*絶句に次ぐ絶句

 ──アメリカ合衆国、ノースカロライナ州フェイエットビル。

「軍人家族にとっての世界初の聖域」を二〇〇八年に宣言した町だ。

 フェイエットビルは、アメリカ独立戦争のときにアメリカ大陸軍と共に戦ったフランス軍人ラファイエット将軍の名に因んで付けられた最初の町である。

 愛称の一つにミリタリータウンがあるのも頷ける。

 ベリルは一人前になるまではと、カイルの勧めでここフェイエットビルにある彼の自宅に同居している。

 それに、最もありがたがっているのはカイル自身ではあるのだが、家事全般をこなしてくれているベリルには頭が上がらない。

 ベリルの名もそれなりに広まり始め、仕事も安定してきた。

 これから増えてくるであろう要請の前に、兼ねてからの一人旅を実行するためベリルはボストンバッグを肩に立ち上がる。

「気をつけて行ってこい」

「はい」

 玄関の扉を開いて右斜めにある駐車場のシャッターが、キーと一緒についているボタンを押すと自動で上がっていく。

 そこには、オレンジレッドのピックアップトラックの隣に、ブルーで同じ型の車が駐まっていた。

 カイルの車に慣れていることもあり、ベリルは自分用にも同じ車を選んだ。

 ベリルはもうすぐ十八歳になる。ノースカロライナ州では十八歳で成人とみなされる。その前に、特に理由はないが目的地を定めない長旅に出ることにした。

「旅先で俺に仕事が入ったことを聞いても、戻ってくるんじゃねぇぞ」

「何故です」

 普通は戻ってくるものだとカイルの言葉に当惑した表情を見せる。

「いいから。すぐに帰ってくんなよ」

 念を押されて仕方なくそれに頷き車に乗り込んだ。手を振るカイルに目で応え、バックミラーに遠ざかる影を認める。

 初めての長旅に、ベリルの口元は自然と緩む。

 どんな場所で、何と遭遇するだろうか。ディスプレイ越しでなければ得られなかったものを、とうとうその手に掴むことが出来る。

 海の大きさにも驚き、海水の塩気にも感動を覚えた。

 港というもの、船というもの、飛行機というもの──出会うもの全ての知識と経験が統合され、ベリルはその薄い表情の下に湧き上がる大きな感情に震えた。

 自分の生まれを思えば、カイルにそれを話したところで信じてもらえる自信はなかった。それでも、話さなければならないと裏切られる覚悟も合わせて言葉を紡いだ。

 これはブルーの導きだと思いたい。これまでの流れを思い起こし、噛みしめてハンドルを握った。



 ──ベリルが旅立って数日後

 カイルは船旅でも楽しもうかと、荷物を積んでピックアップトラックに乗り込んだ。そうしてフェリー港に到着し、停泊中の船を見やる。

 受付に向かい、豪華客船とまではいかないが、五日ほどかけて海上を渡るローパックスフェリーの手続きを済ませた。

 日本では聞き慣れない名称だが、近年では多様な車両すべてを運ぶ船はローパックスフェリーと呼ばれる。

 船で渡り、帰りは車を走らせて戻る計画だ。

「ああ。お前も楽しんでこいよ」

 ベリルに告げて車を車輌甲板に積み込む。固定された車を確認して客室に向かった。

 空いていた一等客室を申し込んだ甲斐がある。普通のホテル並の造りに満足し、荷物を二つあるベッドの一方に投げ、もう一つのベッドに体を横たえた。

 適度な弾力に顔をほころばせ、これからの船旅に期待を寄せる。


 ──乗り込んで一時間ほどのちにいかりが上がり、船は小刻みに船体を震わせてゆっくりと港から離れ出航する。

 カイルは、遠ざかる陸地を見ようとデッキに出た。

 デッキにいる数人が港に向かって別れを惜しむように手を振ると、港にいた人々も同じく手を振り返す。

 そんな風景に、どこか望郷の念にかられて感慨に浸る。

 自分にも大切な人がいて、その人との別れであったなら、きっと大きく手を振ってこの時間を惜しむのだろう。

「ん~。いい風だ」

 伸びをして頬を撫でつける風を楽しむ。しかしふと、視界に入った数人の男たちに意識が向いた。

「うん?」

