第5話 おっさんたちと反神トビン。

 トビン・ヴェール侯爵。


 リンド王朝侯爵家の長男として生まれた彼は、隔世遺伝した「勇者の能力」を操れる魔法の逸材だった。


 勇者の血脈は貴族たちにとって「力」と「権力」の象徴であり、様々な名家がその血を取り入れてきた。だが、勇者の能力を覚醒させた者は少ない。勇者の血脈は数世代、もしくは十数世代あとから開花することもあるのだ。


 トビンはその隔世遺伝で勇者の能力を開花させた稀有な例だった。


 彼はその血のおかげで幼い頃から魔法に長けていた。


 分類不能な血統魔法の中でも最上級と呼ばれる「転移魔法」。そしてどんな人間、いや、どんな生物でも洗脳して想いのままに操ってしまう「洗脳魔法」。その2つは勇者の血を持っていたからこそ得られた魔法だった。


 そして彼は周りから恐れられた。


 どんなに堅牢な場所でも悠々と入り込め、なんの証拠も残さずに余裕で去っていく「転移魔法」は、リンド王朝で最も守られているはずの宝物庫であっても散歩コースにできてしまう。


 さらに転移の使い方を変えれば敵の体内に異物を転移させたり、敵陣に岩山を転移させて全員石の中に閉じ込めてしまうことも出来る。そして、それに対抗するすべは、ない。


 さらに恐ろしいのは洗脳魔法だ。


 発動条件は単純であればあるほど掛かりやすいそれは、青年になったトビンにとって最高の力だった。


 どんな大人も彼にひれ伏し、どんな女も彼に惚れて股を開く。


 転移で夜這いし、家人に気づかれたら洗脳してなかったことにしてしまう。こうして、怯え泣き叫ぶ女を洗脳せずに犯し尽くし、終わってから洗脳して記憶を削除するという遊びを何度となく繰り返した。


 誰がそんなトビンを捕らえられようか。誰がトビンから家人を守れようか。


 だが、ある時、彼の特殊な血統魔法はどんな相手にでも通用するものではないと知った。


 初めて洗脳できなかった相手はクシャナだった。


 彼女にはどんなに強い暗示をかけても全く受け付けない。それどころか、洗脳魔法を使えば使うほど彼女はトビンを本能的に避けるようになった。


 よもや自分の能力が通じない人間がいるとは思わず、何度かは「抹殺」も考えた。が、異物を転移させても彼女の手前で弾かれてしまう。


 どうしてクシャナに通じないのか理由はわからない。


 わかっているのは、爵位持ちで魔法の才能もあるその美女は、トビンが生まれて初めて「落とせない」女であり、十二分に興味を引きつける対象となったことだ。


 父と娘ほどに年は離れていたが、トビンは彼女を自分のものにするために、様々な策を実行した。


 だが、彼女はそっけない。


 トビンが話しかけても、彼女は「魔法局局長に対して」の事務的な会話しかしてこない。


 そんな折に、魔王に対抗すべく三大国家で執り行う「勇者召喚」を実行することになった。


 トビンはその取り仕切りをすべてクシャナに任せることにした。


 成功したら次期魔法局局長の座は確定するだろうし、失敗したらエリート街道から外れる危険な賭けだ。


 なんせ、いくら王家直伝とはいえ、前回の勇者召喚は100年も前で、ちゃんとしたやりかたが残っていない。


 だが、クシャナはそれを受けた。彼女は自分の地位と名誉にしか興味がない女だった。


『よし。クシャナはきっと勇者召喚に失敗するだろう。そこで心折れた彼女を優しく包み込めば、能力を使わずとも彼女を私のものだ』


 その底の浅い企みは、クシャナが無事に勇者ジューンを召喚したことによって露と消えた。


 だが、トビンはそれでも諦めない。


『彼女が召喚した勇者がポンコツであれば非難の的になるだろう。そこで心折れた彼女を優しく包み込み……』


 確かに最初は勇者固有能力がわからず、ジューンは無能だとも陰口を叩かれていた。クシャナ自身もそれがわかっていたのかジューンと関わらない時期もあった。


 だが、ジューンは見事に覚醒してしまった。努力すればするだけ尋常ならない力を身につける「成長する化物」として。


 そればかりか、どんな男にもなびかなかったクシャナが、こともあろうに、平たい顔をしたおっさんであるジューンに、どことなく惚れ込んでいるようにも見える。


 トビンは慌てた。


『まずはジューンを洗脳して、そのあたりのゴロツキ以下の腐った品性の男に作り変えよう。そしてジューンがクシャナに手を出すところを助け出し、正義のヒーローとして彼女を射止めよう』


