第5話 ヒース王子と禁断の地。

 管理者。


 先代の神に創造され、命じられ、この禁断の地において「次元回廊」の制御と管理を担当している「神の使徒」は、幾千、いや、幾億の年月をこの地で過ごしていた。


 管理者の仕事は、毎朝起きたら近場の噴水で水を汲み、歯を磨いて、顔を洗って、朝食の準備をする。今朝はクック鳥の卵を使ったベーコンエッグと熱々のトーストにバターを────


「待て。君の日常なんかどうでもいい」


 ヒース王子は子供のような「管理者」の前にしゃがみ、目線を合わせて会話をする。


「君が管理者……なのか?」


「うむ!」


 子供のような神の使徒は、誇らしげに胸を突き出し、短い手を腰に当ててドヤ顔をした。


『『『 かわいい! 』』』


 冒険者たちは、あざといくらいに愛らしい管理者の仕草にほっこりしている。


「管理者ということは、次元回廊の塔を守っているんだね?」


「そうとも!」


 管理者は満面の笑みを浮かべる。


 邪心の欠片もない屈託のない子供の笑顔だ。


『『『 かわいい!! 』』』


 冒険者たちは、管理者の頭をナデナデしたくてたまらない様子だ。


「僕はその塔に行って時限回廊を解き放つつもりだけど、邪魔するかい?」


「むむ!」


 管理者は頬を膨らませた。それは抗議の証なのだろう。


『『『 かわいい!!! 』』』


 冒険者たちは、管理者の愛らしさに心打ち抜かれているせいで、この子どもが神の使徒だということはすっかり耳に入ってこないようだ。


「ま、いいぞぃ」


 管理者はあっけらかんと答えた。


「いいのか!?」


「うんむ。だってわしは管理しろとは言われたけど守れなんて言われてないしのぉ。それに、もう十分すぎるほど働いたと思うわけじゃ。もう何十億年も無休で無給………神もわしのこと忘れてると思うしのぅ。管理するものがなくなったらわしは自由じゃ」


「………じゃ、なぜ僕たちの前に現れた?」


「ここは危険な守護獣がうようよしているから、迷って入ってきたんだったら出口まで案内しようかな、という優しさゆえ、じゃ」


「なるほど。では聞くが、塔はどこだい?」


「ほれ、そこじゃよ」


 管理者が小さく丸みを帯びた手を向けた先………白い霧の向こうに黒々とした巨大な塔があった。


 今の今まで気が付かなかった。いや、突然それは現れた……と言っても過言ではないだろう。


「君がのかい?」


「そうとも。さあ、壊すのならさっさとやってくれ」


「……君の力があれば勇者も倒せるんじゃないか?」


「あー、それは無理じゃのぅ」


「なに……」


「わしは神に作り出された使徒ではあるが、神が選んだ勇者はぶっちゃけて言うとわし以上の存在じゃからな。なんせやつらは常識とかこの世界の物理法則とかを度外視して強い。あれは神の力………だから、神の代行者と言っても過言ではないわい」


「くっ、化物共め。と、とにかく早く塔に行かねば!」


 ヒース王子はとしている冒険者たちを急き立て、白い霧の向こうにある塔に向かった。


 その様子を眺めていた管理者は、しばらくしてヒース王子たちがいなくなったことを確認し、振り返った。


「これでいいのか」


 子供らしからぬ声色だった。その眼差しにもあざとさはまったくない。


「ああ、いいともさ」


 白い霧の中から声がする。


「では


「おおっと。それはまだだ。俺を塔に案内しな。あいつらみたいに幻像じゃなく、本物の塔に、だ」


 白い霧の中から人影が現れる。


「あいつらにゃ悪いが、俺がすべて奪い取ってやらぁ」


 管理者と同じ様な背格好の女児を抱きかかえ、そのこめかみに銃口を突きつけているのは、元ランクB冒険者にして闇ギルドにも所属し、アップレチ王国宰相だったドメイ・ワーカーの甥っ子でもある悪辣のルーフ……ルーフ・ワーカーだった。











 ルーフ・ワーカーがここにいるのは数々の偶然が重なってのことだ。


 クリーピングコインの罠に引っかかり捕縛された後、幾多の人間を殺し、脅し、奪い、犯しながら逃亡を続け、この世の果てとも思える温泉街「ブランキー・ジェットの町」に来たのは数ヶ月前。


