織田信長に出会ったんだけど真剣で!?

中野莉央@Kindleで電子書籍化はじめ

第1話

 雲一つない晴天。風はほんの少し冷たいけど日差しが気持ちいい、絶好の散歩日和。私は近所の神社に、足を運ぶべく早朝から一人、家を出た。


 地元の神社に到着した私は入口の大きな赤い鳥居をくぐり、まだ咲き始めながら薄紅色の美しい桜の木々を楽しみつつ、白い石畳の道と石段をカツカツと歩いて重厚な檜造りの拝殿に辿り着くと、心ばかりのお金を賽銭箱に入れて鈴を鳴らし、良いことがありますようにとそっと祈った。


 さて、目的は済んだとばかりに拝殿を後にするべく石段を降りようとした際、ずるりと足を滑らせヤバイと思ったのが最後、そこで目の前が真っ暗になった。




「…………っ」


 どの位、意識を失っていたのだろうか……。幸い、どこも痛みは無い。頭は打ってないし、特に出血するようなケガも無いようだ。けっこうな時間、冷たい地面に横たわっていたようで、土が当たっていた右頬が少しだけ痛い。


 土の地面に手をついて、ゆっくりと立ち上がって違和感に気づく。自分が足を踏み外したのは石段、石畳の道だったのに、なぜ敷石で舗装されてない土の上で横たわっていたのかと。


 あたりを見渡すと、先ほど自分が参拝した筈の神社と何か違う……。道は全く舗装されていないし、周囲の木々も人の手で整えられた形跡は無く、鬱蒼とした森の中に放り込まれたような違和感が……。



「え? ここ、どこ?」


 思わず呟くと、木の陰から薄汚れた着物を着崩し、手には短刀を持った三人の男がぞろぞろと現れた。時代劇に出てくる悪者そのものと言った風貌の三人組だ。


「なんだ妙な恰好した娘だな」


「だが、なかなか別嬪じゃねぇか。高く売りとばせるぞ」


「勿論、売り飛ばす前に俺たちで、しっかり楽しませてもらうがな」


 へっへっへと厭らしく笑う男達に囲まれ、自分は悪い夢でも見ているのかと眩暈を覚えたが、男の一人にきつく腕を捕まれ、これは現実なのだと嫌でも思い知らされた。


「嫌っ! 誰か助けて!」



 絶叫するが、こんな人気の無い森の中、刃物を持った男達に囲まれ、腕まで掴まれている状況では絶望的だった。薄ら笑いを浮かべる男が私の服に手をかけ、もう駄目かと目を閉じた時、馬の嘶きと共に馬蹄の音が猛烈な勢いで近づいた。


 次の瞬間、私を掴んでいた男の腕は、馬上の人物が太刀を一閃すると同時に切り飛び、腕から流れる血が空中に弧を描いた。


「う、うわあああああぁ!」


 失った腕の付け根を抑えながら、蒼白になって叫ぶ男を、馬上の人物は一瞥して呟く。


「煩い。黙れ」


 そう吐き捨てると、そのまま男の咽喉に刀の切っ先をザクリと突き立てる。馬上の人物が男の咽喉から太刀を引き抜くと、大量の鮮血が咽喉元から噴き出す。物を言わなくなった男の身体は、その場にバタリと崩れ落ちた。


「ひぃぃぃぃ!」


 男の仲間が逃げ出すが、馬上の男は背後から切り付け、暴漢どもは瞬く間に屍と化した。刃にべっとりと付いた血糊を太刀を一振りして払うと、暴漢を切り殺した男は舌打ちしながら呟く。


「チッ! これから戦が始まると言う時に余計な体力を使わせおって……」



 目の前で次々と人が切り殺され、驚愕のあまり固まっている私に、馬上の男は呆れながら問いかける。


「なんだ小娘。野盗どもに襲われていたのだろう? 助けてもらって礼も言えぬのか?」


「な、何も殺さなくたって……」


 震えながら反論する私を、馬上の男は嘲笑った。


「フン! 刃を持った野盗相手に甘い小娘だな……。俺の前で騒ぎ立てたのが運の尽きだ!」


「…………」


 男のあまりの言いように、私があんぐりと口を開け呆れていると、目つきの悪い男は顔を顰める。


「全く、これから死地に行くと言う時に……」


「死地?」


「……間もなく、この先で戦が始まるのだ。巻き込まれたくなかったら、さっさと逃げる事だな」


「戦って……。ここは一体」


 私が疑問を口にしようとした時、遠くから複数の馬蹄の音が響き、近づいてくるのが聞こえた。



「フン! 漸く来たか! おまえは本殿の中にでも隠れていろ。戦の前に、俺が女と口をきいたと知れば、戦意を落とす者もいるであろうからな……」



 よく分からないが、男のただならぬ迫力に押されて、言われるがまま、私は神社の本殿に入る。中を見渡せば、ご神体として祭られているのか、奥の台の上に立派な鎧が飾られている。


