*スープとライフル

 しばらく歩いていると、何やら良い匂いが漂ってきた。こんな森の中でと疑問に思いながらも、少年の足は自然とそちらに向かう。

 導かれるように、ふらふらと背の低い木々をかきわける。そこに見えたのは、パチパチと音を立ててオレンジの炎を揺らす焚き火だった。

 火の上には、小さめの鍋がちょこんと料理を煮立たせている。

 焦げないようにと加減された火はとても暖かく感じられて、ゆっくりと近づく。鍋の中身が見える距離で少年は喉を鳴らした。

 見てくれはあまり良いとは言えないが、その匂いは空かした腹を刺激する。すでに夕暮れどき、辺りを見回すが人の気配は無く少年はためらった。

 でも、だめだ。少年は首を振り、物欲しげにもう一度スープを見て背を向ける。

「食べていかないのか~?」

「っ!?」

 茂みの中から声が聞こえて少年は体を強ばらせた。

「いいんだぜ。遠慮しないで食べていけよ」

 バサバサと葉を揺らして男が現れる。

 いま狩ってきたものだろうか、その手にはウサギがぶら下がっていた。絞めてきたばかりでまだ血がしたたっている。

「あ──」

 少年は突然現れたその男に目を丸くした。

 男に敵意がないことを感じたのか、逃げ出すこともなく男の全体をまじまじと眺めるその瞳は、やはりどこか輝いているようにも思える。

「あん? 俺の顔になんか付いてるか?」

 男は少年を警戒するでもなく、焚き火の側にある倒木に腰を落としあごをさすった。

 年の頃は三十代前後だろうか、深緑のミリタリー服に身を包み、硬い漆黒の髪に空のような青い瞳には弱々しさは感じられない。

 少年はふいに、男の脇に置いてあったライフルを見つけ瞳を険しくした。

「ん? これか?」

 ライフルに手をかける。

「なんでも、ありま、せん。失礼、しました」

「待てよ」

 たどたどしく発し慌てて離れようとする少年の耳に、ガシャリという音が聞こえて振り返る。男の顔は無表情ながらも、ライフルは確実に少年に向けられていた。

「──っ」

 その銃口に少年は息を呑む。しかし、

「腹が減ってんだろ? 食べていけよ」

 そう言って男は口の端を吊り上げライフルを地面に寝かせた。それに安堵するも、警戒心は解けず男の誘いに目を眇める。

「いいから座れ」

 ちょいちょいと指で示すが、そこから動かず煮え切らない少年の態度に男は苛ついた。

「し、かし」

「ガキが遠慮してんじゃねぇ!」

「っはい」

 少年は声に驚いて男の右斜めに腰を掛ける。腰を落とした切り株はずいぶんと古いもののようで、かつてここは管理された森だったことが窺えた。

「それでいい」

 にっこり笑って狩ってきたウサギを脇に置き、ステンレスカップを取り出して温かいスープを注いだ。

 少年はそれをじっと眺める。

「ほらよ」

「あり、がとう、ござ、います」

 カップとスプーンを受け取り、すぐに口にはせずカップをじっと見下ろす。

 中身は鶏肉らしきものと、ブロッコリーやセロリに豆が沢山入っていた。匂いからしてチキンコンソメ味か。

「毒なんて入ってねぇぞ」

「いた、だきます」

 少年はまず、液体だけをスプーンですくい取り、それをじっくりと飲み込んだ。焦らずに二度三度とそれを繰り返す。

 次に、少しだけ具を乗せて口に含むと、時間をかけてしっかりと噛みしめた。充分に噛み砕いたというのに、それでもゆっくりと慎重に飲み込む。

 男はその様子に感心した。

 見たところ、最後に食べ物を口にしたのは数日前のようだ。そんな状態でいきなり食べ物を胃に入れれば、胃が驚いて食べ物を受け付けず折角食べたものを吐き出す事になる。

 男はそれに、笑って説明してやろうと思っていた。しかし、少年はその知識を持ち的確に対処している。

 こいつ、ただのガキじゃねぇな。

「名前は?」

「ベリル、です」

 少年は少し戸惑いながら名乗った。

「そうか。俺はカイルだ」

 立ち上がって地面にしゃがみ込むと、座っていた倒木をまな板代わりにウサギを解体し始める。それを眺めながら、ベリルと名乗った少年はスープを口に運んだ。

 ウサギをさばくところを見ても、嫌な顔すらせずに食事を続けている。カイルはそれにも感心した。

 試すつもりはなく。つい、いつもの流れで作業をしてしまった。吐いていたら申し訳なかったところだ。

「あ、なたは、兵士、なのですか?」

 血まみれの手元とカイルを交互に見やり、躊躇いながらも問いかける。

「んあ? 俺は傭兵だよ」

 手際の良さにウサギはあっという間に解体され、それぞれに袋に別けられて小さなクーラーに納められる。

