マルッセル劇場①


「まぁ、せっかくの休みだ。この業界でこんなに長い連休なんて滅多にもらえるようなモンじゃないんだし、ゆっくりと体を休めるといい。昨日の事もあるしな。」


翌日仕事場に行ってみたが、アレックスの体調が整うまではこの現場は休みとなる事が決定したようだ。


ロベルトさんは個別で抱えていた仕事がまだ残っているそうで、もうしばらくはここに通うらしい。


俺はこの休みを幸いにと、取材の為にこの街の中を探索してみる事にした。


いざ歩き回ってみると街の中には、確かにオシャレなカフェや雑貨屋、あとは夕方から開店するバーなどもあったが、どれもこれもありきたりな物ばかりで、これと言って単独で特集を組めるような逸材は見つからなかった。


俺は調査を続けている内に、この街が街の規模の割に極端に娯楽施設という物が少ない事に気がついた。



…娯楽施設…。



そんな事を考えながら歩いていると、気がついた頃にはまたマルッセル劇場の前へとたどり着いていた。


マルッセル劇場の前は、平日だと言うのに

沢山の人々で賑わっている。


「結局行き着く先はここしかないのか…。」


まるで祭りでもあるかのような華やかさ。


その人々の賑わいに誘われてか、気がつけば俺の足も自然とマルッセル劇場へと向かっていた。


「あの…昨日はアレックスがどうも…」


いつも飴を手渡してくるワゴンの女にそう声を掛けてみたが、俺の声は入場を待つ人々の声にかき消されてしまった。


「あのっ…そうだ!俺もチケットが欲しいんだけど…!」


雑然としている喧騒の中、彼女に声が届くようにと、今度は口に手を当てて、少しだけ大きな声で声を掛けた。


すると彼女は首だけをこちらに向け、そして静かに微笑んだ。


その微笑みはお世辞にも可愛らしいとは言いがたく、むしろ仮面みたいに塗り固められた無機質な顔の表情を、無理やり口元だけでひん曲げてしまったかのような、何とも違和感の強い異様な笑みだった。


その微笑みを見た瞬間に思わず凍りついた俺は、情けない事にそのまま固まってしまった。


「…チケットを持ってないなら、避けてくれないかね。こっちはさっきから順番を待ってるんだが…」


「あぁ…すまない…」


後ろから初老の男にそう声を掛けられた俺は

はっと我に返った。


全身に走った震えがいまだに止まらない。


俺は震える肩を抱えつつ、そっとその場を後にしたのだった。



「マルッセル劇場でやっている劇の事かい?」


ブラックの入ったティーカップを俺に手渡しながらウェスカーさんはそう答えた。


「あぁ…今ネットで調べているんだが、どれもこれもチケットが売り切れになってるし、一体あの中ではどんな内容の劇をしてるのかなって。」


手渡されたカップに口をつけ、パソコンの画面とにらめっこをしながら俺は答えた。


「私があの劇を見たのはもう何年も前の事だからあまり内容を覚えてはいないが、何かサーカスみたいな演技をしたり、歌と踊りとかもあったかな。まぁいずれにしても私にとってはどこにでもあるような舞台で、私は別に格段面白いとも何とも思わないような劇だったけどな。」


「何とかその劇を見てみたいんだけど。」


「今は無理だろうな~…一般のチケットもすぐに完売してるみたいだし、ほら最近はになるヤツがやたらと多いだろ?だから座席は常に埋まってるんじゃないかな。」


そう言って、『コレ』という言葉と共に自分のこめかみの辺りを人差し指でトントンと叩いて見せるウェスカーさん。


多分それはウェスカーさん流でいう所の「おかしいヤツ」という意味の比喩なのだろう。


「どうにかチケットって手に入らないかな?」


「私が前に行った時も、友達に連れて行ってもらっただけだからな。まぁ、そんなに気になるんならちょいとソイツに聞いてみるよ。やっぱこの街と言ったらあの劇場だしな。お前さんも帰る前に一度は劇を見てみたいだろうよ。」


「あぁ、是非頼む。あとコーヒーのおかわりも。」


そう言って俺はウェスカーさんに空となったティーカップを差し出した。


この時、何故か俺はウェスカーさんに雑誌の取材の事を伏せていた。


今思えば俺の中のがそうさせていたのかもしれない。


この瞬間から俺はゆっくりと…そして確実にこの劇場の知られざる闇の中へと近づいて行っていたのだった。





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