 台の裏側にいれば、誰にも気づかれないだろうと、私は身を隠した。やがて馬に騎乗して後から駆け付けた少年たちが口々に叫び、目つきの悪い男に呼びかける。



「お一人で先に行かれては、危のうございます!」


「殿にもしもの事があったら……!」


「こ、この者どもは、殿が成敗なされたのですか!?」



 などと目つきの悪い男に苦言を呈しつつも、切り捨てられた野盗を目にして驚いていた。殿と呼ばれている所を見ると、かなり偉い身分のようだ。


 それにしても、刃物を持って着物を着崩した野盗、馬に乗って野盗を切り捨てた殿と呼ばれている侍、もうすぐ戦が始まるという言葉。どう考えても現代では無い。


 まさか、いわゆるタイムスリップという奴なのかと思い至り、頭がぐらぐらしながらも神社の本殿の中から様子を窺っていると、騎兵はどんどん増えていった。


 目つきの悪い殿が、先ほど苦言を呈していた少年に耳打ちすると少年は足早にその場を離れ、何だろうと思ってたら、殿や集まった兵たちが膝をつき、本殿に向かって、なにやら戦勝祈願を始めた。



 一方、長時間の戦勝祈願中、ずっと台の後ろに隠れていた私は、身を丸めて同じ姿勢なので疲れ切っていた。


「あ、足が痛くなってきた。一体いつになったら、どっか行ってくれるのよ……」


 思わず、身を捩れば運悪く、台座に身体が当たって、ガタッ! と飾られている鎧が揺れて、少し斜めになってしまった。


「ん?」


「鎧が揺れたような?」


「気のせいか?」


「……」


 戦勝祈願中の兵達がざわつく。戦の前に女と口を聞いたと知られると拙いみたいなことを言っていたし、ここで私が見つかるのは、どう考えてもよろしくないだろう。しかし、長時間、足に負担のかかるポーズをしていた私は、すっかり足が痺れた状態で一瞬、よろめき頭を台座にぶつけてしまった。


 ガッ! という大きな音と共に、再び鎧がガシャリ! と観衆の元、揺れてしまい、再び兵達が騒めく。もはや誤魔化せる状況ではない。万事休すと思った、その時。



「戦の前にこのような音が鳴るとは、吉兆じゃ!」


 殿と呼ばれていた目つきの悪い男が、声高々に宣言すると、兵達から歓喜の声が上がる。


「なんと!」


「神が瑞祥を示されたのか!」


「天は我らの味方をして下さる!」


「この戦、勝てるのでは!?」



 なんということでしょう……。私が頭を打ちつけて鎧が揺れただけなのに、人々は口々に「吉兆だ!」「勝ち戦だ!」と興奮している。これは、もう絶対に見つかったら駄目なやつだ……。私は出来たばかりのタンコブをおさえながら、ますます台座の後ろで息を潜める。


 やがて歓喜が最高潮に達した兵たちは「おおーっ!」などと叫びながら、バタバタと社を後にした。漸く人気が無くなり、鎧の後ろから、ゆっくりと顔を出せば誰一人として兵は残っておらず、ガランとしていた。


「な、何とか見つからずに済んだ……」


 大きく安堵の息を吐いているとガタッ! と音が響き、私は慌てふためきながら、再び鎧の後ろに身を隠す。


「ああ、慌てずともよいぞ」


「は?」


 声をかけられたので、そっと顔を出してみれば、殿と呼ばれていた男がこちらに近づいてくる。


「先ほどの戦勝祈願、おまえのおかげで、兵達の士気が上がったからな。一言、礼を言っておきたかったのだ」


「あ、そうですか……」


「士気が下がったまま戦に赴けば、勝てる戦ですら勝てぬからな……。尤も、此度の戦、生きて帰れるとは大将の俺ですら思っていないがな!」


 皮肉気に口元を歪めながら笑い飛ばす男に、思わず反論する。


「そんな……。何事もやってみないと分からないんじゃないの? まして、あなたが大将だって言うなら……。大将が最初から諦めてるなんて、部下の人達が可哀そうだわ!」



「フン! そうは言うがな……。二万以上の兵に対して、こちらはせいぜい三千だぞ? これほどの兵力差で、そう易々と勝てる訳がなかろう!」


「二万以上と三千!? 無茶だわ……。戦なんて止めて、戻るべきなんじゃ?」



 十倍近い兵力差と聞いて流石に驚く。そこまで兵力に差があるのでは絶望的では無いか。死地に行くのだと言っていた意味が漸く分かって、私は愕然とする。



「戻って籠城したところで、二万の今川兵に城を囲まれては、万に一つの勝ち目も無い……。今川の大軍を敵に回してまで、織田を助けてくれるような援軍も望めん。ならば、打って出た方がまだ見込みがある!」


