第26話 風穴に糸を通す

「アイミーちゃん。忙しいのにすまないね。」


 暖かい日差し差し込み、爽やかな風が吹き抜けるデッキ。

 その中央にあるテーブルを前にして、ハンバーラー公爵は朗らかに笑った。

 アイミーは反対側の席に座るよう促されると、一礼し、そっと席に着いた。

 すると、ハンバーラー公爵の従者が現れ2人の前に皿と湯気が立ち上るティーカップが並べられる。


「アイミーちゃん。甘いものはお好きかい?」


「はい。人並みに、程度ですが。」


 その返答にハンバーラー公爵はニコニコと笑う。


「それは良かった。ちょうど菓子職人が試作品を持って来てね。こんなオッサンよりも、若い子の意見が知りたいからさ、アイミーちゃんにも食べて欲しいんだ。」


 ハンバーラー公爵家は代々、自領の職人達の育成に力を入れている。腕の立つ職人達にはそれ相応の保証がなされ、また商品の構想はあるものの、費用がないと言う職人には積極的に投資を行っている。

 故にハンバーラー公爵は投資するに足るかどうか審査を行うのである。これはその審査なのだろうとアイミーは理解した。


「頂きます。」


 アイミーの目の前の皿の上、そこには純白な立方体のケーキが乗せられていた。


「アモン・ブロン……。」


 アイミーは少し嫌そうな顔をする。


 アモン・ブロンとはハンバーラー公爵領の古くからの郷土料理である。特産品であるパンザーミルクから作られるパンザークリームを外側にふんだんに塗り、同様にして作られるパンザーチーズがふっくらとしたスポンジの間に薄い層となっている。


「その顔! 毒味役の従者も同じ顔をしていたよ!」


 ハンバーラー公爵は愉快そうに笑う。

 アモン・ブロンは万人に好かれる料理では決してない。むしろ好物だと言う人間は極少数である。その要因とはパンザーミルクのクセの強さであった。ミルクの風味が重厚。舌にまとわりつく様に口内にその風味が残ってしまうのである。そのクドさから、吐き気を催す者までいるほどだ。

 この料理が考え出されたのははるか昔。起源とする料理はパンザーチーズとパンザーミルクを煮立て、それをパンに浸して焼いたもの。なぜそんなものが生まれたか。それは飢餓により苦しんだ民達が栄養価は高いが飲料として用いるには厳しいパンザーミルクをどうにか活用しようと試行錯誤した結果だと言う。そのためパンザーミルクからなる乳製品を多く使い、旨さを捨て栄養を重視した料理となったのである。ケーキという程をなしたのも、ミルクの風味を甘味でごまかそうとしたという経緯からである。


 アイミーは恐る恐るフォークで白い立方体をえぐる。そして、ゆっくりと舌の上に置いた。

 口に広がったのはドンッ! と重くのしかかる様なパンザーミルクの強烈な風味。一瞬で鼻にまでその風味はかかり、鼻式呼吸を躊躇ってしまう。

 だが舌を転がした瞬間、弾けたのは爽快感の伴うフレッシュな酸味であった。それまで充満していた風味を洗い流すように広がった酸味が爽快感を残し、鼻から外へと突き抜けて行く。

 アイミーはもう一口、口へ放ると今度はすぐに舌を転がした。

 最初に来るのはミルクの風味。強烈なインパクト。そして、そのインパクトを攫うように酸味が鋭く突き刺さり鼻を抜ける。

 アイミーは初めてパンザーミルク本来の旨味を知った。この一品はこれまで日の目を浴びる事のなかったパンザーミルクの旨味をこじ開けたのだ。


「スポンジとパンザーチーズの層とは別に、もう一つ層がありますね。これが酸味の正体ですか?」


 アイミーが尋ねるとハンバーラー公爵は微笑んだ。

 アモン・ブロンの断面。パンザーチーズの層の上に黄色の層ができていた。


「イエローベリーのジャムだよ」


「なるほど。またクセの強いものを持ってきましたね。」


 アイミーは微笑んだ。


 イエローベリーとはサラディアでのみ栽培されている黄色い小粒の果実である。その最大の特徴は鼻を突き抜ける爽快感の伴ったフレッシュな酸味。故にサラディアではフルーツとしてではなく、鼻づまり解消・酔い覚まし・覚醒作用などの生薬として用いられている。