 四人ほどの男たちは、どうにも船旅を楽しむような素振りはなく、せわしなく周囲をうかがったあと船内に入っていった。

 三十代から四十代だろうか。黒いアタッシュケースを手にしていたことから、難しい商談でもするのかもしれない。



 ──空が暗くなってくると、通常の明かりだけでなく、あちこちがカラフルなLEDライトでライトアップされ船はいち段と華やかになる。

 食堂に集まる乗客たちは運ばれてくる料理に話を弾ませていた。

 敷き詰められた赤い絨毯は上品に乗客たちを迎え、ステージではクラシックが奏でられている。

 カイルは窓際の席に腰を落とし、普段は目にしない料理に顔をほころばせる。それらを堪能しつつ優雅な演奏に耳を傾けていた。

 とはいえ、ベリルを引き取ってからはそれなりに見栄えも味もいい料理がテーブルに並んでいる。

 下手すればそこら辺のレストランよりも美味い。思えば俺は胃袋をがっちり掴まれている。

 大抵のものをそつなくこなすベリルに頼り切りになっていた。何も言わなくてもやってくれているため、気がついた頃には手伝う暇も無く、ほぼ終わっている事がほとんどだ。

 伴侶でもない奴に何をさせているんだと申し訳ない気持ちになる。

 いつの間にかそういう状況になっていた事に今さらながら認識して、おかしいなと頭を抱えた。

 とはいえ、食事に関しては栄養面も考えてか、ずぼらな俺には任せられないとすっぱり言われている。

 そりゃそうだ。あいつはまだ二十歳前で成長期だからな。偏った食生活は、あとの人生にもひびく。

 だが、あいつは色々とやりすぎだ。あいつが長旅でいなくなったとき、何がどこにあるのかすっかり忘れてちょっとしたものでも探し回った。

 あげくにメールで置いてある場所を尋ねるなんて、ここは誰の家なんだよ。

「帰ったら家族会議だ」

 そのとき、多数の破裂音が響き、あちこちがどよめきたった。

 それが銃声だとすぐに理解したカイルは、音の主を探して立ち上がる。されども、大勢の人間がいるなかで状況を確認するのは難しい。

 威嚇射撃だろうか。連続して響く銃声にある程度、武器の見当を付ける。目立つのは良くないと体勢を低くしたとき、前方から多くの叫び声が聞こえた。

 逃げ惑う客たちに紛れて眺めていると、テーブルが蹴散らされフロアの中心にぽっかりとスペースが作られた。

 なおも威嚇は続き、ヒツジを誘導する犬のごとく乗客を二つのグループにまとめていく。そんな男たち数人の手には、サブマシンガンが握られていた。

「大人しくしていれば危害は加えない」

 男の一人が銃を手に、怯える乗客たちに低く発する。

 カイルは壁際に集められ座り込む乗客の中にいて、気取られないように視界全体から情報を集めていく。

 男の一人が忙しなく視線を動かしている。数カ所ある出入り口の全てをその男が一人で監視しているようだ。

 フロアの中心では男が二人、乗客を監視している。

 それぞれの出入り口は十数メートルと距離があるため、近くの乗客に重点を置く方がいいとの考えだろう。

 二つに別けたのも、一度に蜂起されることを懸念してのものだ。

「──に、しても」

 ここにいるのは三人だけかとカイルはいぶかしげに小さく唸った。本来、大勢いる場所に人員を割くのは当然だが、たったいまここには三人しかいない。

 敵の全体数は多くないのかもしれない。それなら操舵室には一人か二人だと推測できる。

 その推測も誤りがあるだろうと意識しつつ、腰にあるハンドガンを手で確認する。この状況で三人を相手にするのは骨が折れそうだ。

 相手は乗客の命をそれほど重要とは考えていないだろう。なるべく怪我人は出したくない。

 思案していると、反対側にまとめられている乗客のなかに同じように間合いを計っている男を見つけた。しかし、同じ臭いはしない。

 おそらくスポーツか何かをやっている奴だろう。体力に任せて攻撃するつもりか。

「お?」

 向こうもカイルに気付いたらしく目が合った。

 協力者がいるのは有り難い。相手の力量は解らないが一人で戦うよりはましだ。カイルはゆっくりと頷き、互いの意思を確かめた。

