第6話 ヒース王子と邪神降臨。

 三人のおっさん勇者。そしてヒース王子と冒険者三人。


 それぞれが、この白い霧に包まれた世界にこだまする精神をえぐるように不快な咆哮に身を震わせる。


 その時、何が起きていたのか────管理者(女)を人質に、管理者(男)を従えて「神の力が手に入るらしい」と思い込んでいる塔に案内させたルーフ・ワーカーは、本来ヒース王子が成し遂げようとしていたこと………つまり「次元回廊の開放」をやり遂げてしまったのだ。


 いにしえの神によって作られた「悪魔を封じた閉鎖空間」が解き放たれたことを察知した悪しき神々悪魔たちが、歓喜の咆哮を上げたのだ。


 そして、1体現れてもこの世界に大きな亀裂を生みかねない悪しき神々悪魔たちが、塔の上の空に生じた眼球のような「門」を目指し、雲霞の如く押し寄せる。


「ははー! 神よ、俺に力を!!」


 ルーフ・ワーカーは「門」の前で手を広げて悪しき神々悪魔たちを待ち構えている。その目は既に狂気を孕んでいた。


「愚かな……」


 解放された管理者(女)を抱き寄せ、目を伏せる管理者(男)。


 そして、ついに悪しき神々悪魔たちはこの世界に現れた。


 極彩色で異形異様な、この世の生物や生態系や進化形態を無視した造形のそれらは、精神力の低い者が見たら一瞥しただけで魂を抜かれかねない………そんな存在だった。


 塔の上空に生じた「門」から怒涛の竜巻のごとく飛び出してくる悪しき神々悪魔たちは白い霧の視界を吹き飛ばし、空を暗転させ、誰もが経験したことがない強烈な魔素で辺りを満たした。


 まさに地獄の門が開いたと表現したくなるおぞましい光景が頭上に広がっていく。


 ヒース王子は、魔素にやられて嘔吐しながら倒れ込む冒険者たちを見ながら、自分自身も震えていた。破壊神の精神体アストラルを宿しているから耐えられているが、本当ならヒース王子レベルの「普通の人」なら即死していてもおかしくない魔素なのだ。


『あれは、ど、どういうことですか!? まさか、僕以外の誰かが封印を解いたんですか!?』


 ヒース王子はやりとりにも慣れたもので、ちゃんと脳内で「破壊神」に問いかけている。


 ────そのようだ。


 精神体となってヒース王子に憑依している「破壊神」は淡々と応じる。


 ────そして次元回廊にある私の力の根源、つまり神格だが……次元回廊を解き放った何者かに奪われたようだな。


「……はぁぁぁぁぁぁ!?」


 ヒース王子は脳内会話をやめて声に出して叫んだ。


「一体どこのどいつが僕の邪魔を……!」


 歯ぎしりし、地団駄踏むヒース王子だったが、それよりも身の危険を感じる光景に生唾を飲む。


 塔の上から現れ、このあたりの視界いっぱいの空を埋め尽くす悪しき神々悪魔たちは、渦を巻いた雲のようにうごめいている。


「というか、こんなに悪魔がこの世界に蔓延ったら支配も何もあったもんじゃない!!」


 ────今頃気がついたのか。


 破壊神の声は笑っているようだった。


 ────まぁ、私の神格があれば他の邪神たちを制御できたかもしれないが、残念だったな。


「くっ……どうすればいいんですか!」


 ────貴様がどうするかなど、私にはどうでもいい。むしろ問題は、私の神格を貴様以外が手にしたということだ。貴様には私という精神体アストラルがいるからこそ、神格を手にした時にそれを適切に操ることが出来る。だが、私という制御から離れた神格を人間ごときが得たとなると、どうなるのか想像もできんな。


「………奪い返しましょう。そして、改めて僕がその力をコントロールして、この世界を支配する新たな神となるのです!!」


 ────貴様が神になるかどうかは別にして、世界の破壊はこの手でやり遂げたいものだと思っている。つまり目的はともかく『神格を取り戻す』ということで意見は一致したな。


