第25話 先見を語らう

 ジェイクがその重い首を上げる頃には、日は深く傾き空を美しく染め上げていた。まるでジーラがありがとうと照れて頬を赤く染めるかのように、懐かしい空であった。

 ジェイクはジーラの墓に背を向けると、俯きながら立ち去った。やはりその足取りは重く、一歩一歩惜しむように大地を踏みしめている。

ジェイクはジーラと一年に一度しか会わないと心に強く誓っていた。この後悔を一生背負うことこそが唯一の贖罪だと信じているからだ。


「また来るよ……。」


 ジェイクは小さく呟いた。

 そして、屋敷の方向へと歩いていく。


 マケローナ公爵は屋敷の傍にある色とりどりの花が咲く花壇の前で、椅子に腰を掛けながら、ジーラとの対話が終わるのを必ず待ってくれている。そんなマケローナ公爵の前まで出向き、一礼するのが恒例であった。この時が唯一マケローナ公爵を義父と思う瞬間であり、マケローナ公爵にとってもジェイクを義息と思う唯一の時である。

 お互い何も話さずに終わるはずのその時、だが今年はそうはならなかった。


「話がある……。ここに座れ。」


 マケローナ公爵はゆっくりと言った。

 ジェイクは顔を上げ、驚いたらしく目を丸くするが、すぐに白色のテーブルを挟んでマケローナ公爵の向かいに腰掛ける。


「セロル家当主として、テイラー家当主と帝国の未来について話さねばならない……。」


「私は分家の家系ですよ? それに今は当主の座はミルタに渡しています」


 ジェイクの言葉にマケローナ公爵は呆れたように言い返した。


「ライシー伯爵は本家としての力を持とうとしないでは無いか。まぁミルタと話しても良いが、私の納得のいく答えを彼奴は出せないさ、彼奴はまだ青い果実。まだ渋い。」


 ジェイクは諦めたようにマケローナ公爵に要件を問うた。


「お前の影響を強く受けた帝とテイラー家は一体何を目指している? 革新派のテイラーと保守派のセロル。昔から事あるごとに対立してきた。少なからずこれまでは意図が理解できた。だがな、今回ばかりは理解できん。この国の、帝国の状況がわかっているのか?」


「帝国は四面楚歌。だから保守的になって状況が変わるのを待てと仰るのですか? 実際、神聖ラーモンの砦を打ち破って停戦協定を結ばせたのは亜人とミルタです。」


 2人の会話は徐々に熱を帯びていく。


「ラーモンもパスタリアも他の隣国で手一杯。協定は結ばずとも、事実上の停戦状態になっていた。ラーモンが未だ攻めてこないのは、その砦に価値が無いと判断したからだ。」


「では、サラディアは? あれの懐柔は完全にミルタとアイミーの手柄だ!」


「サラディアは信用に足る国なのか? 革命によって、信仰を捨てきれない反パスタリア派と親パスタリア派の二面性を持つ国に変わってしまった。この先あの国がどうなるのか読みづらくなったのだ。下手に国交を結んだ事で、こちらの情勢が他国に流れるルートを作ってしまっている。それが問題なのだ。結局、四面楚歌を脱したように見えて、現状に変化は一切ない。」


 ジェイクはおし黙る。その様子を見てマケローナ公爵は更に続けた。


「この国が帝国と名乗り、他国を押しのけ、強国となって100余年。先人達の努力が身を結び、黄金時代が来ようとしている事はお前なら気がついているはずだ。ミルタやマザックを筆頭に優秀な若者が多く現れたのだ。ならば、彼らのために土壌を整えてやる事が帝国のためであろう?」


 ジェイクはそっと言葉を放つ。


「帝と私はそれでは足らないと判断したのです。確かに優秀な若者を手厚く育てる事は大切です。ですが、今ある帝国の持ち札はとても少ない。そんな中、ユーマン教という纏まりがある国々と、どのように戦うか。無理矢理にでも文化を発展させ、持ち札を増やさなければ、真の強国とは成り得ない。この世界を獲る事は決してできない。」


