少女と流浪者(三)

 次に目覚めた時にはあの唸り声のような音は聞こえず、辺りには静寂が垂れこめていた。陽が落ちたのだろう。窓からは僅かに星の明かりが入り、辛うじて周囲を見渡すことが出来る。誰かがいるような様子はなかった。指先から腕、足と順に自分の身体の感触を確かめていく。どうやら人並みに動けるようには回復しているようだ。ひと呼吸置くと、ゆっくりと今まで寝ていたベッドに腰をおろした。胸元でシャランと金属音が鳴る。流浪者はロケットを手のひらで軽く撫でると、改めて辺りを見回した。


 六レイル(三メートル)四方の小ぶりな部屋にはベッドと机、小さな丸椅子一脚以外には何も置いておらず、さしずめ牢室のようであった。違いといえば出口に格子がつけられていないことぐらいだ。その先は行き止まり、左右に通路が続いているようだった。座っている位置からはそれ以上の様子を窺うことが出来ない。部屋には埃が溜まり長年使っていないことが分かるが、ベッドから出口付近にかけて複数の足跡や何かを引きずった後があるようだった。自分が運び込まれた時のものだろうか。机の上には簡単な着衣が置かれている。流浪者はそれを手に取ると手早く身につけた。機能的ではあるが、変わった衣装だった。小さな留め金具のようなもので胸元を閉じる。この地域特有のものであろうか。いったい自分はどこまで彷徨い歩いたというのか…ひょっとして──

(連れてこられた、ということも考えられるな…)

 一気に緊張感が走る。流浪者は人づてに聞いた話を思い出した。一部の辺境では侵略した土地の者を奴隷として扱っている。もしくは弄び命を奪う余興のための玩具とするか…。自分もその憂れき目に合わないという保証がどこにある?一刻も早く脱出する必要があるのでは…。


 立ち上がろうとしたところで、派手に腹が鳴ったようだった。そうだ、ここ何日かまともなものを口に入れていない。このような状況でよくも回復できたものだと自分の身体の神秘に感心したところで、再びあの甲高い靴音が聞こえてきた。

 右手を左腰へとやった。手が宙を切る。──そうだ、身につけていたはずの剣は今はない。着ているのも先ほどの麻の清潔な部屋着のみだ。そういえば下着も清潔なものであった。いつ着替えさせられたのだろう?いや、そもそも身体を洗われたのか?いつの間に?


 ゆらりと蝋燭の明かりが揺れ、右手の通路からサロエと名乗った少女が現れた。右手に燭台、左手にパロウ(サンドウィッチのようなもの)の乗った皿を持っている。

「心配しなくても誰も襲ったりしないわ」

 少女は警戒する流浪者など意に介さないと言わんばかりの態度でコトン、と燭台と皿を机の上に乗せた。

「ゆっくり食べて。落ち着いたら部屋を出て右手奥の部屋に来なさい。長がお話になるわ」

「ここは?」

 流浪者が少女に尋ねた。

「リートという辺境の村よ。さっき言ったでしょう?」

「…俺を助けてどうするつもりだ。君は何者だ」

「……」

 少女は流浪者の問いに答えることなく、再び闇へと消えた。

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