第8話 閑話・トビン・ヴェール侯爵の物語(後編)

「ここはどこだ」


 揺らめく白いカーテンを茫洋と眺めながら、心地よい風を頬に受けて魔法局局長トビン侯爵は、白く清潔な部屋の中を見回した。


「やっと起きたか、くしししし!」


 ベッドの縁に腰掛けていた、白衣だが妙に扇情的な女はトビン侯爵の顔を覗き込んで微笑した。


「ここはどこだ?」


「ここはリンド王朝の首都オルフェ……にあるエーヴァ病院だよ、トビン」


「リンド王朝……病院……私は生き返ったのか!?」


 ガバッと飛び起きたトビンだったが、めまいがして再び倒れ込んだ。


「くししし! まだ起き上がれるほどには回復しちゃいねぇよ。ほれ、これが全部体内に入る頃にゃ歩けるだろうがな」


 男言葉の看護婦は、トビンの頭上に下げられたポーションの瓶を指さした。


 ラストエリクサーと瓶に書いてある。


「勇者たちが置いていったスグレモノだぜ。定期的に置いてくれるんで病院としては大助かりさ」


「……夢だったのか」


「あん?」


「……夢の中で私は……闇の勇者と魔王に……いや、なんでもない」


「そんなことよりよぉ、トビン。元気になったらなにするよ」


「そうだな……って、私を呼び捨てにするのは随分と不敬だぞ看護婦!」


「んあ?」


「私は侯爵だ。リンド王朝の魔法局局長でもあるんだぞ」


「くしししし! バカだな、お前」


 看護婦はパンパンとトビンの足を叩いた。


「長いこと職務放棄してたんで魔法局局長なんてとっくの昔に職位剥奪されちまってるし、悪魔降臨なんかやらかした男が侯爵のままでいられると思ってんのか?」


「……たしかにな。家は取り潰されたか」


「噂しか知らねぇが、ヴェール領地はどこかの貴族が接収したらしいぜ?」


「そうか。領民が飢えていないのならいいことだ」


「くししし! で。退院したらなにをやるよ」


「元気になったらまず勇者たちに詫びをしなければなるまい。そして人知れぬところに隠居してほそぼそと暮らすさ……いや、今までやらかしてきた悪事の事を考えると自決すべきか」


 悪魔降臨以外にも、洗脳魔法と転移魔法で散々やらかしてきた。


 彼に身体ばかりか心まで犯された女たちのことを考えると、その罪を償うのに命を捨てるのは至極当然だろう。


「バカ言うな。俺を一人にしないんだろうが」


 看護婦はズイッと顔を近づけてきた。


 白衣の天使とは程遠い野性味あふれる女だが、顔立ちは美しいし、白衣で隠しきれない豊満な体つきは、病み上がりのトビンですら心臓が高鳴る。


「……私は君と、どこかで会ったのか?」


「くししし! 『悪魔パズズが一人ここに閉じ込められるのと言うのなら、私もここで魂が擦り切れてなくなるまで共にいようと思う』 ─────お前はそう言ったぜ?」


「は?」


 確かに言った。トビンの感覚ではついさっき言った言葉だ。


「くしししし! 俺だよ、俺。悪魔パズズだよ」


「……はぁ!!!!!?????」


「いやぁ、お前と一緒に次元回廊から魂だけ飛ばされちまってよ。人間の子供に転生して24だ。やっとお前と話ができて嬉しいぜ」


「いや……え……転生……え?」


「だーかーらー。俺は人間にされちまったのさ。ま、次元回廊に永久に閉じ込められてるよりゃ、こっちのほうが全然マシだぜ。どうだ、この身体。お前こういうのが好きだったろ。お前と同化したときに心の中まで全部見れてたからな。くししし!」


「まて……お前、本当にパズズなのか?」


「そうだって言ってんだろ。ま、悪魔の力はなくしちまって、今はただの人間。しかも、この病院の看護婦様さ。お前が起きるまでずっと世話してきたんだぜ? 健気だろ、な?」