 マケローナ公爵は悩みながら口を開く。


「なるほどな……。世界を獲るか……。」


 マケローナ公爵は老いぼれた瞳をジェイクに向けた。


「我々は帝国。帝国は唯一無二でなければならない。ならば、恐れず前に進むべき。そう言いたいのだな。」


「はい。リスクが高い事は百も承知です。私は帝国の崩壊の可能性も十分あると考えています。皇帝も最初は渋っていました。ですが、テイラー家とセロル家は言わば隠と陽の関係。セロル家が内を見ていてくれるから、我々は外を見れる。貴方がいれば、最悪の結果は有り得ない。帝が決断できたのもマケローナ公爵が居てこそですよ。」


 マケローナ公爵は溜息をつく。表情は少しばかり嬉しそうであった。


「こんな老いぼれに何を期待してるのやら……。死ぬまでこき使うと言うのなら、この目、今まで以上に光らせよう。」


 マケローナ公爵は屋敷の中へと戻っていく。その老いた背中をジェイクは真っ直ぐに見つめていた。


 *


 とある一室。そこには膨よかな女性と男性がいた。


「あらやだ! アイミーちゃんどうしたの⁉︎」


「とうとう来たのだよ……。この日が……。」



 ここはハンバーラー公爵の屋敷。珍しい事にこの屋敷の敷地内には庭園などはなく、木々も数本ほどしか植えられていない。だが、大小様々な建造物が軒を連ね一つの街のようであった。

 その中の一際大きな屋敷。その一室ではハンバーラー公爵とその夫人が優雅にお茶を飲んでいる。

 ハンバーラー公爵は膨よかな体型をしており全体的に丸みを帯びた茶髪の男。その表情も柔らかく、どこか安心感を与えるような面立ちであった。


「まだ娘さんを連れ出すとは決まってませんよ……。今どちらに?」


 アイミーが苦笑いで言うと、ハンバーラー公爵は呆れたように答えた。


「研究室とやらに相変わらず篭りっぱなしさ。……。案内が必要だね。」


 ハンバーラー公爵が言うと夫人が元気良く立ち上がり手を真っ直ぐに上げる。


「案内は任せたよ。娘と話が終わったら、ここに戻ってきてはくれないか? 話がしたい。」


 ハンバーラー公爵は和やかに言った。

 アイミーは"わかりました"と返事をすると部屋を後にする。


「エルキスだけ付いて来い。」


 屋敷を出るとアイミーは団員達に淡々と言った。

 ラークがその理由を問うと、アイミーはまた淡々と答えた。


「今から行くのは亜人学者の部屋だ。お前達にとって不快な空間。理由はそれだけだ。来たいと言うなら止めはしない。」


 そう言うとアイミーとエルキス達は歩き始める。亜人達は嫌悪感を抱きながらその場に佇んでいる。そんな中でその足を動かしたのはシヴァとネルであった。


「いってらっしゃ〜い。」


 ラークはその2人に向かって戯けたように手を振った。



「お前らよく来たな……。」


 シヴァとネルは一団の最後尾に着くとキーンが物好きだなと言いたげな目をして話しかけて来た。


「私は別に。」


「今更なんだよって感じだよ。」


 2人の言葉にキーンはふーんと軽く返事をする。

 そして、夫人の案内の元。たどり着いたのは一際ボロい木造の、民家の様な建物であった。夫人はノックもせずに扉を開けると、一同を襲ったのは強い刺激臭であった。

 エルキス達は一瞬怯むと、即座に自身の衣服などを切る。そして簡易的なマスクを作り着用した。

 鼻の良いシヴァはその場で咳き込み嗚咽している。


「勝手に入ってくるなぁ!!」


 臭いの発生源から女のヒステリックな叫び声が響く。


「あら、生きてた。お客さんよ!! アイミーちゃんがいらしたのよ!!」


 夫人が叫ぶとたちまち奥から本など様々な物が崩れ落ちる音が聞こえる。

 さらに陶器が割れる音。するとドタドタと何かが凄い勢いで迫ってくる。


「ア、アイミー……。私を迎えに来てくれた……?」


 現れたのは骨と皮しか無いのではと思うほどに酷く痩せた女性。その茶色の長い髪はボサボサで酷く痛んでおり、肌も酷く荒れてガサガサ。目も充血している。もはや歳も見た目ではわからない女は、アイミーの前に立つと歯にこびりついた歯垢を晒し笑った。それは一種の亜人の如き醜女であった。その女が現れたと同時にカビやホコリ・汗などの混ざった匂いが皆の鼻に届いた。


