「あ、プリンが落ちてる……。」

カメラマン

みずきとプリン

「あ、プリンが落ちてる……。」


 一月の寒い寒い放課後。それは排水溝の近くにぐったりと横になっていた。近くにカップはないし、プリンは綺麗なまま。少し前に、誰かが地面にプッチンして置いておいたのかな。なんのためにこんなことをしたのかはわからないけど、プリンは寂しそうだし、美味しくなさそうだ。


「どうしてだろう。誰かのおやつかな。それとも、昨日の給食かな。」


私はちょっと、それを見ていた。見ていたんだけど、すぐに興味がなくなった。もうみんな家に帰ったし、私も帰ろう。そう思った。


「私の声が聞こえるか?」

「……え?」


 足を前に出して歩こうとした私に、誰かがそう話しかけてきた。どこから話しかけられたのかはわからないけど、絶対に、私に話しかけている声だった。


「こっちだ。君が先ほど見ていたもの。それが私だ。」

「さっき見てたものって、プリン? 」


 私はプリンの方を見た。プリンは寝ているだけで、喋る感じはしない。


「そうだ。私だ。今、君と目が合っている。」

「わ!! プリンが喋った!!」


 プリンは全然動いていなかったけど、声はそこから聞こえていた。私は怖かったけど、喋っているのがプリンだから、ちょっと落ち着いてた。私は逃げなかった。


「プリンではない。私が喋ったのだ。私は確かにプリンであるが、プリンというのは概念だ。どうかプリンと一括りに、私を殺さないでほしい。」


「あ……よくわかんないけど、ごめん。お名前は、何ていうの?」


「……アドネだ。」


「あ……アドネさん、よろしくね。いいお名前だね。」


「……そうか。ありがとう。」


 アドネというプリンは、悲しそうな声をしていた。私は、アドネのお友達になってあげたいと思った。アドネがかわいそうだと思った。


「アドネさん。あなたはどうしてこんなところにいるの? こんなところじゃ、誰も食べてくれないよ?」


「そうか。それはその通りだ。だが、私は好き好んでこのような場所いるのではない。」


「あ……そっか……。」


「そうだ。気がつけば私はこの場所にいた。

そして、この場所にいると気づいた時点で、『終わった』のだ。私は絶対に、誰にも、食べてもらえない。」


「そんな、悲しいこと言わないでよ……。」


「悲しい、か。……ときに、君は“プリンがなぜ愛されるか”わかるか?」


「……美味しいし、可愛いからかな。」


「そのプリンは、落としていないし、汚れていないだろう?」


「あ……ごめんなさい……。」


「いや、いいんだ。ある意味それは正しいんだ。プリンが“プリンとして”評価されるのは、普通であることだ。落としてしまったり汚してしまったものは、美味しくないし可愛くない。つまり、愛してもらえない。」


「……。」


「あんまりだと思わないか。私は愛されないし、食べられらない。プリンとしての生き方を奪われてしまったのだ。これから私は小学生に棒でつつかれたり、足で踏んづけられるかもしれない。望んでここに横たえているわけではないのに、だ。これが何を意味するのか、君にはわかるか?」


 アドネはいつのまにか私を怒っているみたいな喋り方になっていた。アドネが私に話しかけたのは、悲しかったからなのかな。かわいそうなアドネ。私はアドネを楽しい気持ちにさせたい。あったかい気持ちにさせたい。食べてあげることはできないけれど、もっと別なやり方で。


「アドネ。お母さんが心配するから今日は帰るけど、私、明日もここに来るよ。私が大好きな絵本を持ってきてあげる。先生に取り上げられちゃったら悲しいけど、今のアドネはもっと悲しいだろうからね。踏んづけられないように、ハンカチをかけてあげる。お気に入りのだけど、アドネにあげるね。」


「君は……。」


「どうしたの?」


「君は、優しいんだな。」


「優しくないよ! アドネが悲しんでたら、私も悲しいから、悲しくならないようにしてるの! 私たちもう友達でしょ?」


「そうか……。ありがとう。きっと、来てくれ。明日も。」


「うん!!」


 私はアドネにそっとハンカチをかけ、帰り道を走った。私がアドネと話していたのを、誰かに見られたかな。







「アドネ、こんにちは。」

「おお、少女。きてくれたか。」

「当たり前でしょ!!」


 学校での授業が終わったあと、私はアドネに会った。アドネに会えなかった時間、アドネが一月の寒さに凍えちゃうんじゃないかと心配になったけど、そもそもプリンが寒いと思うのかどうかわからなかった。


