少女と流浪者(四)

 九~十レイル四方の部屋に少女──サロエとその横に白い顎髭を蓄えた老人の姿があった。部屋の明かりはいくつかの燭台のみで賄われているため薄暗い。どうやらこの家屋の居間のようだったが、生活感のようなものは微塵も感じられなかった。埃っぽさと何か饐えたような匂いが仄かにする。


 老人は部屋の奥にある古びた揺り椅子に腰掛け、両手は年季の入った瘤杖の上に重ねている。サロエと同じく、この部屋には似つかわしくない白く清潔そうなローブを纏い、同様に白く蓄えた頭髪と眉毛が瞳を覆い隠さんとしているが、その視線はじっと前方を見据えているようであった。

「…来たか」

 ゆっくりと流浪者が部屋の中央に入ってくる。一瞬横に控えるサロエに目をやったが、再び老人に向き直った。

「助けてもらった礼は言う。この村…リートと言ったか。いったいどこに位置しているのかを知りたい。それと…」

「待ちなさい。まずは名乗るのが筋というものじゃろう」

 矢継ぎ早に尋ねようとする流浪者の言葉を遮り、老人は少し首を傾げながら逆に尋ねた。

「ワシはロシャラ。この村の長だ。君は…盗賊の類、というわけでもなかろう。悪いが検めさせてもらったよ。東国…さしずめアルテオンの手の者かな?」

 流浪者にはロシャラと名乗った老人の口角が上がったように見えた。この状況を楽しんでいるのか。不機嫌さを隠すことなく、流浪者は答えた。

「…クリス=カトロー。お察しの通りアルテオン王国の兵士だ。行軍中に砂嵐に遭い、所属の隊と逸れてサヴァの地をさ迷っていた」

 軽くため息をつき、クリスと名乗った流浪者は言葉を止めた。ロシャラ翁が続けるよう、軽く顎を縦に振る。

「隊はヨクルの街に駐屯後、カラバ公国の侵攻に備える予定だった。今が何時なのか分からないが…すぐにでもここを発ち、隊と合流したいと考えている」

 クリスから目を落とし、ロシャラ翁は何かを思案しているようである。痺れを切らしてクリスが続けた。

「もちろん、相応の報酬は考えている。金品か食糧か、無事に隊と合流できた暁には十分な物量を…」

「一介の兵士でしかない貴方がそんなこと出来るとでも?それをどうやって信じろと?」

 サロエはすかさず口を挟んだ。確かにその通りだ。しかし自分ならば──どう答えようか思案していると、ロシャラ翁が口を開いた。

「あまり意地の悪いことを言うもんじゃないよ、サロエ。…クリス殿、別にワシらは金品の類や食糧を求めているのではない。ただ──少しだけ協力してもらいたいと考えている」

「…協力?」

 怪訝そうな顔でクリスはロシャラ翁に尋ねた。白眉を下げ、翁が答える。

「そう。ここに来る前に…見たんじゃろう?」


 クリスはこの部屋に入る前に探った周囲のことを思い起こした──。寝かせられた部屋から左手に建物の出入口があり、そこから村の様子が見てとれた。村人の気配はなく、他にある何件かの家屋もだいぶ傷んでいる。村の中心部とみられる場所には一体の銅像が見てとれた。寂れた村には似つかわしくない立派な騎士像であったが、首が無い。天災か意図的なものか…いずれにせよそこにあったはずの首は根本から綺麗に無くなっていた。かと言って元より首無しの像だったということでもなさそうだ。他にも多くの傷が騎士像には刻まれており、台座には文字が刻印されているようだったが、それも読み取れないほどに削られていた。よほど強い不運か怨念が騎士像に働いたようにクリスには感じられた。

 その哀れな像はともかく、クリスはこのまま逃げるか思案を巡らせたが、結局はサロエの言葉に従いロシャラ翁の元へと向かった。どちらにしてもあまりにも心もとない身支度、装備だと思ったからである。