「正直、この料理すごく美味しいでしょ? サラディアと国交を結ぶことで生まれた料理。感慨深いよね。」


ハンバーラー公爵はサラディアと多くの商人を行き来させている。西端にあるハンバーラー公爵領がサラディアに行くためにはパスタリア帝国を横切るか、ブレッディーを経由するかである。

覚えているだろうか、ハンバーラー公爵夫人が亜人都市クロワスを建築する手助けとして職人を多く派遣した事を。その見返りとして商人の通行税を免除させた事を。その意味するところは東側との中継点をブレッディー子爵領に作ったという事である。



「それに……。」


 そして、ハンバーラー公爵の目が鋭くなる。声のトーンも低くなり、その場の空気を変えた。真面目な話をするのだと、アイミーは身構える。


「戦争って、言わば文化の壁に風穴を開ける行為なんだ。その穴からは新しい風が吹き抜ける。新しい発展をもたらしてくれる。私が主戦派に属する理由さ。」


 そう言うとハンバーラー公爵は熱気立ち昇るティーカップに優しく息を吹き付ける。


「文化……。ですか……。」


「国が違うから文化が違うのか、文化が違うから国が違うのか。どちらが真意なのかはわからないけど、文化に対し強い意識を持つ国はとても強い。」


 ハンバーラー公爵の目が更に鋭くなった。

 この時、アイミーはハンバーラー公爵が自分を自室に呼びつけた理由を理解する。試食などではなく、忠告をするためなのだと。


「1世代前の皇帝が、どうやってユーマン教の諸国家に対抗しようとしたのかは君もわかっているはずだ。」


 歴史の浅いこの国が異教を唱えながらも繁栄していった理由。それは徹底的な排他的主義であった。亜人はもってのほか、多民族・多人種を一切の例外なく迫害する事でパスタリア人の結束を強め、尊厳を確かにする。その結束が個々の意識を高め、戦に勝ち続ける毎に選民思想的解釈により、かえってマイノリティであることに優越を抱くようになった。

 つまり、"異"を排斥する事で文化・意識を統一し、国の土台を強くしたのだ。

 では、なぜ今の帝国が"異"を受け入れようとしているのか。それは現皇帝がその土台の上にさらなる強さを築こうとしたためである。


「亜人やエルキスは幅を利かせ過ぎているとおっしゃりたいのですか?」


 アイミーはテーブルに両肘を付け、顔前で手を組むとハンバーラー公爵を威圧するように見つめる。


「まさか。統一しろと言いたいのだよ。クロワスは各種族の族長を頂点とする自治区で分けていると聞いた。 住む場所を区分けする事で余計な衝突を避けられるという利点もある。彼らの慣れ親しんだ統治の仕方をさせているから戸惑いも少ない。だが亜人達にも尊厳が生まれてきた中でこれは逆効果ではないか?」


クロワスはエルフ自治区・ドワーフ自治区といった各種族の自治区で区分けされている。自治区ごとにアイミーの裁量の元、種族ごとの秩序で統治させているのだ。メッツァルナ本部のある中心部は中立区であり、多くの亜人で賑わっていたマーケットはここに位置する。


「……。クロワスは数多ものピースを形が合うように当てはめただけ…… という事ですか。文化を統一し、姿形や習慣が違えども仲間だと意識させるように仕向けなければならない。そうしなければ、時が経つにつれ"その差"がストレスとなり対立を招く……。」


