*問題あり
──カイルはオーストラリアに向け、空港に車を走らせた。助手席のベリルは、昨日よりも晴れやかな表情をしている。
こいつならきっと、あの大地を気に入るだろう。カイルは目を細め、荒れ地と自然公園に砂漠、そして精霊の宿る大地を思い浮かべた。
かつては、差別のあった時代も戦いもあった。イギリスから独立して未だ浅い歴史だが、不屈の精神も宿っている。
「まずはシドニーだ。オペラハウス。見たいだろ?」
「はい」
「固有種も面白いぞ。それにウルルにバリングラは──まあでかい」
言ったあとで若干の後悔が過ぎる。世界一位と二位の一枚岩は、期待と実際に見た感覚のギャップが大きい。大抵は期待度が高くてがっかりする。
まあそんなもんだろう。それもまた自分の肌で感じるものだ。
「世界は広いからな。暇があれば飛び回ればいい」
「あの」
「なんだ?」
何か気になることでもあるのかとベリルを一瞥する。それとも、行きたい場所が他にあるのか。
「一つ、問題があります」
「なんだよ」
折角のテンション下げるなよと眉を寄せる。問題なんて大ありだろう、今さらどうした。
「パスポートがありません」
「あ──ちゃあ」
そうだった。こいつ、出生証明書もねえのか。
「どこの国がいい」
「え?」
「生まれだよ」
「ああ」
明らかに偽造目的の質問にとぼけた顔をして、
「ヨーロッパのどこかなら」
「お前ならアメリカでもいけるだろ」
「そうですか?」
「好きなとこにしろ」
「好きな所と言われても」
当惑しているベリルを見やり、いきなり国を決めろというのは、そりゃあ困りもするかとカイルは多少の申し訳なさを感じた。
二人は考えあぐねて沈黙が続く。
「とりあえず」
「はい」
「空軍基地に着くまでに考えとけ」
「わかりました」
行き先を変えたカイルに応えて思案した。
──基地に到着したカイルは、友人とおぼしき男と顔を合わせ、何やら話し合っている。正規のルートではアルカヴァリュシア・ルセタから出られないため、軍の力を借りようというのだ。
他にもいくつか国境を越えるルートを知っているが、そのなかでも軍の力を借りる方法は安全といえる。
町から東に二百キロメートルほど車を走らせると、平原にある空軍基地に着く。国土の西にある首都からは遠く、基地では二番目に大きい。
とはいえ、それほど大きい国ではないため、個々の基地にさほどの差はあまりない。ベリルがいた施設の隣にあった基地は最も小さく、軍の機能はほぼ無かった。
研究所を軍の施設として成立させるための仮の基地に過ぎなかった。そのために襲撃には対応出来ず、施設は壊滅した。
「なんだよ。タクシー代わりにするなよ」
彫りの深い顔立ちに青い目、少し癖のある栗毛でガタイの良い男は、眉間にしわを寄せてカイルに応える。
名はコンラート。カイルより四つほど若い。
「こんな派手なタクシーこっちから願い下げだ」
「なんか問題でもあったのか?」
「そういう訳じゃねえんだが。ちょっとな」
「あのガキはお前のガキか」
「まあそんなとこだ」
「どこの女に産ませた」
「いいから話を戻せ」
にやつくコンラートを軽く睨みつけ、せっついた。
「こっちは今はちょっと無理だ。国境を越えるなら手伝えるが」
「ふむ」
「在独米軍に連絡しておく」
そこからベルギーに入って海に出ればいい。
さすがに戦力が削減された在独米軍にアメリカまで飛んでくれとは言いづらい。それを知っているコンラートは海までのルートを提案した。
「海か」
アルカヴァリュシア・ルセタはヨーロッバのほぼ中央に位置しているため、海に面した土地がない。
「それでいこう」
海を間近で見せられるとコンラートの提案に従った。それから車に乗り込み、空ではなく船の旅になったことを伝える。
「海ですか」
薄い表情に輝きが見て取れる。しかし、渡されたものにいぶかしげな顔を向けた。
「UVグラス?」
色はついていないが、何故こんなものを?
