*心情への考察

 確かアルカヴァリュシア・ルセタは、ハイスクールまで義務教育だったか。大学の学費もかなり免除されている。主な輸出が科学技術というだけあって教育には熱心だ。

 総人口がそう多くはないとはいえ小国でのそれは、かなり財政を圧迫している。このままではいずれ、義務教育の範囲も狭められるだろう。

 ガキは勉強をするのが仕事だが、こいつの言う仕事という言葉の意味合いには、どこか引っかかるところがある。

「無理に話さなくてもいいんだぜ」

 カイルの言葉に喉を詰まらせる。目を泳がせて次の言葉を探すが、どうにも見つからないようだ。

「止めてもらえますか」

 小声で発する。これ以上、話すことを諦めたのか。

 カイルはその通り、ゆっくり車を止めた。ハンドルに両腕を乗せ、目を伏せて黙ったままのベリルを見つめる。

「ここから一番近い町でも半日はかかる」

 それについての躊躇いはないようだが、車を降りたあとにどうすればいいのかを思案しているようだった。

 しかし、家出少年が持つような不安な面持ちは見当たらない。このガキは本当に、ただ単に行く宛がないだけなのか。

「そろそろ夕暮れだな」

 つぶやいたカイルに目を向ける。陽はまだ高いものの、差す光にはこれから訪れる夕闇の気配が混じっていた。

「よし。今日はここで泊まりだ」

 ベリルの返答も聞かず道路から外れて平原に入る。そうして車を駐め、ドアを開いて外に出た。

 後部座席の扉を開き、そこにある荷物を手に取る。

「おら、手伝え」

 黙って見ていたベリルにあごで示し、飯ごうの準備を始めた。こちらの言葉を聞く気はないらしいと眉を寄せ、カイルの言葉に従い外に出る。

 カイルは焚き火ではなく、持っていたアウトドア用のガスコンロに火を付けた。幾つか持っているようで、一つには米を炊く容器が乗せられる。

「そっちのコンロでスープを作れ」

 ベリルは仕方ないと溜め息を吐いて材料と鍋を受け取った。調理の様子を覗くと、見事な手際の良さにカイルは目を丸くする。

 御飯が炊けるまでのあいだ、カイルは調理をしているベリルを見つめた。

「なあ、お前」

「はい」

「なんであいつの前に出た」

 引鉄を絞ればそれで終わりという状況で、死の恐怖よりも勝っていたものはなんだ。

「解りません」

「死ぬとは思わなかったのか」

「いいえ。可能性はゼロではなかったでしょう」

 しかし、彼が目の前で誰かの命を奪うことに、とてつもない違和感を覚えた。

「ただ、それだけです」

「へえ」

 それだけで、あんなに動けるもんなのかね。無謀というか馬鹿というか。呆れて物も言えねえ。

 このガキには、ある程度の勝算が見えていたのかもしれない。それでも、死ぬ確率の方が高かっただろう。

 そうだ、死ぬかも知れなかったあの瞬間には、遂行開始直前にあった震えも複雑な瞳の色も映し出されてはいなかった。

 じゃあ、こいつの恐怖とはなんなんだ?