「……」


「まぁ、勝てぬまでも、今川義元に一泡噴かせてやるわ!」



 小姓が『殿』『信長』と呼ぶ侍に『織田』『今川義元』……。それは学校の教科書で見た事のある、戦国時代の武将の名前だ。思わず私は呟く。



「……まさか、織田信長!?」


「ほう? 世間知らずの小娘かと思っておったら、俺を知っておるのか? そうだ。尾張のうつけ、織田信長とは俺の事だ!」


 ニヤリと笑う信長に私は日本史上、最も有名な奇襲を思い出した。



「織田信長と今川義元……。もしかして、まさか桶狭間の戦い?」


「ああ、今川軍の侵攻が遅ければ、桶狭間あたりでの激突になろう……。桶狭間が、俺の死に場所と言う訳だ」


 今から死地に行くのだと自虐気味に笑う信長に、私は思わず呟いた。



「あなたが織田信長なら……。今川義元との戦いで、あなたは死なないわ……」


「フン! 何を根拠に……。兵力差、二万対三千だぞ?」



「き、奇襲が成功すれば、大丈夫の筈……」


「はぁ……。戦を知らぬ小娘はこれだから……。何万もの兵を連れておると言う事は、大将である今川義元の本陣まで、厳重な警戒が敷かれておるということだ。そう簡単に奇襲が成功してたまるか!」


 忌々しそうに叫ぶ信長の気迫に、押され気味ながら、私は呟く。


「た、確か……。大雨が降って、その雨音に紛れて本陣に接近できる筈よ!」


「これだけ晴れているのに、雨など降るわけが――」


 空を見上げ信長が呆れ返っていると、にわかに厚い黒雲が出てくる。


「まさか……」


 唖然としながら言い終えない内にポツポツと降り出し、雨粒が大地を濡らしてゆく。



「……おまえ、なぜ雨が降る事が分かった? ……いや、そもそも貴様は何者だ? その恰好から伴天連の関係筋、吉利支丹であろうと思ったのだが……。よもや妖や神仏の御使いという訳でもあるまい? 」


「わ、私は普通の人間よ!」


 疑われるのは心外なので否定したが、信長は剣呑な雰囲気で睨みつける。


「では何故、雨が降る事が分かった? 俺が今川義元を討つと、どうして断言できる!?」


「あ、それは……」


「それは?」



 眉間に皺を寄せながらキツイ視線で見つめられ、思わず息をのむ。正直に話すべきか内心、おおいに悩みながら口を開く。



「私……。ゆ…………」


「ゆ?」


「…………夢を見たの!」


「夢?」


「そう! 私、よく正夢を見るのよ! 夢で『雨の中、奇襲をかけられた今川義元が、織田信長に討ち取られた』って、町の人が噂してた! だからきっと今回も当たるわ!」



 かなり苦しい言い訳だけど『実は未来からやってきた来たんです! 教科書に織田信長、載ってたんで知ってるんです!』って正直に話しても、信じてもらえる訳ないんだから、これが私にできるギリギリの言い訳だ! 私の言い分を聞いた信長は、両腕を組んで「ふむ……」と考えている。



「正夢……か」


「そ、そういう事! きっと実現するわ! だから大丈夫、あなたは死なない!」


「なるほど。神仏のお告げではなく、ただの小娘の正夢か……」


 織田信長は「くくっ」とおかしそうに笑った。おお、そう言えば信長と会って初めて笑顔を見た。目つきが悪く態度も悪いので、とっつきにくい印象だけど笑うと随分、イメージが変わる。



