第2話 おっさんたちは温泉を楽しむ(後編)。

 リンド王朝王立魔法局局長であったトビン・ヴェール侯爵に反神アンチゴッド……悪魔パズズを憑依させた張本人────リンド王朝のヒース・アンドリュー・リンド王子は、おっさんたちと顔を見合わせて硬直していた。


 彼が東のリンド王朝の王族として最大勢力を誇り、現王の信頼も厚いのは、卓越した「政治力」を駆使出来るからだ。


 が、そんなの政治屋でも、怨敵と裸で向き合うとは想像していなかったらしい。


「なに余裕ぶっこいて温泉浸かってんだ、お前」


 ジューンが威嚇するのも当然だ。


 ヒース王子は反勇者勢力の代表格にして、目下おっさんたちにとって、いや、この世界にとって最大の敵である「破壊神」と繋がりがある世界の裏切り者だ。まさかこうも堂々と湯浴みを楽しんでいるとは、さすがのおっさんたちも想定していなかった。


 しかし、想定していなかったのはヒース王子も同じだった。


 悪魔パズズと化したトビン侯爵に、勇者とは言え人間ごときが勝てるはずもない。なんせ悪魔は神の反転した姿であり、悪なる神と呼ぶべき超超高次元の存在だ────なのに、ここに勇者がいる。つまりは悪魔パズズが負けた、ということだ。


「まさかここで僕と戦うつもりですか?」


 ヒース王子はと笑う。


 精一杯の強がりにも見えなくはないが、なにか含みを感じる。


 勇者三人相手に、なんの武装もないただの王子が勝てるだけの『策』を持っているかのような含みだ。


 おっさんたちは顔を見合わせた。


「なぁ、ここでこのをボコボコにしたら、話早いんじゃないか?」


「いやいや、みんながやっている準備が無駄になってしまうだろう。言われたとおりおとなしく準備が整うのを待っているべきだ」


「というかフルチンで乱闘とか、なんかやだ」


 ふむふむうむうむとおっさんたちが小声で相談している間、ヒース王子は『なにか隠し玉を持った含みのある男」を演じながら、脳内でを開始する。


『なんなんですか、この状況は! あなた破壊神でしょ!? 神の力でどうにかしてくださいよ!』


 すると、ヒース王子の脳内に声とも吐息ともつかない「意思」が伝わってくる。


 ───私は運命や因果律を云々する神ではない。世界を創造する上の対極において世界を破壊する神である。


『僕が聞いているのはそんなことじゃない! この最悪な状況をどうにかしてくれって話ですよ!』


 ───しらんがな


『はあ!?』


 ───自業自得だろうが。勇者がパズズを打ち負かす可能性もあったのに、どうしてそんなところで温泉入ってるんだ。


『そこに温泉があったら入る。それが人間というものなんですよ!』


 ───ほう。しかし、その結果こうなった。つまり、この結果を招いたのは貴様であり、まるで私に責任があるかのようにどうにかしろと訴えてくるのはお門違いもいいところだ。天罰食らわすぞ。


『じ、じゃあ、早く貴方様と同化させてくださいよ! 世界を滅ぼす破壊神の力を早く僕に!』


 ───いや……ワガママが過ぎるぞ。お前がまだ、私の力を授けることは出来ない。


『前借りさせてくださいよ!』


 ───無茶を言うな。お前が目的を達成しなければ私自身が破壊神の力を取り戻せないのだ。それなしで力を与えろだの前借りさせろだの無茶を言うな。


『そんな!』


 ───だから温泉なんか入らず、さっさと目的達成のための行動を取ればよかったのだ。


『うぅ……』


 ───いいかヒース王子。もう一度貴様の目的を伝えるぞ………禁断の地に赴き、開放せよ。さすれば我が力蘇らん。


『そうしたいんですけど、今はそんな状況ではないんですよ! こっちももう一度言いますけど、温泉に浸かってる三人のおっさん勇者たちを退けないと、僕は目標達成できずに死ぬ! そうしたらあなたも力を取り戻せないまま次元回廊に舞い戻るだけですよ!!』


