◆第五章-それでも心は痛む

*師匠と弟子

 こいつは参ったことになった。カイルは打開策を練るも、少しも見いだせなくてうなだれる。

 痛みで外した後悔など、あとでいい。

「くそ。まだ持ってくれよ」

 小刻みに震える手を見る視界がぐらつく。受けた傷は深く、予想を上回る血液が流れ出している。このままではやばい。

「おい! 出てこい! 出てこないと、こいつを殺すぞ」

 敵もこの状態を限界と感じている。

「仕方ねえな」

 カイルは溜め息を吐き、持っていたハンドガンを男が見える位置に転がす。そうして、手を挙げながらゆっくりと立ち上がった。

「なんなんだよおまえ! 俺たちの計画を邪魔しやがって!」

 男は叫びにも似た声を上げ、カイルと掴んでいる船員に交互に銃口を向ける。

「目的はなんだ」

「金に決まってんだろ」

 まあそうだよなと納得する。突発的な計画だったんだろう、人数も度胸も足りてない。

 度胸の据わった奴じゃないのはすでに承知だが、こうも狼狽されるとこちらとしてもやりづらい。

 銃の扱いに慣れた人間も軍関係者も乗っていなかったことはこいつらの運の良さなのかもしれないが、俺が乗っちまっててすまないなと皮肉めいた事を心中でつぶやく。

「なあ、おまえ」

「なんだよ!」

「一人でどうするつもりかな」

「何がだよ!」

「長引くのもなんだし、人質を犠牲にしようかなって」

「なっ──!?」

 男だけでなく、人質にされている船員も青ざめた。

「痛い思いはしたくねえだろ? 大人しく降参してくれると有り難いんだが」

 多くを救うための犠牲は、いつでもついてまわる問題だ。これほど今の状況にぴったりなものはない。

 船員は助けてとも言えず、恐怖を貼り付けた顔でカイルを凝視していた。

 自分さえ犠牲になればみんなが助かる。でも死にたくない──そんな思考がぐるぐると頭の中を駆け巡っているのだろう。

「ハッタリだ」

 普通、そんなことをわざわざ言うか!? 脅しだ。出来る訳がない。そう思ってはいても、カイルの鋭い眼差しがたまらなく怖い。

 こいつならやるかもしれない。こいつならやる。死んでたまるもんか!

