*ドライヴ

 荷物はさして重くはないものの、まだ疲れの残る体には少々、厳しい重さだ。それでもベリルは文句も言わずにカイルのあとを追った。

「あと少しだ」

 それから数時間ほど歩くと森が開け、一台の車が視界に入った。森は終わり、向こう側には平原が広がっている。

 どこが少しなんだろうと顔をしかめて溜め息を吐き荷物を降ろす。森を抜けたことに安堵して、眼前の車に目を輝かせた。

「ピックアップトラック」

 オレンジレッドの車には軽トラと同じように荷台があるが、それよりもファッショナブルな見た目をしている。

「おう。俺の車だ」

 ピックアップトラックはアメリカでの大型以外のトラックの総称で、キャビンうしろに開放式の荷台を持つ車だ。

 日本ではキャビンと荷台が一体のものをピックアップトラックと呼び、オーストラリアやニュージーランドなどでは「ユート」と呼ばれる。

「あちこちボロいがちゃんと動く」

 ベリルは無表情にその車を見つめた。関心が無い訳じゃないのは、眺めている時間から解る。ゆうに五分は経過している。

 さして珍しくもない車だろうにといぶかしげにしつつ、受け取った荷物を荷台に投げ入れた。

「乗れよ」

「え?」

「乗ってみたいだろ? どうせ行く宛がないなら、好きな所で降りればいい」

 おおらかに笑顔を見せ、あごで乗れと示した。



 ──少年は助手席の窓を開けて、通り過ぎる風景と風を肌で感じていた。

「楽しいか?」

「はい。とても」

 違和感のある物言いにカイルは眉を寄せる。

 目の前の光景や物を知っているのに知らないような、子どもが図鑑で見たものを初めて目の当たりにした時の瞳に似ていた。

 まるで、生まれてからずっと病院から出た事がない人間のような、そんな感覚を受ける。しかし、見たところ少年は病弱という訳でもなさそうだ。

 あまり抑揚の無い声色に、本当に楽しいのか疑問に感じつつひょいと覗き込む。少年の表情は薄く未だ読めない部分が多いものの、口元には若干の笑みが浮かんでいた。

 楽しいのは間違いないようだ。そのとき、

「うん?」

 カイルは何かに気付いてパンツのバックポケットを探る。着信を知らせる振動を携帯端末が伝えていた。

 こんなものまで珍しいのかと、じっと見つけるベリルを横目にイヤホンマイクをつないだ。

「おうジャンか。どうした?」

 会話の内容に興味があるのか、カイルの横顔を眺める。

「いま? A国の東の森だが──あ? 急ぎ? 解った。ポイントは?」

 ひと通り会話して電話を切る。不思議そうに見つめるベリルを一瞥し、カイルは小さく溜息を漏らした。

「参ったな。仕事だとよ」

 苦笑いを浮かべるカイルに視線を合わせ、彼の仕事に目を細める。

「近くだから手を貸せとさ」

 肩をすくめてベリルを一瞥し思案した。

 こんな子どもを戦場へ連れて行くのはどうなんだ。とはいえ、このまま放り出すのも気が引ける。

 連れていくのも放り出すのも問題だが、決めなければならない。

「来るか?」

「はい」

 即答したベリルに眉を寄せた。常に何かに怯え、戸惑っていた少年とは思えないほどの目の輝きを目にし、カイルの心中は穏やかじゃない。

 どんな理由があるかは解らないが、戦うことを知っていてそこに飛び込もうとするなど普通じゃないだろう。

 こいつにとって、戦場に何かあるのか。

「ほんと、何者なんだろね」

 口の中でつぶやいた。



 ──それから、カイルは小一時間ほど車を走らせる。

 ベリルはふと、伝わる空気にきな臭さを感じて眉間にしわを刻んだ。すると、深緑のテントが視界に入る。

 そこは、かつての駐車場だった場所なのか、あちこちひび割れたコンクリートには四角く描かれた白線が両端に均一に十ほど並んでいる。

 カイルはゆっくり車を止め、賑わいを見せる外に出た。それにつられるようにベリルもドアを開く。

 駐まっている車のほとんどはジープや4WDで、積まれている大きなケースに入っているのは行き交う男たちの服装からして、バーベキューセットでないことは明白だ。

「ようカイル!」

 歩いていた男の一人がカイルを目にして笑顔で手を上げる。

「おう」

 近づく男はカイルの知人なのか、同じく笑顔で応え軽く手を上げた。

 この男も、他の人間と同様に灰色の迷彩服に身を包んでいる。屈強な男ばかりだと思いきや、中には華奢に見える者もいる。服の色は灰色だけでなく若草色など多彩だ。

 これだけの人間を一度に目にしたのは初めてなのか、ベリルは目を見開き視線を彷徨うろつかせている。

「折角の休暇だったのによ」

「すまん。人手が足りなくてな」

「足りない?」

 聞き返したカイルに男はうなずきながら続ける。

