◆第三章-死に向かう生
*少年の闘い
──食事も済ませ、片付けたらあとは寝るだけだ。
「荷台で寝ようぜ」
荷台の
「荷台で、ですか?」
「這い回る虫に悩まされずに済む」
言いながら毛布と寝袋を荷台に投げ入れる。
なるほど、それで焚き火をしていないのか。ベリルは車の脇に置かれた練炭と森で拾った薪を見やる。
町から遠いこの場所は、心地よい虫の音と夜行性の鳥の声が夜を彩る。
「やっぱちょい窮屈だな」
荷物に寝袋を被せ、枕代わりにする。大型とはいえ、さすがにゆったりという訳にはいかない。ベリルは膝を折り、カイルは後ろあおりに足を乗せて空を仰いだ。
「新月じゃねえのはちょいと残念だが、綺麗な星空だ」
笑みを浮かべるカイルの横顔をベリルはじっと見つめる。
「カイル」
「なんだ?」
「母上はどうされていますか」
「お袋? 病気でとっくに死んじまったよ」
「そうですか」
それがどうかしたのかとベリルに目を移す。星空を仰ぐその瞳には、どこか複雑な色が見え隠れしていた。
「お前、親は?」
「いません。初めから」
初めから? 妙な物言いに目を眇める。
「じゃあ、育ての親は」
その問いかけに、ベリルは上半身を起こした。
「ベルハース教授です」
学者に育てられたのか? それで物知りなのか。
「授乳期には授乳役の女性がいたそうです。他に、サイモン教授、ランファシア教授、アントーニ教授、アベル教授、ブルーノ教授──」
「おいおいおいおい。どんだけいるんだよ」
「大勢の専門家から学びました。警備を含めれば三百人。それが、私の家族でした」
「なんだそれ」
もっともな反応だとベリルは薄く笑う。
「あなたがいた森に、軍の施設があることはご存じでしょう」
「ああ」
下調べでは、さほど大きくはない基地だった。すぐ隣に建てられている施設は遺伝子研究所とは明記されていたが、それだけだ。
ずいぶん広い範囲が立ち入り禁止地区に設定されてはいたけれど別段、気になるほどじゃない。
「私は、そこにいました」
聞いた言葉に目を見開く。カイルの表情を確認したベリルは一度、深く息を吸い込んだ。
「そこで、実験No.
「は?」
カイルは、間抜けな声を出したもんだと思い起こすほどおかしな声を上げた。
「人工生命体と言えば解りやすいでしょうか」
「お前。それ、本気で言ってんのか」
そんなカイルの引きつった笑みにも、ベリルの目は真剣だった。
「あの施設では、ベルハース教授指揮のもと、現存する人種のヒトDNAを集め、人の胎内を介さずに人間を造り出す研究がなされていました」
そこで一度、カイルを見やる。彼の表情は、ベリルが思っていた通りの複雑なものだった。
カイルは、考えが追いつかない話に眉間のしわを深く刻む。こいつの言っていることは本当なのか? 信じるに値するものなのか。その要素を見つけられずにいた。
ベリルはそんなカイルから視線を外し、話を続ける。
「クローンでは一個体分のDNAでしかなく。さらに、DNAの結合体としてでもなく、子宮内での成長が必要です。彼らが求めた者は──」
一端、言葉を切ったベリルの手は微かに震えている。彼を信じていいのか。それを自問自答しながら、恐怖と戦いながら言葉を紡ぐ。
「あらゆる人種のDNAを一つとし、子宮内での成長ではなく、人を造り出すこと」
その成功例が私です。
「ベリル・レジデントとは、ベルハース教授が付けてくれた名です」
「へえ」
カイルは頭が混乱しているのか、呆然とベリルを見つめたまま動かない。やはり信じてもらえないのだろうかと若干の不安を抱いていると、
「俺は頭が良くないんだ。もっと解りやすく言ってくれないか」
ベリルはそれに眉を寄せた。
「つまり、えと──」
簡単に説明するのはどうすればいいのだろう。難しい。
考えあぐねて、
「実験室で生まれました」
「ああ、なるほど」
納得したように手を打ったカイルだが、ベリルはどうにも納得がいかない。
「んで。そのお前がなんで、ここにいるんだ」
