第7話 閑話・トビン・ヴェール侯爵の物語(前編)

『ここはどこだ』


 揺らめく白いカーテンを茫洋と眺めながら、心地よい風を頬に受けて魔法局局長トビン侯爵は、白く清潔な部屋の中を見回した。


 貴族の部屋ではないし、庶民の宿でもない。


『あぁ、一度視察したことがある。ここはディレ帝国のエーヴァ商会が各国に展開させている「エーヴァ病院」だな……』


 魔法による治癒を施される者は幸せである。大怪我した時に治癒魔術師が近くにいると言うだけでも奇跡なのだから。


 そして治癒魔法の対価は高い。


 治癒魔術師はそれを生業にしているので致し方ないことだが、庶民がこの恩恵に預かれることはないと言い切ってもいいほど、術をかけてもらうには高価な金額を払うことになる。


 そこでディレ帝国のエーヴァ商会は(セイヤーの入れ知恵だろうが)「病院」という施設を展開した。


 医療行為はこの世界にも古くから存在している。


 なんせ治癒魔法は滅多なことでは見る機会もないので、身を護るためには必要なものなのだ。


 が、しかし………その医療技術は民間療法、しかものレベルでしかなく、本格的な病いや大怪我に対処できるものではなかったし、地方によってやり方が異なっていた。ものによっては間違った知識での医療行為も行われていたらしい。


 それら医療行為の情報を「病院」で集約し、さらに勇者たち異世界者の知識や各国の薬師たちによる全面協力によって、医療技術は飛躍的に向上した。


 民は怪我や病気を安価で癒やすために病院を訪れるようになり、ちょっとした怪我で命を失うことはなくなった。人々の寿命はかなり伸びることだろう。


 そんな病院の、簡素だが清潔なベッドにトビン侯爵は寝かされている。


『なぜ私は生きている……?』


 トビン侯爵は寝たまま両手を持ち上げてみた。


 腕には血管に通じる管が刺してあり、頭上にあるなにかのポーションから点滴されている。


 そのおかげなのか、生気のすべてを失って死んだはずの身体に瑞々しさが戻っているではないか。


『ヒース王子によって悪魔パズズを召喚し、この体に取り入れた。そして勇者たちに……いや? もっと恐ろしいなにかに敗れ、私は悪魔パズズが消滅する時に命の全てを持っていかれて死んだ……そこまでは覚えているが……どうして生きているんだ』