「気に入ったぞ!」


「え?」


「おまえ、名はなんと申す?」


「名前? 舞花だけど」


「『まいか』? 三河の方言ではないのか? なんとも珍妙な名前じゃ……」


 信長は呆れている様子だったが、自分から聞いておいて、他人の名前にケチをつけるとは何事かと、私はカッとなって反論する。


「珍妙っ!? 失礼な人ね!」


「まぁ、名前なんぞ、どうでも良い」


「!?」


 信長が突如、私の顎に指をかけ、睫毛が当たるんじゃないかという位、至近距離で私の瞳をのぞき込む。突然の事に吃驚している私に、信長は不敵な笑みを浮かべて宣言する。



「俺が見事、今川義元の首を取って帰ってきたら、側室にしてやる!」


「……は? そっ、側室!?」



 突然の提案に驚愕すると同時に、思わず眉根を寄せる。そんな私の様子に、信長は唖然として呟く。


「なんだ、気に入らないのか?」


「気に入る訳ないでしょう!」


「そう言われても、正室はすでに居るからな……。それに側室は女の身分が関係ない。お前がどこの馬の骨と分からずとも問題無いぞ」


「問題あるわよっ! 私は織田信長の側室になりたいなんて、一言もいってないわよ!」


「おまえ……。こういう時は『信長様、必ず生きて帰って、私を側室にして下さいませ』と言うものだぞ?」


「誰が言うかっ!」


「まぁ、いい……。おまえが何を言おうと、俺が決めたのだからな……。今川義元を討ったら、すぐ迎えに来てやるから、ここで大人しく待っているのだぞ?」


「はぁあああああ!?」



 何で一方的に上から目線で『側室にしてやる』などと言われなければいけないのか? 私は絶対に逃げよう! 逃げるしかない! 瞬時に考えたが、それを見透かしたかのように去り際、信長は告げる。


「言っておくが……。おまえのような目立つ身なりの小娘が、ふらふらと一人で外を歩いていれば、すぐに先ほどのような野盗に襲われるぞ?」


「!」


「仮に命が助かったとしても、遊廓あたりに売り飛ばされるのが関の山だ。まぁ、死にたくなければ、ここで大人しくしている事だ」


「ぐっ!」


 出会った当初は殺気立ちながら、自分は死地に行くのだと言い放ち、荒み切った眼で投げやりだった信長であったが、今は笑顔さえ浮かべて余裕綽々といった様子で軽々と馬に乗り、神社を後にして行った。信長に言い包められた私は、彼の馬影が遠ざかるのを見送りながら、悔しさのあまり地団駄を踏んだ。


「何なのよ、あの態度~! ムカつく~! さっさと逃げたいけど……。確かに、右も左も分からないし……」


 そう言っている間にも、どんどん雨脚は強くなってきた為、私は慌てて社の中に入った。



「ここを出て逃げ出しても、野盗に襲われたらアウト。ここで大人しく信長を待ってたら、側室確定っぽいし、一体どうしたら良いのよ……。誰か親切な人が、通りすがってくれないかなぁ……」



 私の願い虚しく、天候が雷交じりのドシャ降りになった事も影響して結局、誰も現れず、ひたすら閉じ籠っているしかなかった。




 いつの間にか、眠りこけた私は、近づく馬蹄の音と、馬の嘶きで目を覚ました。そして、のっしのっしと笑みをたたえて近づいてくる織田信長の姿に無事、戦が終わったのだと悟った。



「おお、大人しく俺を待っていたか!」


「待ってないわよ! 雨が強すぎて動けなかっただけよ!」


 勢いよく否定したが、私に近づく信長が全身返り血にまみれているのを見て内心、ギョッとする。


「それで、側室になる心の準備は出来たか?」


「出来るわけ無いでしょ!?」



 返り血を浴びた信長の姿にドン引きしている私は、前にも増して側室になるのを渋る。それに業を煮やしたのか、信長は腰に帯びている漆黒の鞘から、太刀をスラリと引き抜き、私の眼前で妖しく輝く白刃を見せつけた。



「ヒッ!」


「美しい太刀だろう? 宗三左文字という名刀だ」


「宗三左文字……」


 本物の真剣を前に、愕然としている私と対照的に、信長は嬉しそうに名刀を見つめ、うっそりと呟く。


「今川義元の首を取った時の戦利品だ」


「首……!」


 絶句する私に、信長はことさら、ゆっくりと宣告する。


「選ばせてやろう」


「は?」


「俺の側室になるのと、この刀で咽喉を切られて殺されるのと、どっちがいい?」



 とても良い笑顔のリアル魔王、織田信長に鋭利な切っ先を突き付けられながら質問され、無力な私は、涙目になりながら「側室になります……」と言わざるをえなかった……。


 怒涛の戦国時代、側室となった私は、織田信長が天下統一を進めるのを間近で見ながら、本能寺の変まで魔王の側室として過ごすことになるのだが、この時はまだ、そのような運命を知る術も無かった……。

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