「うわあー!」

「うるせえな」

 男の叫び声に顔をしかめ、立て続けに浴びせられる銃弾に当たらないようにと体勢を低くしてナイフを手にタイミングを計り、今度は外さないようにと慎重に走らせる。

「うぐっ!?」

 男は胸に軽い衝撃を感じて立ち尽くす。深々と突き刺さっているナイフを見下ろし、ゆっくりと後ろに倒れた。

「まったく。とんでもない船旅だ」

 ようやく終わったとへたり込み、深い溜め息を吐く。

「あ、ありがとう」

「ああ、無事で良かったな」

 駆け寄った船員に笑みを見せ、薄らいでいく視界に血まみれの腕を見つめる。

「やべぇな」

 どうにも力が入らない。

 まあ、一人でよく頑張った方さ。誰かが褒めてくれたらいいけどな。あいつは怒るかもしれないが、怪我人には優しくしろよな。

「おい、大丈夫か! おい!」

 船員の声に休ませてくれとつぶやいて、カイルは意識を遠ざけた。



 ──三日後

「カイル」

「よう。戻ってきちまったのか」

 病室に顔を出したベリルに軽く手を上げる。

「何を言っているのか」

 当然でしょうと頭を抱える。

 旅先でハイジャック事件のことを聞いたベリルは取り急ぎ戻ってきた。本人は元気そうにしているが、状態はあまり良いとはいえそうもない。

「傷は」

「あー。当たりどころが悪かったみたいでな」

「そうですか」

 笑って答えるカイルに眉を寄せる。ベリルは先に主治医の元へ行き、怪我の状態を伺っていた。

 そこで医者の説明と見せられたカルテに目を眇め、今後について軽く話し合ってきていた。

「そこの端末取ってくれねぇか」

 ナイトテーブルに置かれているスマートフォンを手に取りカイルに手渡す。カイルはそれを受け取ると、扱いづらい左手でどこかに電話をかけた。

「──カイルだ。大丈夫だよ、命はある」

 まるで自分の到着を待って電話をかけたようで、ベリルは怪訝な表情を浮かべた。

 しばらく世間話をしたあと、

「ベリルだがな。十八になったら独り立ちする」

「カイル?」

「まだ早いかもしれねえがまあ、いけるだろ。俺とお前で見届ける。──ああ、また連絡する」

「何を言っているのです」

 端末を手渡され、顔をしかめつつナイトテーブルに戻した。

「お前のことだから先にカルテを見たんだろ」

 互いに知った性格だ。隠し事をするようなものでもない。

「前と同じようには動けねえとさ」

 残念だが元の仕事には戻れない。

 溜息交じりにつぶやいたカイルに、ベリルは苦い表情を浮かべた。

「本当に大人しくしていない人ですね」

「え、これ俺のせい?」

「あなたがトラブルメーカーだという事を忘れていました」

 私は何故、彼から離れてしまったのか。目の前の事に、どれほど浮かれていたのかを痛感させられる。

 予言者や占い師ではないにせよ、悪い予感くらいはあっても良さそうなものだ。占い師は自分のことは占えないとは言うが今さら、反省のしようもない。

「俺のせいなの?」

「私を拾った事から解っていたというのに」

「お前、自分をトラブルだと思ってたのか」

 やれやれと頭を抱えるベリルに眉間のしわを深く刻んだ。

「違いますか?」

「そうだって言えるかよ」

 困惑しているカイルを見やり、彼が納得しているのならとベリルは了得りょうとくした。

 ハイジャックで死人が出たのは犯人の一人だけだ。乗客に重傷者はいたものの、命に別状はなく最も酷い怪我をしたのは犯人たちと闘ったカイルである。

 乗客にとってはまさに救世主だ。

 カイルにとって、乗客が無事であったことが一番の喜びだ。

 何を置いても相手を思い遣る。それが彼の良いところでもあり、尊敬するところでもあるのだが少々、向こう見ずな性格に頭を抱える。

 犯人も殺さずに対処出来ていたらと考えはしても、あの状況ではあれが精一杯だったと理解している。

 ただし、この状態は良しとはいえない。後遺症が残るほどの傷を負ったことに、ベリルは怒りを禁じ得ない。

 日頃、あれだけ私には「慎重に、なるべく怪我はするな」と言っておいて、このざまとは笑い話にもならない。

 私の歳を考慮しての言葉なのは解っていても、素直に彼の行動に賞賛は出来かねる。

 そう思えど、もしこれが自身であったなら、彼と同じことを私もしたのだろう。それに否定は出来なかった。

 師匠が師匠なら弟子である私も私だと溜息が漏れる。

「可愛くねえ弟子だぜ」

 落ち込んでいたり悲観しているのならまだしも、カイルは自分のしたことの結果を納得し受け入れている。

「そんな頃があったのですか」

「初めの頃は子犬みたいだった」

「真顔で言わないでください」

 それならば、私からの余計な言葉は必要ない。

「もうすぐ十八だろ」

「はい」

「俺とジェームスがお前の独り立ちを見届ける」

「しかし」

「お前を教えられる奴なんて、もういねぇよ」

 そうは言われても、突然の事にベリルは当惑する。こちらとしては、教わりたいことはまだまだあったのだから。

「どっちみち、そろそろ独り立ちさせる気でいた」

「あなたがそう決めたのなら、私はそれに従います」

 経験の浅さは知識でカバーするしかない。旅行どころではないなとすっぱり諦めて次へ意識を切り替えた。

「不安はあるだろうがよ。俺がいなくなる訳じゃねえし」

 聞きたいことがあるならいつでも相談に乗るぜ。

「解りました」

「まあ、しばらくはリハビリもあるし入院生活だがな」

 呑気に発したカイルを見下ろす。

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