「………いや、パズズって男じゃなかったのか?」


「ばーか。神や悪魔に性別なんかあるもんか。あ、もちろん今は女だぜ? あとで俺のここにアレを入れてみるか?」


「や、やめろ、下品すぎるぞお前!」


「くしししし! 生みの親たちからもそう言われてたぜ。だが、こういう『俺っ娘』ってのもオツなもんらしくてな。スケベな医者たちからはよく誘われてんだぞ?」


「そ、そうなのか」


「だけどよぉ。俺はあんたにみさおを立ててるから、どんな男も蹴り飛ばしておしまいさ。だから気がついたら24歳。もう結婚適齢期をとうに超えちまってるから、ちゃんと責任取れよ?」


「あ……え?」


 トビンは目を白黒させている。理解が追いついていないのだ。


「24歳……私は24年も寝ていたのか?」


「そうだぜ? 次元回廊から開放されてから24年さ。あぁ、心配すんなよ。あんたの入院費とか医療費は全部勇者のとっつぁんたちが立替えてくれてるから、あと200年入院してても大丈夫だからよ!」


「なっ……私は彼らにどれだけ借りがあるというのだ」


「返しきれねぇよ、そんなもん」


 パズズは遠くを見る。


 彼、いや、彼女も転生してから勇者たちに世話になったのだろう。


「それに24年って……私はもう老人なのではないか……?」


「くしししし! ラストエリクサー様々だよなぁ。ほれ、あっちに鏡があるぜ」


 パズズに肩を借りながら上半身だけ起きて、壁に飾られた鏡を見る。


 以前のまま、いや、以前より若返っている気もする。


「俺と見た目が合うようにってことなんだろうけど、ラストエリクサーってのはどんな怪我や病も治すし、若返らせて長寿にしてくれるもんらしいぜ。そのかわり馬鹿みたいに高いけどよ」


「そう……なのか」


「ま、24年も経てばいろいろ世界も変わってる。把握するのに時間もかかるだろうし、ゆっくりしようじゃねぇか」


「なぁ、パズズ」


「んあ?」


「お前、生まれ変わっても名前はパズズなのか?」


「くしししし! んなわきゃねぇだろ。ちゃんと生みの親からリンダって名前を貰ってるさ」


「リンダ、か。いい名前だ」


「お、おう」


 元悪魔パズズは照れたように顔を背けた。


 そこに何人もの看護婦がキャッキャ言いながら入ってくる。


「おめでとうリンダ!」

「やっと眠り人が起きたのね!」

「違うわよエクシー。眠り人じゃなくてでしょ」


「お、おう」


 リンダは耳まで真っ赤にしている。


『これが悪魔パズズだと………マジか?』


 下賤の民が使いそうな「マジか」などという単語が出てしまうほど、トビンは悪魔パズズとリンダのギャップに驚いてしまった。


「トビンさん、この子ったらあなたとの子供の名前まで決めてるのよ」


 そばかす顔の看護婦が興奮気味に食いついてくる。


「ちょ、やめろエクシー!」


 パズズ、いや、リンダは首まで真っ赤になりながらそばかす顔の看護婦を止める。


「なんだったかしら。そう! ダミアン。ダミアンって名前の子供を生みたいらしいわ!」


「そ、そうなのか」


 キャッキャウフフする看護婦たちを、トビンはどこか現実味のない状況に困惑しながら眺める。


『どうして勇者たちは私を許すようなマネを……』


 彼がその答えに辿り着くには、あのおっさん勇者たちに会う必要があるのだが、会えるのはいつになることか。


「結婚式には呼んでね!」

「絶対よリンダ!」

「式は病院の庭でやりましょうよ!」


「お、おう」


 トビンは勇者たちに会うより先に、悪魔パズズ(の生まれ変わり)と世帯を持たされそうだった。


『これはあの次元回廊の中で起きている夢じゃないんだよな……』


 キャッキャウフフしている看護婦たちと照れまくるパズズを見ながら、トビンは風で揺れるカーテンを眺めた。


『勇者たちよ、礼を言う』


 ここにいない、誰かに対して、トビンは心の底から頭を下げた。

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