 敵の男たちには見えないように、右手で攻撃する相手を示す。了解の頷きを見て、合図をするタイミングを計った。

 必ず男たちの目が逸れるときがあるはずだ。カイルはそれをじっと待った。客室を見回っている仲間もいないのか、新たな敵は現れない。

 これ以上、増えないのなら好都合だ。

 そうして男たちの視線が一瞬、乗客から逸れたとき──カイルはすかさず腰にあるナイフを抜いて一人の男に狙いを付けた。

 カイルの動きに素早く対応できず、ナイフは男の腕に深々と突き刺さる。即座に左足首に隠し持っていた小さなハンドガンを乗客の男に投げ渡した。

「ぐお!?」

 痛みで落としたサブマシンガンを蹴り飛ばす。

 同時に腰からハンドガンを抜き、銃口を向けたもう一人の男に引鉄を絞った。放たれた銃弾は男の肩に当たり、その衝撃と痛みで倒れ込む。

「きさま!?」

 残った男が狼狽ろうばいし、辺り構わず乱射すると乗客たちは叫びながら盾になるものを探して散っていく。

「チッ」

 こいつはまずいと逃げる乗客とは違う方向に走り、倒れているテーブルに身を隠す。何人か腕や足を撃たれたようだが大丈夫だろうか。

「おい。援護はどうした」

 口の中でつぶやいてハンドガンを投げ渡した男に視線を送る。途端に、これはだめだと頭を抱えた。

 でかい図体をして及び腰になっている。その体格はなんのためにあるんだと怒鳴りたいところだが、今は目の前の敵をなんとかしなくては。

 男は弾薬が切れたのか、弾倉マガジンを外してポケットから新しい弾倉マガジンを取り出すのに手間取っている。

 ナイスまごつきとカイルはテーブルを飛び越えて素早く駆け寄り、ハッとした男の腹に膝蹴りをお見舞いした。

 痛みで前屈みになった男の右手を掴んで腕に膝を食らわせ、落ちたマシンガンを蹴って遠ざける。

 反撃しようとした男の背後に回り込んで掴んでいた男の右腕を後ろに回し、床に倒して右腕を思いきり押し上げ肩の関節を外した。

 ゴキンという音がして男は悲痛な叫びを上げるも、カイルはひと仕事終えたと立ち上がる。

「まったく。折角の船旅が台無しだ」

「あ、あんた。すげえな」

 おどおどと歩み寄る男の手にある、投げ渡したハンドガンを見下ろす。

「どうして撃たなかった」

「あ、俺。銃は持ったことがなくて」

 まじかよ。いや、もちろんアメリカにいたって一生持たない奴はごまんといる。しかし、この状況で引鉄ひきがねにすら指を掛けないっていうのはどうなんだ。

 だったらせめて、飛びかかるなり何なりしろよと期待した自分の判断ミスだと大きく溜め息を吐いた。

 扱えないなら返せと男の手から銃を取り上げる。

「こいつらを縛ってくれ。厳重にだ」

 そのとき、

<おい>

 どこからともなく聞こえる声に辺りを見回す。縛った男の一人が小型の無線機を持っていることに気がついて、それを奪い取った。

<そっちの様子はどうだ?>

 少し思案し、縛った男に無線機を向ける。

「余計なことは話すな」

 銃口を突きつけて送信キーを押し早く喋れとあごで示す。男は苦々しくカイルを睨みつけるも、

「──異常は無い」

<そうか。くれぐれも油断するなよ>

「解ってる」

 相手は少しも疑ってはいないらしく、無線は何事も無く切られた。様子を見守っていた乗客たちはホッとする。

「上出来だ」

 縛られた男は頭を撫でる手を振り払い、憎らしげにカイルを睨みつけた。

「さてと」

 無線機を腰にねじ込む。

「あんた。それ」

 乗客の男はようやく、カイルの左足と右の二の腕から流れている血に気がついて目を見開いた。

「まあ、無傷という訳にはいかねえよな」

 苦笑いを返し、ナイフをもう一本取り出してカーテンを切り裂く。

 幅十センチ、長さ二メートルほどのものを何本か作り、うち一本を足の傷口からやや上あたりをきつく巻いて結んだ。

「何者なんだ」

「傭兵だよ。巻いてくれ。きつくな」

 腕はさすがに自分では無理だと包帯を手渡す。エドワードと名乗った男はカイルの返答に納得し、指定された箇所をきつめに巻いた。