 ───ちっ。せっかく堕天使アザゼルに聞いて、虚ろな人の身に降臨することで次元回廊から抜け出したというのに……まさか人間風情に脅されようとは。


『ふ、ふふ………僕が死ねば、あなたはまた神の監獄に舞い戻るんですよ! さぁ、どうにかしてください!』


 ───なら頭を使え。今ここで勇者たちとやりあっても勝ち目はない。ならばハッタリで乗り切るしかない。


『仮にも創造神の対極にいる破壊神ともあろう邪神様が、ハッタリで乗り切れとかしょぼいことを……』


 だが、確かに他に手はない。


 ヒース王子は意を決しておっさんたちに向き合った。


「そういえばこの温泉、実に旨い酒を温泉に浸かりながら飲めるそうです。どうでしょう? 今日は休戦ということにして酒を酌み交わすというのは」


 王侯貴族で最強と言われる酒豪。それがヒース王子の自負であり、あらゆるまつりごとで優位に立ち続けてきた秘策でもある。


「………」

「………」

「………」


 おっさんたちは顔を見合わせた。


 敵からのとんでもない提案に「アホなのか」と思う半面、無駄な争いを避けられるのならそれに越したことはない、という感情もあるのだ。


 血気盛んな若者勇者ならまだしも、枯れかけたおっさんたちの思考というのは「めんどうなことはしたくない」という感情が最優先されるものなのだ。


「あんたのおごりだからな」


 ジューンが言うと、ヒース王子はにへらと笑った。


 怨敵とも盃を酌み交わせるほどの度量を持つ王子。そういう評判で持て囃される絵が浮かんだのだろう。


「いいとも」


 ヒース王子は手を叩いて旅館の女中を呼んだ。











 ヒース・アンドリュー・リンド王子。


 彼が破壊神を呼び出したのは、偶然の一致からだった。


 勇者召喚をたやすく出来ることが判明した後、追われる身となったヒース王子とトビン侯爵は、新たな勇者を召喚しようと考えた。


 前回召喚した簡易勇者……英雄たちは結局おっさん勇者たちの足元にも及ばなかったが、今度はトビンの洗脳魔法でもっと攻撃に特化させたり防御に特化させたり、様々なタイプの勇者を呼んで身辺に配置しようとしたのだ。


 しかし、リンド王朝式の勇者召喚術しか知らない二人は、召喚に必要なアイテムの入手に難儀した。


 千年鳥の羽、不死の鱗粉、金剛石5キロ相当……これは王子の金の力でなんとかなった。


 だが、召喚に必要な【妖精王オーベロンの御石の鉢】などという伝説級のアイテムは、そうそう入手できるものではない。


 それは「妖精王を守護する四天王が持つ鉢を重ねて押して一つの鉢にした」という物語で知られる伝説級アイテムで、実際は鉢のように窪んだ形をした4色宝石のたぐいだ。


 常に光り輝いているそれを入手するだけでも100年は掛かりそうなアイテムだ。


 他にも必要な伝説級アイテムがある……蓬莱の玉の枝、火鼠の皮衣、龍の頸の玉、燕の子安貝……どれも、おいそれと手に入る品ではない。


 そこでヒース王子はトビン侯爵に命じて、代用品で召喚させた。


 その同時刻────次元回廊に封じられていた破壊神は、おっさんたちにボコられて、闇の勇者にくっついて次元回廊に落とされた堕天使アザゼルから『それなら精神体アストラルだけならここから抜けられるわけですが……』という裏技を聞いていた。


『だけど、精神体アストラルだけでは存在できないから、必ず肉体が必要です。できれば頭の弱い生き物が望ましいですよ、破壊神様』


『ふむふむ』


『あと、世界線の因果に従って本来の神の力は発揮できないと思いますけど、いいんですか?』


『ふむふむ。ここにいるよりマシだ』


『ま、次元回廊を破壊してしまえば、本来の力も取り戻せちゃうわけですけどね』


『ふむふむ………どうやって?』


『現世にあるんですよ、次元回廊の制御装置』


『なんと……』


『今代の神が作ったわけじゃないんですけどね。何世代も前の神が次元回廊の管理を天使に任せていた時に作ったらしいですよ』


『そんな抜け道があろうとは! よしアザゼル。私は現世に行くぞ!』


『はい、私はもう懲り懲りなんで、こっちで適当に過ごしますわ』


 ちょうどその時、ヒース王子がトビン侯爵を使って勇者召喚(アイテム不正)を行った。


 本来必要なアイテムを劣化、もしくは全く別物の品で代用したせいで、次元回廊とつながってしまったのは、運命としか言いようがない。


「失敗したのかな?」


 魔法陣から一向に異世界人が現れないのでヒース王子が憮然とする。


 トビン侯爵は慌てて魔法陣や召喚供物のチェックを始めたその時────ヒース王子の中に破壊神の精神体アストラルが降臨した。


 だが、強大な神格であればあるほど、次元回廊を抜けても力を失うらしく、破壊神はヒース王子に宿ってもなんの力も発揮できないことを瞬時に悟った。


 ────聞け、人間よ。私は破壊神の……


「うわ! なんだ!? 僕の頭の中で誰かが喋っている!?」


 ヒースは一瞬で混乱し、冷静さを失い、トビン侯爵があわわわと慌てる中、かなり長い間「ひぃぃぃ」と騒ぎ立てた。


 そこから破壊神の健気な説得が数日も続き、やっとまともにヒース王子と交信できるようになったのは、二週間後だった。


 ────頭の弱い生き物というか、どうせなら知能がない生き物に憑依すべきだった。


 破壊神は後悔したがもう後の祭りだったので、とにかくヒース王子を使って足がかりを作ろうと決めた。


 まずは王子に悪魔召喚の知識を与え、三下の悪魔であるパズズを呼び出してトビン侯爵に降臨させる。三下であろうと今の無力な破壊神よりはマシだったからだ。


 ────早く「禁断の地」に行き、次元回廊を解き放ち、自分の力と臣下たる悪魔たちをこの世界に呼び寄せ、今代の神を倒し、この世界を破壊してしまわねば。


 なぜ破壊するのか。


 それが破壊神の有り様であり、存在理由なのだ。











「ぶふぉあああ」


 露天風呂から半身外に乗り出した姿勢でヒース王子は白目を剥いて倒れた。


 湯船の中にいるおっさんたちからすると、こちらにケツを向けて大開脚している敵の姿に、セイヤーは「おいなりさんを見せるな! マナーが悪い!」と憤慨していたし、ジューンとコウガは大爆笑していた。


 ────破壊神の依代たるものが、酒ごときで破壊されようとは。


 破壊神の精神体は、意識を失ったヒース王子の中でため息を漏らした。

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