マルッセル劇場②
「やはりチケットなしで一般人が侵入できるような場所はない…か。」
よじ登っていた柵から飛び降り、軽く両手とズボンについた砂をはたきながら俺はそう呟いた。
ウェスカーさんの友人にチケットの手配をしてもらっている間に俺は、独自に劇場について探ってみようとこの場所にまで来てはみたものの、劇場内へと潜り込めそうな場所など一つも見当たりはしなかった。
何とか劇場内の一部だけでも覗き見ることは出来ないかと劇場の前をうろついてみたりもしてみたが、劇場の入り口の扉は完全に閉ざされており、内部の様子を伺う事なんて到底できそうにもなかった。
そればかりかやたらと劇場前で飴を配っている劇団員の女性とばかり目が合ってしまう。
「いや~今日はどうしてもこの公演が見たかったんだけど、全然チケットが取れなくて…やっぱり人気なんスね。この劇は…」
そう言って俺はその劇団員の女性に向かって頭を掻きながら照れ笑いをしてみたが、その女性は軽く俺を
そうこうしている間に、劇場の中からは続々と人が出てきた。
どうやら今回の公演が終わったようだ。
それを確認した俺はすぐさま観客の元へと駆けよった。
「すみません!マンスリーウォーカーですが、今日の公演はいかがでしたか?」
俺は架空の雑誌の記者を装って、髭を蓄えた恰幅のいい男性に声を掛けた。
「いや~今日の公演も素晴らしかったよ。
ここの劇だけは何回見ても飽きないね!」
その男性はそう言って満足そうな笑みを浮かべていた。
次にインタビューをしたピンクの帽子が似合うどこか気品の漂う女性も、
「とても美しかったわ!こんなに美しいモノがまだこの世の中に残されていただなんて…本当にとても感動したわ!」
とやや興奮気味に答えていた。
尋ねる人尋ねる人がみんなあまりにも感動的な劇であったと口々に言うものだから、次第に俺もこの劇の内容が気になって仕方がなくなっていた。
そんな最中、俺は群衆の中にアレックスの姿がある事に気がついた。
偶然知人に出逢った事で、嬉しくなった俺は、すぐさまアレックスの元へと駆けよった。
「よぉ!アレックス!お前さんも来ていたのか!あれから調子はどうだい?俺もちょうど劇を見に来たんだが、あいにくチケットが手に入らなくてさ~…今日来るんだったら、俺も誘ってくれれば良かったのに。」
嬉しさのあまり、やたらと流暢になってしまった俺への反応も乏しく、アレックスは周囲の人とは異なった妙に浮かない表情をしていた。
劇場から出てきた人々はどれも幸せそうな表情をしているのに、アレックスだけは何故か浮かない表情をしている。
そんな彼と周囲との温度差に違和感を覚えた俺は、アレックスの両肩を揺さぶりながら尋ねた。
「どうしたんだよ!アレックス!劇は楽しくなかったのか?」
するとアレックスは光の消えた虚ろな瞳で、一点を見つめたまま静かに答えた。
「…劇…?」
「そうだよ!劇だよ!
劇を見てきたんじゃないのか?」
俺が再び彼にそう尋ねた瞬間…
「…劇…?…劇…?劇って何だ…?
…分からない…分からない…
…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
あぁぁぁぁぁ!!分からないー!!
分からないー!!あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
分からないぃぃぃぃぃ!!」
突然アレックスは目を見開いてその場にしゃがみ込むと、そのまま大声で叫び始めた。
全身を激しく揺さぶらせながら、激しい呼吸で痙攣を伴いながら叫び続けるアレックス。
その姿はまさに錯乱状態と言っても過言はなかった。
「どうしたんだよ!アレックス!一体何があったんだ!?アレックス!アレックス!アレックス!!」
驚いた俺は先程よりも強くアレックスの肩を揺さぶりながら、大声でアレックスの名前を叫び続けた。
周りの人々は、特にそんな俺達の様子を気にする事もなく、むしろ軽蔑の眼差しを浮かべながら、それぞれが迷惑そうに俺達の横を通りすぎて行く。
「アレックス!しっかりしろ!アレックス!誰か!誰か医者を―――――――…!!」
俺がそう叫んだ瞬間、飴を渡していた女性劇団員がワゴンにあるベルを鳴らした。
ジリリリリリリリ…!!
あの日の夜と同様、けたたましいブザー音が再びアレックスを包み込む。
そのブザーの音を聞きつけて、劇場内から6人の劇団員が駆けつけてきた。
一斉にアレックスを取り囲む劇団員達。
周囲の群衆達も、劇団員の通行の邪魔にならないように、等間隔にきちんと空間を開けながらその様子を眺めている。
「いやだぁ~!いやだぁ~!!あぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁあ!!」
劇団員の姿を見たアレックスはより一層混乱していたようだが、俺が止める間もなく、あっという間に劇団員達に抱えられて、劇場の中へと連れ去られてしまった。
あまりの出来事に衝撃を受けた俺が呆然としていると、後ろにいたご婦人が隣の人に向かってこう呟いた。
「またあの症状…?いやぁねぇ、季節の変わり目になると。これからもあんなのが増えていくのかしらね。」
まるでこの一連の出来事が、ただの普段の出来事でもあるかのように、そんな一言で片付けてしまうこの街の人々のその言葉に、俺はどこか恐怖を感じずにはいられなかったのだった。
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