 しっかり巻かれたことを確認すると投げたナイフを回収して、刺した相手の傷もついでに巻き付ける。

「扱える奴はいるか」

 サブマシンガンを示し、手を上げた三人に手渡す。さらに、この場所を制圧し続けられるようにいくつかの指示をする。

「どこに行くんだ」

 エドワードは外に出る扉に向かうカイルに眉を寄せた。

「操舵室」

「なんだって?」

 それだけの怪我をしているのに、何をするつもりなんだ。

「船の動きがおかしい。操舵室が制圧されたなら、どうにかしねえとな」

 言いながら再度、持っている銃を確認する。これだけの乗客がいるというのに、運悪く戦闘経験者が一人もいない。

 それどころか軍人さえもいないとは、俺は神様に見放されたのかと肩を落とす。

「しかし。こいつら、なんだってハイジャックなんか」

 エドワードは、苦い顔で縛った男たちを見下ろした。

「しっかりした計画性は感じられない」

 それに、この規模の船を襲うには人数が足りてない。少なくともこの二倍は必要だ。

「金目当てが妥当な線か」

 船のハイジャックなんて、いまどき割に合わねえのによくもやる。

「海賊って訳でもないだろ?」

「似たようなもんだ」

 このご時世にアメリカで海賊なんて笑い話にもならない。しかし、海上での犯罪行為は多くの利点がある。

 そう簡単に警察なり、なんなりが乗り込んでこられない。人質の逃げ場がない。武器の調達が困難で人質からの反撃に遭いにくい。

 逆を言えば失敗しても逃げ出せないし、沿岸警備隊に乗り込まれたら逃げ場が無い。武器の調達が困難ということは、武器を奪われたら難なく反撃されてしまう。

「ここは頼む」

「解った」

 勇ましい返事に遠ざかり、一つ言い忘れたと振り返る。

「いいか。そいつらの話には耳を貸すな」

 一切だぞ!

 エドワードに言い聞かせ、彼が頷くのを確認して操舵室に向かった。



 ──デッキに出て、天気の良い日に何しやがると舌打ちした。奴らの仲間がいないかと気配を探りつつ進む。

 操舵室を制圧するのに人数はそれほど必要ない。多く見積もっても三人か四人だろう。予想を立てながら操舵室に続く扉に背中を預けて腰を落とす。

 ゆっくりと腰を上げ、丸いガラス窓から中の様子を窺うと、思った通り銃を持って船員たちを脅しているのは男二人だ。

 どちらも三十代前半か後半。服装を見るも、乗客を装っての行動のためカジュアルだ。よくて薄手の防弾ベストを着用している程度だろう。

 ふと、ベリルがいれば楽なんだがな……。などと考えたことに呆れて笑う。

「ハ、なにを考えてる」

 あいつなら一人でも充分に対処したかもしれない。いや、出来るだろう。あいつの冷静な判断と動きには俺も舌を巻く。

 たらればを言っている場合でもないが、この現状に多少の文句は許してもらいたいね。

 ドアノブにゆっくりと手を掛ける。少し力を加えると動くことから、鍵はかかっていないらしい。舐められたもんだなと肩をすくめる。

 ハンドガンを手に意を決して立ち上がり、力任せにドアを蹴り飛ばす。男たちは驚いて振り返るも、カイルが素早く絞った引鉄に放たれた銃弾は二人を捉える。

「チィッ。外したか」

 一人には当たったが惜しくも一人には外れてしまった。威嚇に数発ほど撃ちながら機械の影に隠れる。

「なんなんだよ!」

 男は気が動転し、カイルが隠れている場所に何度も銃弾を浴びせた。

「なんだってんだ」

 怒りに体を震わせ、

「なんであんな奴が乗ってんだよ」

 よもや、反撃を受けるとは予想もしていなかったのだろう。目の焦点は合わず、ぶつぶつと呟いている。

 これはまずいかもしれない。行き場のなくなった思考は何をしでかすか解らない。どうにか船員たちを避難させたいが──

「おい! おまえ!」

「ひいっ!?」

 男はとうとう、目に入った船員の腕を掴んで引きずり出し、そのこめかみにハンドガンの銃口を突きつけた。

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