 何度も何度も「なぜ生きているのか」と自問するが、答えはない。


『もしも誰かが救ってくれたのだとしたら、残念ながら無駄なことをさせてしまった。私に生きている価値などないというのに………』


 生き長らえたとしても、魔法局局長の座にありながら、人という種を裏切って悪魔と結託してまで勇者を排除しようとした自分は「世界の敵」だ。


 トビン侯爵は腕に繋がれた管を引き抜いて起き上がった。


 管が刺さっていた腕から鮮血がこぼれて白いシーツを汚すが、気にしたものではない。


 ふと、点滴されていた瓶のラベルを見たら「ラストエリクサー」と書いてあった。


『ははは。最後の最期の時でも、もったいなさすぎて絶対使わないと言われる神のポーションの名前を用いるとは、随分とさかしい病院だな』


 起き上がってベッドの縁に腰掛ける。足に力が入らない。


『私は一体どれだけここで寝ていたんだ……』


 トビン侯爵は身体強化の魔法をかけようとしたが、自身の魔力が0に近いことに気がついた。


『魔力が回復していないのか? それとも魔力を失った? ははは……一度死んだ身だからな。何が起きてもおかしくはない』


 苦笑しながら、部屋のあちこちに備えられた手すりに捕まって立ち上がる。


『患者のことをよく考えてある病院だ』


 手すりがあちこちに据えられているのに景観を乱していない。痒いところに手が届く室内設備にトビン侯爵は感嘆した。


 病室を出ると廊下があり、いくつもの病室が続いている。


 患者たちのいる気配、看護婦や医師と会話している声。医療用具をトレーで運ぶ音……病院での生活感は音や気配で感じる。


 なのに、誰ともすれ違わない。


 気になって別の病室を覗き込んだが、6人部屋のベッドはそれぞれが独立したカーテンで塞がれているので患者の姿は見えない。


 見えないが、カーテンの中で談笑する影は見える。


 トビン侯爵はそこの患者に訪ねようと近寄り、カーテンを開けた。


「!?」


 誰もいない。


 今、確実にこのカーテンの中に人影が見えたはずなのに。


 他のベッドのカーテンを開けても、そこにいたはずの患者はいない。


 飲みかけのカップはまだ温かい湯気を立てているし、剥いたばかりのりんごは酸化していない。まるでカーテンを開けた瞬間消えてしまったかのような雰囲気すらある。


「これはどういうことだ……」


『どういうこともないさ』


 頭の中に重くて煩わしい声が響いた。


『お前の肉体は現世の病院で寝たきりだ。ま、勇者の奴らがラストエリクサーを使おうがどうしようが、一生お前が目覚めることはないと断言するがなぁ』


「なんだお前は!? どこから喋っている!?」


『おいおい、そりゃねぇぜ相棒。俺はパズズだよ。邪険にするなよ、なぁ?』


「悪魔パズズ!?」


『そうとも。俺は神に吹き飛ばされ閉鎖空間……この次元回廊に投獄されちまった。だが、一人で行くのも寂しいからなぁ。お前の魂も連れてきた』


「ど、どういうことだ」


『わからねぇか? 今のお前は魂だけの存在。永遠にこの俺と閉鎖空間で孤独に存在し続けるのさ。いいじゃねぇか、死ぬことも老いることもなく、ただこの中で存在しているだけってのもよぉ。ほんと、お前がいなかったら話し相手がいなくて寂しくて死んでしまうところだったぜ』


「わ、私を巻き添えに!?」


『巻き添えも何も、俺をこの世界に喚んだのはお前だぜ。一蓮托生じゃねぇか』


「い、いやだ。殺せ! 殺してくれ!」


『いいや、駄目だね。お前は死なない。肉体が滅んでも魂だけになったお前はここで一生俺と話し続け────なにっ!?』


 パズズの声が上ずった。


 トビン侯爵の前に一組の男女が現れたのだ。


 一人は黒い鬼のような仮面をかぶっている黒衣の男。その黒衣からこぼれて見える四肢はカラクリ人形のような作り物だ。


 もう一人は魔族の女だ。


 こめかみから天を貫くかのようにそそり立つ角は赤から黒へとグラーデーションして美しく、漆黒の翼も、全身からあふれる威厳と貫禄も、そしてそのその乳の大きさも、あまりにも堂々としたものだった。


「君たちは……」


 トビン侯爵が問いかけると、男の方は「ふん」と横を向いた。


に頼まれたから仕方なく、だ」


「え?」


「仕方なく、助けに来たと言ってるんだ」


 おっさん勇者たちより100年前に呼ばれた先代勇者、鈴木・ドボルザーク・天美馬ペガサスはぶっきらぼうに言った。


 彼の生年月日は2100年10月10日で身体は全身擬体アンドロイド。おっさんたちより未来から呼ばれた男だ。


「私達はこの次元回廊の中に住んでいる。ここなら彼の身体は朽ちることもないし、私と永遠に一緒に生きられるのでな」


 女魔族の声は一言一言、トビンを圧迫する。


「あ、あなたは?」


「私は魔王のアルラトゥ。彼と共にここに住む者だ」


『ば、バカな!? 次元回廊の中に人が!?』


 トビンの頭の中で悪魔パズズが呻く。


「俺達はここに住んでいるからいいが、お前は魂だけここに囚われている。それを元の世界に戻してやる」


 闇の勇者が漆黒の空間を生む。


 それは重力の坩堝で、空間を歪曲させてしまうほどの「闇」だ。


『やめろ! やめろやめろやめろやめろ!』


「まってくれ」


 トビンは闇の勇者を制した。


「私は世界に悪魔を喚んだ大罪人だ。元の世界に戻ったところで待ち受けるのは斬首刑だろう……戻る必要などない」


「俺は後輩に頼まれたから貴様を元の世界に飛ばす。それだけだ。貴様の事情など知るか」


「駄目だ。悪魔パズズが独りぼっちになってしまう!!」


 トビンの叫びに闇の勇者と魔王は顔を見合わせた。


「ねぇペガちゃん。この男、悪魔に同情しているのか?」

「そうらしいぞアルちゃん……バカなのかな、こいつ」


 お互いを愛称で呼び合い、指絡ませてくっついていちゃこらしている闇の勇者と魔王。


 そのいちゃこらを見続けさせられてはたまったものではない、と、トビンは頭を下げて願い出た。


「私は自分の罪を償いたい。悪魔パズズが一人ここに閉じ込められるのと言うのなら、私もここで魂が擦り切れてなくなるまで共にいようと思う」


『お、お前……』


 頭の中で悪魔パズズの声が涙声になっていた。


「だから知らんと言ってるだろうが。ここは俺たちの愛の巣だ。よそ者はでていけ」


 闇の勇者は魔王アルラトゥの頬に口づけしながら、容赦なくトビン侯爵を別空間にふっとばした。

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