「年若いジェイクは知ってか知らずか、これを体現していたよ。本当に恐ろしい男だ。」


 ハンバーラー公爵は朗らかな表情に戻り笑みを浮かべる。


「エルキスですか……。確かに大多数の苗字が統一された事で多民族でありながらも連帯感が生まれている……。」


 アイミーは深く考え込むように視線をティーカップに向けた。

 クロワスはマルゲルークとは違い異種族を束ねている。難易度はこちらの方が高いであろう。強いまとまりを生むものが好ましい。だが、統一を強制的に行えば元も子もない。


「私は亜人文化には詳しくないからなんとも言えないが、長い目を向けて浸透させるって手もある。挨拶とか、礼法だったり習慣化しそうなものでも良いかもね。」


 ハンバーラー公爵の言葉にアイミーはなるほどと相槌を打つ。

 するとハンバーラー公爵の従者が部屋に入ってきた。どうやらリサの準備が整ったらしい。


「大変参考になりました。貴重なご忠告ありがとうございます。」


 アイミーは立ち上がり、深く礼をする。


「いやいや、こちらもアイミーちゃんのお陰で新しい風が良く吹き込んでくるからね。たまにはこちらからも吹き返してあげないと。それとリサの事、よろしくね。」


 アイミーは優しく微笑むと部屋を後にしようとする。だが、その木製の大きな扉を前にして、アイミーはハンバーラー公爵の方へと振り返った。


「アモン・ブロンですが。ジャムだけではなく、イエローベリーのドライフルーツあるいは砂糖漬けを入れては如何でしょう? 無作為に入れて食感の変化と不意に来る酸味を楽しむ。」


 ハンバーラー公爵はなるほどとその目を輝かせた。


 *


「あ、アイミー? これで、どう?」


 外に出るとそこには醜女がいた。だが、先程とは見違えて髪に油のテカリはなく、肌も本来の白さを見せる。服装も清潔感のある綺麗なものへと着替えられていた。


「シヴァ。お前の判断に任せる。」


 アイミーが言うとシヴァは嫌々ながらも鼻を啜った。

 その光景を見てか、リサの鼻息が荒い。


「正直、体臭とかは少し残ってるけど、3日もすれば落ちると思う。とりあえず問題はない。あ、香水は逆効果だと思う。」


 リサはその言葉に興奮しながら両頬を骨と皮だけのような細い手で押さえる。


「クロワスに帰るぞ!」


 アイミーが叫んだ。

 一団はハンバーラー公爵領を後にする。リサの荷物が積まれた馬車の数々、まるで蛇のように長く列をなしていた。



 そして、1週間を経る。リサが越してきて荷物の整理などがひと段落した頃のこと、アイミーはリサを呼びつけた。そこにはジルナルドやシドー、各種傭兵長とシヴァやフラール・ラークとキーンなどの主要メンバーも集まっていた。

 多くの亜人を前にしてリサはこの上ない興奮を覚え奇行に走ろうとしたのだが、契約を思い出し必至に堪える。


「リサ、これを見て欲しい。」


 アイミーが見せたのはワーウルフの爪と牙であった。そして、事の経緯を話す。


「なるほど、つまりワーウルフがやったのかどうかを私に聞きたいわけね。」


 リサの雰囲気が変わった。これまでのが嘘のように流暢に話す。


「とりあえず、この証拠からワーウルフだとは断定できない。」


 皆が一様に騒ついた。そしてその根拠をアイミーは求める。


「素人目にはわからないだろうが、この爪と牙。どちらも剥がれて数年以上経過している。おそらく、私の所有しているものと同じ6年前に流通したもの。」


 その言葉を聞いて、やはり皆の視線がシヴァを向いた。シヴァの様子がおかしいことにすぐに気づく。


 シヴァは目を大きく見開き、息を吸っては吐いて、なにかを必死に抑え込もうとしていた。両の拳に力が入っている。

 6年越しに現れたワーウルフの痕跡が、仲間の遺物であったのだ。シヴァの心には相当の負荷がかかっているのだろう。


「おい……。大丈夫か?」


 フラールは恐る恐る声をかける。


「大丈夫…… だ。続けてくれ……。」


 シヴァの息はまだ荒い。だが、アイミーはリサに話を続けさせた。


「そもそも、ワーウルフはヒトと住む世界が完全に隔離されている。それは強い種族とは決して言えないからだ。だからこそ希少価値が付き6年前、貴重なこれらを買い揃えるのにだいぶ苦労した。そんなワーウルフがヒトを殺すために降りてきたとして、易々とポターゼの一都市をバレずに襲うなんて不自然だ。」


