少女と流浪者(二)

 ──再び目を開くと、ぼんやりと薄汚れた灰色の天井が見えた。どうやら生きているということは理解できる。体を起こそうとすると自由がきかない。何かで縛られているのかとも思ったが、そうではなかった。指先に力を入れることすら疲弊していてままならなかったのである。ベッドの上であろうか。身体には毛布のようなものが掛けられ、察するに下着類しか身につけていないようである。久方ぶりに感じる身体の軽さだった。


 視線だけを可能な限り動かし、状況の理解に努めた。どうやら簡素な石造りの家屋の中であろうことは理解できる。左手にこの部屋の出口、右手には小ぶりな窓があり、青白い空のみが見えた。明かりの取り込みの一切を担っているらしい。調度品のようなものは視界には入らず、同様に石壁もまた簡素なもので、派手に入った幾筋かのひび割れの他は絵画や飾りのようなものも見当たらなかった。


 耳を澄ますと、外からはウォオンという地響きのような、何か巨大な獣の唸り声のような音が聞こえてくる。砂嵐であろうか。それとも荒ぶる獣の咆哮…。流浪者にその判別は付かなかった。

 突如、その唸り声の上を鋭く滑るようにカツ、カツと部屋の出口の方から音がした。音は徐々に大きくなってきており、誰かが部屋の外からやってくるようだった。流浪者は咄嗟に立ち上がり身構えようとしたが、もちろん身体はそれに応えてくれない。為す術無く視線を送るのが精一杯であった先に現れたのは──一人の少女であった。歳は十代半ばといったところだろうか。アイボリー色のブラウスにグレーパンツ、革のブーツ。腰のベルトにはいくつかのポーチと護身用であろうか、シンプルな短剣を身に着けている。ブラウスの襟元から覗く首筋と顔は透き通るように白く、この沈み込むような部屋にあって対照的であった。その端正な顔立ちから表情を読み取ることは出来ず、自らに対してどういった感情を持ち合わせているのか、流浪者には窺い知ることが出来なかった。


 長い黒髪を後ろで縛った少女は流浪者を一瞥すると、そばにあったであろう椅子に腰掛け、水差しを口元に寄越した。

「ゆっくりと飲み込んで」

 少女の凛とした声に従い、少しずつ口に含ませる。そうして初めて分かったことであったが、流浪者はひどく喉を乾かせていた。ゲホ、と小さく噎せた後に少量の水がまた喉に入り込む。そうしてまた咳込んだ。身体中が軋み、痛い。ただ水を飲むという行動が途轍もない重労働に思えたが、ようやく一息つくと流浪者は再び少女に目を見遣った。

「…サロエよ。ここはリートという辺境の村。貴方は行商に運ばれてきました」

 声をうまく発することが出来ない流浪者を察してか、サロエと名乗った少女が無機質に状況を説明する。

「貴方が何者なのか…どういう経緯でサヴァの荒地に倒れていたのか…今は無理に聞きはしないわ。まずはゆっくりと休みなさい」

 少女が言い終わるか否かのうちに、流浪者は再び深い眠りに落ちた。少女はその寝顔をしばらく見ていたが、やがて水差しを持つと、来た時と同じように無表情のままその部屋を去った。

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