 という、これまた浅い魂胆を実行した時、トビンは驚いた。


 ジューンを洗脳できなかったのだ。


 きっとジューンは洗脳魔法をかけられたことにも気がついていないだろうが、明らかに効果がなかったのでトビンはそそくさとジューンから逃げた。


 そこで判明した。


 トビンの血統魔法は「勇者の持つ力の前で霧散してしまう」ということが。


 勇者はこの世界に召喚されてきた瞬間、基礎的に持っている勇者特性がある。無限の体力、驚異的な回復力、そして……強力な魔法抵抗力だ。


 勇者、もしくはその血を濃く覚醒させた者にはトビンの血統魔法は通用しない……ということは、クシャナも勇者の血統なのだろう。


 自分こそ無敵だと思っていたトビンにとって、とてつもない脅威、とてつもない恐怖だった。


 そんなトビンの心につけ入るように現れたのが、ヒース王子だった。


 にへら顔の第一王子は、物腰こそ柔らかいが、トビンを恐怖させた。まるで自分のすべてを見透かされているような気にさせるのだ。


 ヒース王子はトビンに囁き続ける。


 ────貴族院に元老院……あの無能たちは『勇者の血を残すため誰かと子を成してもらいたい』なんて言っているけど、このままだと君の大好きなクシャナがその孕み腹になるんだよ? あの美女が、あの肉体が、あんな異世界のおっさんに舐め回され、犯され、あえぐ……そんな光景、君に耐えられるのかい?


 ────いいかいトビン侯爵。勇者ジューンは所詮、異世界人さ。この世界を仕切るにふさわしい血ではないんだ。この世界を牛耳るのは僕ら、高貴な血の持ち主なんだ。


 ────残念だけど、僕たちでは魔王を倒すことなんて出来ない。それはあのおっさんたちにやらせればいいと思うんだ。そのために呼んだんだからね。


 ────問題はその後さ。魔王が倒された後、あのおっさんたちが幅を利かせたらこの世界はどうなる? 魔王をも倒した化物が自由気ままにこの世界を破壊したら? 人々の愛しき相方を蹂躙し、富を奪い、魔王と変わらぬ存在になったら?


 ────さあ、一緒に勇者を排除しよう、トビン侯爵。


 ────もちろん僕が世界を掌握した暁には、クシャナは君のものさ。


 ────つまり、世界の半分は君のものだ。


 トビンはヒース王子に協力することにした。


 二人の野心はモノの大小はあれど「勇者を排除する」という一致を見たのだ。


 それから勇者を研究した。


 打倒する相手なのだから調べるのは当然だ。


 その結果、勇者の召喚はいつでもできることが判明する。


 トビンの洗脳に対抗できるような「大いなる加護」すべてを持つ勇者は100年に一度しか召喚できない。だが、それぞれが持つ「固有の勇者特性」を発動できる異世界人を呼ぶのはいつでも出来たのだ。


 さっそくリンド王朝式の召喚術で、「簡易勇者」たる田口美澪ミレーを召喚し、自分の血統魔法で洗脳も施した。


 出来た。洗脳できたのだ。


 洗脳内容は「自分たちに逆らうな」の一点。簡単な方が効きが良いので、そうした。


 逆らえないついでに犯してやろうかとも思ったが、ヒース王子から「あまり色気を出しすぎると足元をすくわれるよ?」と注意され、その性欲はクシャナのためにとっておくことにした。


 ヒース王子が勇者ではなく「英雄」と称したりして別格のイメージを作った簡易勇者たちは、三人のおっさんたちといい勝負をするだろうと思われた。


 だが、本物の勇者には太刀打ちできなかった。


 そればかりか、追い詰められてヒース王子とトビンは敗走を余儀なくされてしまった。


 ヒース王子はそれでも絶望していなかった。むしろ「切り札」を隠し持っていたのだ。


 ────勇者やつらは神に祝福されている。そんな神の使徒に対抗できるのは、神と戦えるものだけだと思わないかい?