「カイルは何故、傭兵に」

「なんでかなぁ」

 とぼけてコンロの炎を確認する。

 傭兵は特殊な職業だろう。気になるのは当然か。

「今さらで解っちゃいると思うが、俺はアメリカ人だ」

 ノースカロライナ州のフェイエットビルで生まれ育った。イギリスの植民地化されるまでは、先住民の文化が長く続いていた土地だ。

「親父は陸軍にいてな。俺がガキの頃に、どっかの国の紛争の鎮圧に駆り出されて、そのまま帰ってこなかった」

 ベリルはそれに眉を寄せた。

「まあなんてえか。爆発で木っ端微塵になっちまったらしくて、骨も持って帰れなかったそうだ」

 手にしたのは子どもの手にも収まる、ちっぽけなドッグタグ。あんなに大きかった親父が、こんな小さなプレートになって戻ってきた。

 そのときの感情は、どうにも言い表せないものだった。

 本来ならば、父親を死に追いやった戦いや兵士を憎んでもおかしくはない。しかし、カイルは違っていた。

「親父はいつも、国を守るために戦うことは素晴らしいと言っていた」

 他国の紛争に国を守るという意味はあるのだろうかと思うかもしれないが、軍が守るのは今や自国の市場しじょうなのだ。

 紛争の原因は利権絡みによるもので、その国には豊富な資源があり、こちらが支援する側が勝たなければ色々と問題となっていた。

「正しい戦いだったのさ」

 そう語ったカイルの表情は、納得のいくようなものではない。そんな風に言い聞かせた時期があったのだろう。

 今でこそ、納得の出来る部分はあるにしても、幼かったあの頃のカイルには到底、理解できるものではなかった。

「親父から色んなことを聞いて学んだ。軍人というものに憧れていた。それを今更、親父が死んだからって逆転させられるほど、俺は賢くなかったのさ」

 父の同僚たちはとても優しく、カイルを自分の息子のように可愛がってくれていた。それでどうして何かを、誰かを憎めるだろうか。

「で、初めは軍に入った。けど、これが俺のしたいことじゃないと感じて傭兵になった」

 辺りはすっかり暗くなり、バーナーの炎が二人の顔をオレンジに照らす。

「戦いでしか救えない命がある」

 ふとつぶやいた言葉には、とても重たい感情がある事をベリルにはよく理解できた。

「悲しいことだけどよ。それが現実」

 だから俺は、傭兵になって良かったと思ってる。それが嘘ではないことは、彼の表情から見て取れた。

 傭兵には色んな人間がいる。カイルはそのなかでも特殊といえた。

 アメリカでは傭兵の会社がある。そこに所属し、それぞれに仕事が振り分けられる。企業であるだけあって、多くの保証がなされている。

 しかし、カイルはそういうものには属さず、フリーを通している。何から何まで自分でこなさなければならない苦労はあるものの、仕事を選ぶにはフリーでいなくては難しい。

 とはいえ、仕事をあっせんする会社や、仲間たちからの要請などで生活にはそう不自由はしていない。

 カイルは、救出に関することを主に請け負う。父の死を納得はしていても、やはり市場が関係するような戦場は避けたいのだろう。

 ベリルは、飯ごうを確認しているカイルを見つめる。

「私は知識があるというだけで、この世界を理解はしていない」

 妙な物言いにカイルは片目を眇めた。

「あなたがいる世界を、より知りたい」

「俺の弟子になりたいってことか?」

「そう受け取って構いません」

 それにカイルは鼻で笑う。

「がらじゃねぇ。他をあたりな」

「誰か紹介していただけるなら」

「紹介?」

 こいつを?

 いやまて。こいつは謎が多すぎる。紹介しても敬遠されて、まともに教えてもらえるか解らない。

 確かに、傭兵としての適正はある。むしろ十分過ぎるくらいに。しかし、なんだろう。この違和感は──

 言いようのない感覚がカイルの全身を支配した。

 こいつは死にたい訳じゃない。だが、死に場所を探しているような、妙な感じを受ける。駆け足で死に向かおうとしている。そんな感じだ。

 死にたい訳じゃない人間が、思う通りに死ねるとは限らない。

 だったら、こいつの運に賭けてみるのも悪くない。自分の心の奥にある感情に自然と笑いが込み上がる。

 そうだ、俺はこいつを育てたい。そんな感情が止めどなくわき出てくる。こいつの素質は、ほんのわずか見ただけでも計り知れない。

 鍛えれば、それに比例して際限なく強くなるだろう。恐ろしいほどに、それがひしひしと伝わってくる。

 俺は、それが見たくて仕方がないんだ。

「とりあえず。腹が減った」

「はい」

 二人は夕食の準備を進めた。

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