「傭兵」

「珍しいか?」

 ナイフを拭いながら問いかけると、ベリルは無言で小さくうなずいた。森を彷徨さまよったあげくに傭兵に遭遇するなんて、珍しいといえば珍しい事だろう。

「まあ、そんなに多くはないよな」

 肩をすくめて、ささいな話をしながら少年が食べ進めるのを見つめた。



 ──食べ終えた少年は立ち上がり、ペコリと頭を下げる。

「ありが、とう、ございます。森の出口を、教えて、頂けませんか」

「で、どこに行くつもりなんだ」

 少年はそれに答えない。家に帰るとか親が心配しているとか、そういうことを一切口にしないということは、家出もしくは本当に帰る家がないか。

 嘘を吐く余裕も意識もないようだ。とにかく、普通じゃない。

「寝ていけよ。疲れてるんだろ」

「いえ、しか、し」

「ガキのくせに、いちいち遠慮するね。俺が火の番しててやるから。それなら怖くねぇだろ」

 ベリルは戸惑いの表情を浮かべる。カイルは少年の様子から、何かから逃げているのだと感じた。それ程に、この少年は周囲の気配を探っていたからだ。

「ほら」

「あり、がとう」

 投げ渡された毛布を受け取り、躊躇いつつも土の上に寝転がった。



 ──カイルは焚き火の炎を確認し、静かな寝息を立てている少年に視線を移す。

 森の中ではこの服の方が動きやすいため着ているだけだが、少年はカイルの服に一瞬、おびえた目をした。

 武装している奴らにでも追われているのだろうか。

「教えてくれそうにはねぇな」

 寝付く前にいくつか質問してみたものの、少年は口をつぐんで何も答えようとはしなかった。よほど人には言えない事情があるのか。

 無理に聞くのも大人げないし。警戒されたらそれこそ聞き出せなくなる。思案して唸りながらまきを一本、火にくべた。

 毛布にくるまり、体を丸くして寝ている少年の顔は苦悩の表情を浮かべている。

 グレーのパンツに白いスニーカー。そして、前開きの長袖シャツは薄手で木の枝にでもひっかけたのか、あちこち破れている。

 あまりに軽装だ。こんな森の奥にいる恰好じゃない。

 初めは森で遭難でもしたのかと思ったが、少年の服の汚れにカイルは眉を寄せた。あの汚れ方は、誰かと闘った跡だ。

 シャツに付いている血は誰かと格闘し、倒した返り血だとうかがえる。気配の探り方と動きは訓練を受けた者のそれであり、洗練されていると言ってもいい。

 そもそも、どこから来たのだろうか。この近くには民家も山小屋も無い。家族がキャンプで来るような場所でもない。考えれば考えるほど不思議でならない。

 五日ほど森を彷徨うろついていたとは言っていたが、この森は迷うような森じゃない。方位磁針も地図も手に入れられなかったとも言っていた。

 それで迷ったとも思えない。まるで、この森から出たくないかのように彷徨うろついている。それほどの違和感がこの少年にはある。

 おそろしいくらいに綺麗な顔立ちにも驚いた。何よりも、少年の言動にカイルの疑問は募るばかりだ。

「そういやあ。ここから歩いて一日くらいの所に、軍の特別施設があったな」

 そこから来たとも考えられる。──が、

「んな訳ねえか」

 こんなガキがなんだって軍の施設なんかにいる。

 この国には徴兵制もなければ、軍に入れるのは十八歳からだ。それでも厳しいテストを経て、ようやく予備軍人となれる。

 大量の兵士は必要がなく、それだけに兵士は厳選される。アルカヴァリュシア・ルセタは、そういう状勢と政権下にある国なのだ。

 少年の口調を思い起こす。あのたどたどしいしゃべり方は、間違いない。

「言語障害を起こしてやがる」

 言葉が上手く出せなくなるほどのショックを受けたんだ。

 バカ丁寧な口調の他に、子どもにしては妙なしゃべり方だし育ちも謎だ。どうしたもんかねとカイルはあごをさすった。



 ──朝、ベリルはすぐ傍から聞こえた物音に目を覚ます。

「んあ? 起こしちまったか。まだ寝てていいんだぜ」

「おはよう、ございます」

 片付けをしているカイルを見てホッとする。少年は、借りた毛布を綺麗にたたみカイルに手渡した。

「おう、すまんな。それで、行く宛はあるのか?」

 再度、問いかけた。

「いえ」

 顔を伏せたベリルを見やる。まだ子どものこいつとこのまま別れるというのは、ちょいとあと味が悪い。

「そこの荷物持ってついてこい」

 ベリルは訳も解らず、あごでくいと示された荷物を手に取った。

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