問われたベリルは体を強ばらせる。詰まる喉に顔をしかめ、声を絞り出した。
「施設が、何者かの襲撃を受けました」
毛布を握るベリルの手に力がこもる。
「目的は私しかあり得ない。なのに、ブルーは私に逃げろと」
「ブルー? そいつが兵士か」
ベリルは苦い顔で頷く。
「私を除く、そこにいた全ての命が奪われました」
奮い立たせて語る声は、今にも消え入りそうにか細い。
「そうか」
三百人の命を、こいつは十五歳で背負っちまったのか。誰一人、救えなかったことを悔やんでいる。
経験というには、あまりにも残酷だ。出会ったときの言語障害はそのためか。むしろ、よくそれだけで済んだものだ。
ブルーという奴は、確かに優秀な兵士だったかもしれない。精神の落ち着け方を、こいつに教えていたんだろう。
「誰もお前を追ってこないのか」
どう考えても、政府にとって外にいることは認められない存在だ。それなのに、探し回っている気配はない。
「ブルーは、私のデータをベルハースたちが消去していると」
ベリルという名も、政府には伏せられていた。
カイルはそれに驚きを隠せない。国家機密の施設内部なんて、どうなっているのかは解らない。しかし、施設にいた全員が、こいつのために最期は動いていた。
そんなことがあるのか。それとも、こいつの存在がそうさせたのか。
アルカヴァリュシア・ルセタは、倫理的に見ても問題のある実験を行っていた。データがなくなっているのなら、全てをもみ消すには好都合だ。
捜索で他国やマスコミに感づかれるくらいなら、なかったことにしようとしているのかもしれない。
そこにいた多くの命のことを思えば、強い憤りを禁じ得ない。
彼らすら、命を落とした理由がなかったことになる。ただ名前の刻まれた墓石が立つだけの、そんなそっけないものになる。
だが、いまここにある命に値するものじゃない。こいつは全てを覚えていると言った。彼らには、それで充分なのかもしれない。
「とりあえず」
「はい」
「そういうのはもう誰にも話すなよ」
馬鹿だと思われる。
「はあ」
そもそも話す訳がないと顔をしかめる。
やはり、全てを信じてもらえそうにはないと溜息を吐く。
とはいえ、カイルに話したことでベリルの心は多少の軽さを得たようだ。話しきって手の震えは治まった。
「その顔に寄ってくる女避けにはなるかもしれねえがな」
それにベリルは怪訝な表情を浮かべた。
「え。なに。お前、自覚ないの」
「初耳です」
「マジかよ」
好き嫌いは差し置いて、どう考えてもまず顔に目がいくのは明瞭だ。そういう環境にはなかったのかもしれないが自覚くらいは──ある訳ないか。
こいつ、鋭いようでいて鈍いところもある。手際もマナーもよく上品で温室育ちかと思いきや、雑な部分を嫌ってはいない。
ブルーという人物は、戦術だけでなくサバイバルについても教え込んでいたんだろう。加えて、順応性がそもそも備わっているのかもしれない。
カイルは困惑しているベリルを見やり、暗い平原に目を移す。
まだ信じ切れないところはあるが、こいつは人が死ぬということを知っている。あのとき飛び出したのも、それが理由か。
造られた命。頭の悪い俺でもそれくらいは解る。
「ふむ」
──だから何だ? 造られたからどうだというんだ。俺には関係ない。
「うん。そうだ」
俺にはそんなことまったくどうだっていい。目の前にいるのは、ただのガキだ。それ以上でも以下でもない。
物知りだが世間知らずのガキだ。
「あの」
ベリルは、一人ぶつぶつと呟いているカイルをいぶかしげに見つめる。
すると、勢いよく上半身を起こしたカイルがベリルの頭をぐしゃぐしゃとなで回しニッと笑った。
「お前、今から俺の弟子な」
「本当ですか」
まさかと目を丸くする。
「
「はい」
ベリルは少年らしい笑顔を浮かべた。
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