「その通りだリサ。迎えに来た。」


 アイミーが珍しく作り笑いに失敗し、頬がヒクついている。

 リサはその言葉を聞くと、グォフフと低く興奮を漏らしながら笑った。

 その笑い声にエルキス達は嫌悪感を露わにする。それは男に取って受け入れがたい異性の姿である。


「だが、気が変わった。」


 そうアイミーが言うとリサは"え?"と驚いた。


「簡単だ。風呂も入らない、飯もまともに食わない。そんな汚い女を信用できるわけがない。ましてや部屋の整理もできないのだろう? こちらが大金叩いて買った書物を無下にするかもしれない。そうなればこちらにメリットがない。」


 リサは醜く泣いた。


「だが、条件をやろう。」


 リサはピタリと泣き止んだ。


「1.毎日体を清潔に保て。2.食事をしっかり取り、脳を存分に働かせろ。3.研究成果の所有権は全て私のもの。4.亜人と良好な関係を築き、それを崩さないこと。5.ミルタの正妻となり、30までに子を作ること。

 この5つの内1つでも無視すれば即刻退去だ。どうする?」


「ミルタの妻……。まぁ、もうしょうがないか……。」


 リサの言葉に驚いたのは若いエルキスとシヴァだけであった。ネルは興味なさげである。

 リサは条件3よりも5を懸念したのだ。そもそも5の条件すら驚きである。


 何を隠そう、この条件5の意味することがハンバーラー公爵がテイラー家を敵に回せない理由であった。そう。ミルタはリサに惚れているのである。リサは完全なる醜女であるため、貴族からの貰い手などあるわけがない。ミルタが唯一の貰い手なのだ。そして、ミルタは他民族とのハーフという点を除けばリサには勿体ない程の好条件。何としても結婚させようとしたが、当の本人であるリサが嫌がったのだ。それは2年前の話。それ以来、ミルタはリサと会っていない。


「決まりだな。では、その汚い体と匂いを削ぎ落としてこい。取れるまで洗い続けろ。」


 そう言い残すとアイミーは踵を返し、ハンバーラー公爵の元へと歩くのだった。


 そして、ふとシヴァとリサの目があった。


「ワァーウルフゥ♡」


 リサはグォフフと笑う。

 シヴァの全身の毛が逆立った。匂い以上に強い衝撃を放った言葉と視線にシヴァは腹の底から湧き出るような吐き気を催す。


「ネ…… ネル……。吐きそう……。助けて……。」


 ネルは溜息をつくとシヴァの頭に手をそっと置いた。そして、ゆっくりとシヴァの瞼は閉じられていく。シヴァの意識は完全に奥底へと沈んだ。


「コラッ!! 早く体洗って来なさい!!」


 ハンバーラー公爵夫人はリサに怒鳴りつける。


 リサはグォフフと笑いながらスキップでこの場を立ち去るのであった。


「成長するにつれて、痛さが増すなぁ。」


 キーンがそう呟くと皆一同に顔を硬ばらせ、ぎこちなく笑うのだった。




 〜〜リサの調査記録〜〜

 vol.1

 シヴァ=ハンズ 種族 ワーウルフ

性別 ♂

 年齢18歳(25話時点)

 身長 174cm 体重 40.5kg

 出身 マルゲルークとラーモンとの境にある樹海の中の辺鄙な谷。


 黒灰色の毛を全身に生やした半狼。牙や爪の切れ味は鋭く、簡単に獲物の肉を切り裂いてしまう。ヒトを超越したスピードを持つ。だが、総じてパワーが低く直接戦闘には不向きである。獣並みの感覚を有するが、それが弱点となる事もある。

 6年前の亜人狩りを生き残ったワーウルフであり、家族や仲間は皆殺しにされている。その事から、ヒトを嫌悪していたがメッツァルナの活動によりヒトを理解する事で少しずつ変化が生じている。現在はその過程で葛藤があるようで、浮かない顔をする事が多い。

 メッツァルナでは主に索敵と暗殺に従事しており、一般的な傭兵業務ではなくアイミーやミルタの側に置かれることが多い。ワーウルフが一体しかいないという事もあり、その稀有な能力から、局面的な使われ方が主である。

ワーウルフの資料が少なく、当記録にはワーウルフの生態は割愛する。

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