「覚えられたくねえだろ」
カイルは自分の顔を指で示す。
「ああ」
なるほどと素直にかける。ここまで捜索している気配はまるで感じられないものの、国を出るまで安心はできない。
「とりあえずドイツの国境を越えるまで送ってくれるとさ」
走らせる車の中で説明する。前方には軍のジープが先導していた。
「ベルギーで船に乗ってキューバに向かう」
キューバからメキシコ、そこからアメリカに入る。
メキシコでは未だ麻薬の密輸を続けている者が多く、摘発されたいくつかのルートが封鎖されずに残っている。
慎重に動きすぎだとは思うが、今回ばかりはそうならざるを得ない。とは言いつつも、実際はベリルに少しでも多くの国に触れる機会にもなると考えていた。
少なくともアメリカまで、立ち寄りはしないが四つの国を通り過ぎる。
知識があるのなら余計なことはしないだろう。現に、基地に入り兵士と接しても妙な動きはまったくしていない。
外の景色はベリルにとって全てが新鮮だろうに、おそろしい適応力だとカイルは改めて感嘆した。
感情表現が薄いことも助けにはなっているのかもしれない。尋ねると、本来なら体で喜びを表現するようなものでも、落ち着いた言葉が返ってくる。
それで、感動していない訳じゃないのかと知る。一見すると冷徹な人間に思われるだろう。
しかしその実、訊けば感性豊かだと解る。それを考えると、やっぱりこいつは自分の感情を表現するのが下手くそなんだろう。
感情を押し殺して教育されていた訳じゃないだろうに。自分の存在にどこか負い目を感じていたのかもしれない。
飛び抜けた洞察力のせいで悟りきった結果、落ち着いた性格になった。そう見る方が妥当だろう。
「いえ、赤子の頃からあまり泣くことはなかったと聞いています」
「あ、そう」
生まれ持った性格なのかね。しかし、
「その喋り方は違うだろ」
「言語学者の教育なので、よくは解りません」
そいつは、こいつをどういう人間にしたかったのか。目上の人間に対する言葉遣いはまあ合格だとしても、同年代との会話には多少の不安が残る。
そんな面倒なことは俺が考えることじゃないとカイルは思考を切り替えた。
ドイツとの国境付近に近づくと、そこには在独米軍が数人ほど立っていた。そのなかに知った顔を見つけてカイルは口の端を吊り上げる。
「バート! 元気にしてたか!」
車を出て細身の男に手を上げる。
「ようカイル」
男も同じく笑顔で軽く手を上げて応えた。三十代後半の、鈍いブロンドはあちこちにクセが見える。薄黄色の目が印象的だ。
ベリルはその様子を車から見やり、ゆっくりとドアを開く。少年を見たバートはカイルと何やら話しているようだ。
「孤児か?」
「そんなところだ」
「なるほどね」
バートはそれ以上は尋ねず、ついてこいとジープに乗り込んだ。
「友人が多いのですね」
「ああ。軍にいたときの奴もいれば、傭兵になってからの付き合いの奴も色々だ」
カイルは軍にいたときは優秀という訳ではなかった。むしろ、上官には厄介な部下だった。
つまりは、軍人としての心得を気楽に破る輩だったのだ。目の前に怪我人や子どもがいれば、それが敵であろうとお構いなしに駆け寄り救助する。
重要な作戦中であろうと関係なくそれを行い、上官にはこっぴどく怒られてもまったく動じない。
自分は軍人には向いていないと早々に軍を離れた。
「お前の心臓はタングステン製か。なんて言われたぜ」
軍に迷惑をかけたくなかったことも辞めた理由だ。勝手な行動で仲間を危険に晒すのはカイル自身も望むものじゃない。
「勝手な行動」
ベリルは殴られかけたことを思い起こす。
「それ以上は言うなよ。いいな」
「構いませんよ。殴られてはいませんから」
「このやろう」
思っていたよりフランクじゃねえか。これなら上手くやっていけるかもしれない。親しみやすい部分があれば、それだけ早く仲間も出来る。
行き所のない感情も、やがて待ち受ける苦難も。こいつは全てを乗り越え受け入れて行くのだろう。
俺は心底、楽しんでいる。
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