 そしてまたリサは口を開く。


「だが、これはワーウルフ単体の仕業ではないと断言しただけに過ぎない。ヒトを喰うと言うところに私も引っかかる部分がある。誰かがワーウルフを匿い生活を保証すればできない事はない。」


 ラークが呆れたように口を開く。


「ややこしいな……。結局、唯一の手がかりがミスリードだったって事だろ? 何も進んじゃいねぇってわけだ」


 場の空気も沈んでいく。


「時を待ちましょう」


 ジルナルドが呟いた。


「そうだな。敵ならばまた何かをする可能性は高い。それまでしっかりと準備をしよう。我々には情報が少な過ぎる。亜人の情報を集めよう。」


 アイミーが言った。するとドワーフ種傭兵長である豪快な髭を生やした男が口を開いた。


「亜人の情報? 我々から聞けば良いのではないか?」


「もちろん。だが、別種族の情報は対して持ってはいないのだろ?」


 アイミーが答えると、人馬種傭兵長のバサスが新たに問う。


「その情報を収めている場所とは一体どこです?」


 その問いに反応したのはエルフにしては屈強な種兵長である。エルフ種傭兵長は長い前髪をいじりながら冷静に答えた。


「パスタリア以上に亜人と長年敵対し、迫害してきた国があるじゃないですか……。」


「なるほど、ユーマン教。サラディアか……。」


 顔の中心に深い一本の切創が刻まれたリザードマンの種傭兵長は呟いた。

 ザワザワと会話が飛び交うと、アイミーは場を静かにさせる。


「リサを連れてサラディアへと向かう。メンバーの厳選はジルナルドに任せる。シヴァも連れて行け。」


「承知しました。」


 ジルナルドが一礼すると、アイミーは解散を宣言した。


「あ、アイミー。これ、私にくれない?」


 リサの口調は元に戻っていた。リサが指差すのはワーウルフの爪と牙である。

 そんなリサにアイミーは馬鹿か?と呟いた。


「シヴァ。お前が引き取るか?」


 アイミーが尋ねるとシヴァはアイミーを直視する。

 シヴァの呼吸は元に戻りつつあるが、まだその目は戸惑いを見せている。


「あ、私が所有してる毛皮とかも全部……。か、返すよ……?」


 こんな状況を見て、シヴァが6年前の生き残りだと察しないわけがなかった。リサは葛藤しながらも亜人との関係を構築するために気を使う。


「……。いや、いいよ……。墓も作った。魂も祀った。鎮魂の儀も……。それには何も…… 宿ってはないよ。」


 そう言うとシヴァは部屋を出て行く。

 シヴァは事実を知ってから、一度も爪と牙を見ようとはしなかった。そのことにアイミーは違和感を覚えつつも、シヴァにかける言葉を上手く見つけられずにいた。


「アイミー。少し話があるの。」


 リサの口調が流暢になる。その目は迷いなく、真面目で真っ直ぐな目であった。



 〜〜リサの調査記録〜〜

 vol.2

 アイミー=テイラー 種族 ヒト

性別 ♀

 年齢 18歳(26話時点)

 身長 151.3cm 体重 44.1kg

 出身 マルゲルーク領 ××××


 白銀の髪と黒色の瞳を持つ美しい女。

 金欲の魔女。金の亡者。金儲けのことばかり考えており、それが行動理念となる女。だが、一回きりの一攫千金的な金儲けは趣味ではないらしく、長期間金を生み出せるようなものを好む。血も涙もない恐ろしい女であり、内面が最悪なだけに恵まれた容姿を持っていることが何よりも腹立たしい。

 だが、この国で唯一亜人の素晴らしさを理解したその眼力は褒めるべきものである。

 私も飼われている身だが、亜人学者としてこれ以上の環境はない。彼女は相互に利のある関係を築くことで信用を高めているのかもしれない




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