「そうだ、少女。君がいない間、君に質問したいことを考えていたんだ。聞かせてくれないか、君のことを。」


「え、私のこと? いいよ、なんでも聞いて!」


「そうか、ありがとう。 ……君の名前は、なんというんだ?」


「あ、教えてなかったね! 私はみずき! あんなかみずきっていうの! みんなにはみっちゃんって呼ばれてるよ!」


「……答えてくれてありがとう。みずきか。良い名前だ。こんなに良い名前をつけるだなんて、君のお父さんお母さんは、素晴らしい人間なのだろうな。」


「へへへ!みずきはお父さんとお母さんが大好きだよ。 そうだ、今日は大好きな絵本を持ってきたの。お父さんとお母さんが買ってくれたやつ。 面白いんだよ! 」


「そうか。それはぜひとも、“みずきに”読んでほしい。」


「いいよ! 私読むのうまいよ!」


 私が絵本を読んでると、アドネはたまにクスクス笑いながら聞いてた。そんなアドネがとても楽しそうに見えたから、私は調子良く読むことができた。読み終えると、アドネは「とても、とても良かった。」と言ってくれた。


「面白いでしょ! みずきも面白いと思うの! こんなに面白いんだから、もう悲しいこと言わないでね?」


「……そうだな。すまなかった。私が間違っていた。絵本を読んでもらうことを楽しいといってもいいのだな。食べられることが普通であり、望ましいとされている“プリン”であっても。」


「んー? アドネってたまによくわかんないよねー!」


「ははは。変なんだ。私は。そうだ、みずき。君のお友達の話を聞かせてくれないか。君のお友達だから、きっと心優しい子が多いのだろうな。」


「みずきみんなのこと好きだよー! せっちゃんでしょ、あっちゃんでしょ、ななちゃんでしょ……」


 それから私は毎日のようにアドネのところに行った。今にも壊れちゃいそうに見えるアドネは、私がハンカチをかけてあげてるからか、壊れてしまわなかった。アドネは私にいろいろなことを聞いた。友達のこと。好きなテレビのこと。好きな男の子のこと。私から答えを聞くとき、アドネはとても楽しそうだった。だから、嬉しくなって、私は本当のことも嘘のことも話した。アドネが笑った話は何回でもした。どんな秘密でも話した。私はアドネといるのが楽しくなってた。もう“アドネがかわいそうだから”なんて思わなくなった。アドネは落っことしちゃったプリンだったけど、そんなことはどうでも良くなった。明日だって、アドネのところに行く。最近は家でビーズのネックレスを作ってるから、アドネにも見せてあげるんだ。



 ***


 学校で噂になっていることは、みんなが考えるよりも、もっと大変なことだった。最近になって瑞樹(みずき)は節子や奈々と一緒に帰るのをやめた。だから、瑞樹がどこかで悪いことをしているという噂が流れていた。でも、瑞樹が節子や奈々を置いて一人で帰るところを追ってみたら、瑞樹は道路に座って、なんと、プリンと話していた。しばらく見ていれば、絵本を読み始めたり、その場でビーズを始めたりする。あいつは頭がおかしいんだろうか。プリンなんて喋るはずないし、喋ってない。でも、そうはいっても、邪魔をしてはいけない気がした。瑞樹は最近一人でいても楽しそうだし、今見ている姿はもっと楽しそうだ。瑞樹の中ではプリンと話すことが普通で、楽しいことなら、それを俺が邪魔するのはおかしいんじゃないか? ただ、今俺の心の中で、なにかがメラメラと燃えている感じがする。バラしたい。みんなに全部バラしたい。それは、俺がプリンと楽しそうに話さないし、みんなもそうしないからかもしれない。でもいけない。そんなことをしてはいけないんだ。そう思いながら、俺は目の前で起きていることを、忘れないようにしっかりと見ていた。

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「あ、プリンが落ちてる……。」 カメラマン @Cameraman2525

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