「ああ、要請した人数だとちょいとばかり無理があってな。かといって遅らせる訳にもいかず。近くにいる仲間に片っ端から連絡してるのさ──って何だよこのガキ」

 男はようやくカイルの側にいるベリルに気が付いた。

「ちょっと訳ありでね」

「へえ」

 男はそれ以上は尋ねることもなくベリルを見下ろした。

「随分やわっちょろいガキだなぁ」

 笑いながらベリルの背中を強く叩く。ベリルはそれに、痛みをこらえて苦笑いを返した。

「おうボウズ。名前は? 俺はジャン」

 栗色の髪に青い目の体格の良い男は、明るくベリルに手を差し出した。

「ベリルです」

 戸惑いながらも、その大きな手を握り返す。ジャンは再びベリルの背中を叩き、カイルに目を移した。

「こいつも使うのか?」

「雑用くらいは出来るだろう」

 言ってベリルに視線を移す。

 聞こえていたはずだろうに、少年はそれにさして驚くこともなく、素直に受け入れているようだった。

「っていうか。服、ボロボロじゃねぇか」

「何かみつくろってやってくれ」

「子供用なんて無いぞ」

 ジャンは言いながらベリルをテントの一つに促す。テントに入りしばらくしてジャンが出てきた。

「一番小さいサイズを渡したけどよ。なんだよ? あのガキ」

「森の中で拾った」

「拾ったぁ?」

 なんだそりゃと眉を寄せる。

「家出、とかじゃないのか?」

「バカ言え。俺がいたのは東の森だぞ」

「軍の施設がある森か」

「あそこは民間人は立ち入り禁止だ」

 カイルは立ち入り禁止区域ギリギリの森でキャンプを楽しんでいた。

「お前も物好きだねぇ。で、あのガキどうするんだ?」

「まだ決めてない」

「あんまり綺麗なガキなんでびっくりしたぜ」

 てっきりお前がどうにかしてきたのかと思った。というジャンを馬鹿言うなと肘で小突く。

 そこに、袖を折りながらベリルがテントから出てきた。

「おう。ちょい大きかったか。すまねえな。それが一番小さいんだ」

「いえ。ありがとうございます」

 このての服は着慣れていないのか、多少の違和感を感じているようだ。

 しかし、グレーの迷彩服に身を包む少年を見てしっくりきていることにカイルは妙な感覚を覚えた。

「銃は扱えるか?」

 ジャンがちょいちょいと誘うように右手を動かすと目の合った仲間が小銃を手渡した。それをベリルに差し出す。

 ベリルは全長一メートル弱はある、ずしりと重たい銃を受け取ると躊躇いもなく確認作業を始めた。

「ほ、こいつ手慣れてるぜ」

「ジャン!」

「ちょっと待ってな」

 そう言って呼ばれた仲間の元に向かう。

「問題ないようです」

「そうか」

 確認作業もはええなとカイルは感心した。

「ベリル」

「はい」

 何やら仲間と話していたジャンが戻ってくるなりベリルを呼んだ。

「構えてみろ」

 いぶかしげに思いながらも、言われた通りに小銃を構える。その表情には怯えもなく、どこか懐かしささえ垣間見えた。

「なんの真似だ」

 カイルは何をさせる気なんだと眉間のしわを深く刻んだ。

「よし、オーケーだ。前線が足りない」

「こんな子どもを出すつもりか」

「依頼内容はなんですか」

 ベリルは動揺もなく問いかける。

 それにカイルとジャンは少し当惑したが、怖がっていないのならとジャンは説明を始めた。

「A国からの要請でね。テロリストの一掃だよ」

「テロリスト」

「どっかの国のテロリストが、この国に潜伏してたのさ。まあそれは表向きで、実際は殺しを専門にしてる集団だそうだ」

 そしてジャンは南を指し示す。

「ここから百メートルほど行った所に廃屋があって、奴らはそこに潜伏している。十年ほど前に金持ちが広い土地を買って、でかい家を建てた」

 建てたはいいが結局、環境に馴染めず引っ越した。土地も売り払い、残ったのは朽ち果てた廃屋だけ。

「土地の所有者は」とカイル。

「買ってすぐ事故で死んじまった」

 それからずっと放置されていた土地だ。

「ある意味、の土地か」

 カイルは小さく唸り、苦い顔をした。

 町からも離れたこの場所には、かつてガソリンスタンドがあったのだろう。屋根の残骸が駐車場の脇に転がっている。

 静かな土地で穏やかに暮らすはずだった夫婦は、あまりに静かすぎた場所には馴染めなかった。

「ここは土壌もあまり良くない」

 ジャンの言葉にカイルとベリルは辺りを見回す。

 確かに、ここまで来た道程みちのりには草原が広がっていたのに、南に目を向けると雑草がまばらに生えている程度だ。

「昔、なんかの工場でもあったのかね」

 土地はよく調べて買わなきゃなとジャンは鼻を鳴らした。

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