 犯罪者である素性を隠し、3104丁目にある「赤い片面太鼓タンバリン亭」に住み込み、人畜無害な従業員になっていたのは逃避に疲れていたからだ。


 女将さんも番頭さんも、素性のわからないルーフ・ワーカーを受け入れはしたが、これが実に働かないし、使えない。


 ルーフ・ワーカーとしてはそれこそ悪行から足を洗って、ここで落ち着こうとも思ったが、労働がこれほど自分に向いていないものとは思ってもみなかった。


 いつか女将を犯し、番頭を殺し、店の金を奪ってまた逃げてやろう……そう考えていた矢先、まさか勇者排除派のヒース王子がやってくるとは思わなかった。


 ヒース王子はたんまりと金を持っているだろう。


 そう考えたルーフ・ワーカーは度々王子の部屋の様子を覗きに行った。


 そこで王子はよく独り言をこぼしていた。


「禁断の地に行かなくては」

「彼の地で力を得れば神になれる」

「そしてあのおっさん勇者共を地獄に突き落とす」


 その言葉の端々を得たルーフ・ワーカーは、抑えていた感情が沸々と沸き立った────あの腐れ勇者共に復讐できるチャンスがきた、と。


 禁断の地にいけばなんらかの力が得られる。


 その曖昧な、ヒース王子の妄言とも思える言葉を信じ、ルーフ・ワーカーは宿を捨て、旅に出た。


 王子たちより少しばかり早く着けたのは、ルーフ・ワーカーが禁断の地の大体の場所を闇ギルド所属時代に聞いていたことと、四人パーティより独り身のほうが移動が早かったことが大きい。


 そして愛用の銃で十二分に道中の魔物を倒すことができた。その兵器がなければとても一人でこれるような場所ではなかった。


 だが、ここで希望はついえた。


 霧の中にうごめくとんでもない化物たち相手に銃は通用しなかったし、神の力とやらがどこにあるのかもわからない。


 逃げ惑い、迷い、苦しみ、倒れ伏したルーフ・ワーカーを救ったのは、管理者たる子どもたちだった。


「ありがとうよ。これが天の助け、いや、地獄の導きってやつかぁ? なぁ管理者」


 ルーフ・ワーカーは女の管理者を人質にし、男の管理者を操った。


 不老たる神の使徒……それは決して不死ではない。病や老衰で死ぬことなどないが、外的要因で死ぬことはあるのだ。


 何百といた管理者仲間はすべて死んだ。


 残されたのは女の管理者一人と男の管理者一人。この二人で何億年も塔を守ってきた。その片方を人質に取られ、止むを得ず従ったのは管理者が生まれて初めて心底「失いたくない」と思う仲間だったからだ。


 助け人すら脅し、奪う。


 ルーフ・ワーカーは心底ドス黒いクズだった。


 まずは王子たちに邪魔されないよう、やつらを惑わすように管理者を仕向ける。そして神の力があるらしい塔とやらに案内してもらう。そこで管理者共は用済みだ。


「くくく、俺が、この俺が世界の神になってやらぁな………」











「なにやってんだ、あいつら」


 白い霧の中をぐるぐる回っているヒース王子たちを遠目で確認していたセイヤーが首を傾げる。


「子どもみたいなのが出てきたかと思ったら、同じ場所をぐるぐる回り続けているんだが……」


「狸か狐にでも化かされたか?」


 ジューンがそう応じると、セイヤーとコウガは顔を見合わせて


「今どき狸や狐に化かされたとかいうやつ、いるんだな」


 と、苦笑する。


「というか、禁断の地の場所がわかったんだからさ、もういいじゃん。帰ろうよ。1ヶ月近く尾行もしたことだし、もう疲れた!」


 コウガが抗議する。


 ジューンも「ビールが飲みたい」と、いろんな銘柄のビール名を呪文のように言い始めたし、セイヤーも「旨いものが食べたい」と、日本で食べていた料理名を連ねていく。


「それにしてもここ、やばいな。魔素が濃すぎる」


 セイヤーの防御魔法がなければ、いかにジューンでもこの白い霧の中にいたら体力を消耗していたことだろう。


「王子様たちが衰弱死するまえに助けてやるか」


 セイヤーはこの禁断の地を魔法で記憶しながら言う。一度記憶すればいつでもどこからでも転移魔法で瞬間移動できる。


「ちょっとまって……なんか嫌な予感がする」


 コウガが二人を制する。


 しんと静まった霧の中、遠いどこかで銃声みたいな雷鳴が轟いた。


「!?」


 一気に霧の中の魔素が膨れ上がる。


 ヒース王子と三人の冒険者たちも察知したらしく、逃げようとしているがやはり同じところをぐるぐる回っている。


「なんだ……何が起きた?」


 ジューンが目を細めると、その視界の白く濁った霧の向こうで何かが崩れ、大勢の咆哮が聞こえた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る