 ────堕天使? ははは。やつらでは駄目だよ。だって堕天使なんて元は天使、つまり神の使いっ走りなんだよ。それに勇者たちはすでに最強の堕天使アザゼルを倒している。どんな堕天使を当てても無駄さ。


 ────違う、違うよトビン。僕たちが必要なのは、神と同等で、神とも戦える存在さ。


 ────神が「秩序と正義」の象徴であれば、その逆である「混沌と悪」の象徴もいるんだ。


 ────悪魔、という存在がね。


 そこからのことはあまり覚えていない。


 トビンは数十人の女子供の血で描かれた巨大な魔法陣の中心に全裸で寝かされた。


 謎の言葉で詠唱するヒース王子。この王子がどうやって「悪魔」と通じたのかはわからない……わからないまま、意識が途切れた。


 目が覚めたら、自分の中に「別のなにか」がいるとはっきり感じ取れた。


 そして湧き上がる感情………不安、焦燥、困惑、緊張、後悔、不満、無念、嫌悪、羞恥、軽蔑、嫉妬、殺意、劣等感、怨み、苦しみ、悲しみ、切なさ、怒り、苦悩、絶望、憎悪、空虚。


 負の感情のすべてを受け入れた時、トビンは自分の中にいる「別のなにか」と一体になれたとわかった。


 私の中にいるお前は誰だ。


『我が名は悪魔パズズ』











 トビン侯爵は変貌した。


 怒りに歪んだライオンのような頭。


 その頭頂部にあるのは鶏冠のような突起状の角。


 腕は鉤爪で、鷲の脚と背中に4枚の羽。


 尻からはサソリの尾が伸びて、赤紫色の肌は毒々しく、美しい。


 おっさんたちはもちろん、旧神たるテミス&コイオス姉弟も、変貌したトビンから放たれる「マイナスの神気」に打たれて言葉もない。


 聖竜リィンは頭を抱え、尻尾を股間に挟み込んで玄室の端っこで震えている始末だ。


 少しでも気を抜いたら平伏して涙ながら助けを請いたくなるような圧倒的で絶対的な存在を前に、リィンの情けない姿を責める者などいない。


「人間が反神アンチゴッドを憑依させただと……」


 女神テミスは青ざめている。


反神アンチゴッドってなんだ!?」


 ジューンは、吐き気を催しそうになる強烈な魔素と神気を手で振り払いながら尋ねる。


「善なる神と相反する……つまり、人が言うところの【悪魔】【悪神】【邪神】【魔神】だ」


 ジューンの問いかけに応じたのは、テミスと同じ旧神・蜘蛛王コイオスだった。


『旧神二人が怯えてるとか、相当だな、こりゃ……』


 ジューンは今が正念場だと悟った。


 旧神。


 今世界を統治している神より、前代に神であった者たち。


 神々の争いに破れ、能力の大半を奪われて世界各地に封じられし神。


 ────そんな神である二人が、変貌したトビン侯爵を前にすくんでいる。


「セイヤー、コウガ。こりゃ、ちょっと本気でやらないと不味いぞ」


「わかっている。あれはこの世界にいてはならない存在だ」


「この優しい世界を守るためにかぁ。いいねぇ。なんかやっと勇者って気になってきたよ、僕」


 三人は顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる。


「こんなおっさんたちの命で世界が一つ守れるのなら、ま、安いもんだろ?」


「確かに。私達を愛してくれた者たちに礼をする意味でも、ここでやるべきだな」


「僕ら、伝説になっちゃうかもねぇ」


『なにをくだらぬことを話している? まぁいい。貴様たちはここで終わるのだから!』


 トビン。


 いや、悪魔バズズは両手を高く上げ、その手の間に光の玉を生み出した。


疾き風よ、光と共に解放されよターイラーターザンメウォウアリフイェーター!!』





 破壊の閃光が玄室をゆっくり包んだ。

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