「ええ、そうしましょう! で、どうやるのかおしえてください!」


 ────知らんがな。


「はあ!? あなた、神なんですよね!?」


 ────神だが全知全能だとは言ったことはないぞ。そして何度も言うが私は破壊の神だ。更に言うと次元回廊から精神体だけ抜け出して人間に憑依したのは初めてだし、神格を他人に奪われたのも初めてだ。未経験だからなにも知らんよ。


「くそっ!! って、え?」


 ヒース王子は、自分の足元で嘔吐を繰り返していた【マイティーポンティーアックス】の冒険者三人組の様子が変わったことに気がついた。


 今の今まで肩で苦しそうに息をしていた三人が、急に静かになってゆっくり立ち上がる。全員、目が虚ろ……いや、白濁としているから不気味だ。


 ────ふむ、空でうごめいていた悪しき神々悪魔たちがその者たちを依代にしたようだな。


「え、ちょ、嘘でしょ! 誰が僕を守るんですか!!」


 ────安心しろ。空で渦巻いている連中もこやつらに入り込んだ連中も、今の私と同じ精神体アストラルだ。悪しき神々悪魔たちが次元回廊を抜けてこの世に現れたとしても、強大な神格であればあるほど、この世界の制限を強く受けて私のように力を失う。つまり、絞りカスみたいなものがこやつらに入り込んだだけのことだ。


「な、なるほど……って、破壊神の神格みたいに、その悪魔たちの神格も分離しているってことですか?」


 ────そのとおりだ。そしてその神格は次々とに吸い込まれているようだ。


 生唾を飲みながら塔の上に視線をやったヒース王子は、言葉を失った。


 そこには、空に渦巻く悪魔たちを吸収し、徐々に変貌しながら巨大化する者がいた。


『ただの人間が巨大化して異形の存在になる』という光景を目の当たりにしたヒース王子は、ルーフ・ワーカーとは面識がないが、単純に「とんでもないやつだ」と認識した。


 ────やれやれ。あの人間は私の神格を得たせいで、他の悪魔の神格を従えることができた。そして悪魔に命令してすべて自分に取り込んでいるようだ。このままいけば空一面を埋め尽くしている悪魔すべてを吸収してしまうぞ。


「吸収し終わったらどうなるんですか……」


 ────どうなるか? 生きとし生けるものすべてを絶望と恐怖と苦痛の中で殺し尽くし、この世界を破壊し、今代の神を殺すだろうな。なんせそれが神の相克たる悪魔、悪神、邪神、魔神などと呼ばれている私達の行動原理だ。お前たち人間が呼吸するのが当たり前であるように、私達もそうすることが当たり前なのだ。


 異形の巨神となったルーフ・ワーカーは、自分がいた塔より巨大になった。


 その質量に耐えられなくなったのか、塔が崩れていく。


 そこにいた管理者(男)と管理者(女)がどうなったのかはわからない。


 ルーフ・ワーカーの全長は悪魔を吸収しながら膨れ上がり、ついには雲の上まで伸びていった。


 もはや全貌が見えない。視界にあるのは巨大な足の底に近い部分だけだ。


【マイティーポンティーアックス】の三人は白濁した瞳でその巨大な悪魔を見上げ、賛美するかのように「あー、あー」と呻いている。


 ────複数の精神体が取り憑いたせいで人間側の精神が耐えられなかったようだな。


 屈強な精神をしている冒険者でもこれだ。


 ヒース王子はもう【マイティーポンティーアックス】の三人など見てもいない。絶望的に巨大な敵を見上げて、為す術なくその場にしゃがみこむしかなかった。


「こりゃ、おとなしくしてるのは無理だろ」


 声と共に【マイティーポンティーアックス】の三人が光の輪のようなものに捉えられ、その場に倒れ込む。


 茫洋とした眼差しで声の方を見たヒース王子は、なぜか心の底から歓喜したくなった。


 そこにいたのは、三人のおっさん勇者たちだった。

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