 それに頼んだことではないにしても、サロエには一宿一飯世話になっている。誇り高きアルテオンの人間が不義理を働くのも、後味が悪いと感じていた。

「ああ。あの像は一体…だいぶ古いもののようだが」

「…英雄、または死の遣い、とでも言うべきか…」

「……」

 クリスは第二の問いを放てずにいた。ロシャラ翁が続ける。

「ともかくご覧になった通り、この村はすでに集落としての機能を有していない。皆出ていってしまって、残るのはサロエとワシの二人のみ」

 そうであろう。この村に生の匂いはない。か弱き老人と少女がこの不毛の村で生活しているというだけでも奇跡のようなものだ。

「村を出るということか?」

 クリスが翁に問うた。翁は首を縦に振る。

「ワシらは長いこと、その機会を伺っていた。しかしそれを邪魔するものがな…サロエ、地図を」

 サロエが横から小型の丸テーブルを持ってきて、その上に使い古された地図を広げた。

「この赤く印された場所がリートの村。遥か北に…ほれ、お主が目指すヨクルの街があるのが分かるじゃろう」

 ヨクルの街はサヴァの地を北部に抜けた高台にある。東側に南北に連なるウロド山脈、街の北部は巨大なウロド湖に面し、肥沃な土地が広がる。西の大樹林を挟んで、カラバ公国と相対す上で戦略的にもアルテオン王国が絶対に失ってはいけない街であった。

「リートの村はアルテオン中心部とヨクル地方を繋ぐ街道からは少し南に外れている。ここまで行ければいいんじゃが、それを阻むものがいる」

 クリスはロシャラ翁の言葉を待った。続けたのはサロエであった。

「…降魔よ」

「降魔?」

 サロエが頷く。

「そう私たちは呼んでいる。ヒトの形をした、ヒトならざるもの」

「まさか」

 そのような化物がいるというのか。軍に所属して各地を巡っているが、そんな話は聞いたことが無い。ロシャラ翁が答えた。

「疑うのも無理はない。しかしあれは確かに存在する。そして、この村の者も犠牲になった…」

 翁が目を伏せた。

「ワシらだけであの者に対峙するのは無理じゃ。クリス殿は…剣士であろう?」

 サロエがロシャラ翁の座る椅子の裏側からガラン、と剣を取り出した。柄に埋め込まれた五色の宝石が蝋燭の光を得てギラリと怪しく光る。それをクリスは両手で受け取った。そうして、ずしりと重いそれを慣れた手つきで身に着けた。

「…化物退治か」

 無論、不安がないと言えば嘘になる。が、クリスにとってはこの地より抜け出すことの方が重要であった。それにヒトならざるものというのも、どうにも信じられない。恐らくは両軍どちらかの残党か、盗賊の類であろう。問題は数であるが──。


「その…降魔とやらはどの程度の使い手だ。何体いる」

 クリスの問いにロシャラ翁が思案して答えた。

「ワシらは武芸に詳しくはないが、かなりの強者であろうというのは理解できる。見かけたのは一人だけじゃ」

 一人?街の盗人ならいざ知らず、辺境地帯にいる盗賊が一人で行動するというのは考えにくい。恐らくは組織の体をなして隠れていることは想像に難くないが、少数であるということは理解できた。クリスはしばらく俯いて思案していたが、やがて顔を上げ頷いた。

「…分かった。俺もヨクルの街に向かいたいというところで目的は同じだ。それで、いつ頃に村を出る?」

 ロシャラ翁は満足げに微笑み、答えた。

「明日の朝。よろしく頼むよ、剣士殿」

 手を差し出す翁に対してクリスも応えた。その手は見かけによらず皺もなく、冷たく感じる。クリスは妙な違和感を抱いたが、そこで翁の手は離れた。

「…おやすみなさい、また明日」

 サロエは静かに、ここでの会話のピリオドを打った。

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