なんだからね。アルムの世話も、影と対峙するのだって」

「そう言うなよ。なかなか様になっていたと思うぜ。それに、ああいう若者には君みたいな、うら若き美少女が対応した方がスムーズに事が進むのさ」

「…街に戻ったら十分に償ってもらうわ」

「おお、こわ」

 ギラリと睨むサロエに向けてロシャラはひらひらと手を振ってみせる。そうした後に手綱を握ると、把っ、と短く声を上げた。馬は軽やかに駆け出し、その姿は瞬く間に地平線へと消える。

 残された荒地にはただ静かに風が流れた。

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