第3話 おっさんたちと女神テミス。

「まて」


 セイヤーは、扉を開けようとするおっさんたちを止めた。


「テミスは勇者の記憶を失っているはずだから……普通に敵として私達に襲いかかってくる場合が想定され────」


「それはない」


 コイオスはセイヤーの言葉を途中で否定した。


「我々は旧神と呼ばれ力の大半を封印されている古い神だ。そう……神だ。闇の勇者と堕天使アザゼルの呪い? そんなもので記憶を失うほど私や姉上はではないぞ」


「へぇ。随分とおねーちゃん子なんだな」


 少し揶揄するようにジューンが言うと、コイオスはブンブンと首を横に振った。


「貴様はわかっていない。姉とは絶対的権力者にして理不尽を極めし者だ」


「「「 お、おう…… 」」」


 残念ながらこのおっさんたちは全員が一人っ子である。ゆえに兄弟。いや、姉弟の関係など知る由もない。


「まず姉はやたら鋭い。弟である私を観察し、その変化にいち早く気がつく」


「いいことじゃないか?」


「ふっ………違うぞジューン。姉御は私を気遣って観察しているのではない。どこかにアラがないか探すために観察しているのだ」


「……」


「とにかく普段から口うるさいのだ。親神なのに『ウラノスパパとガイアママを頼りにするな!』とか『女を選ぶ時は一番最初に相談しなさい』とか『あんたがパパとママに甘えるから私は甘えられなかった!』と何千年も愚痴を言われ続けたりとか、終いにはパパとママに対して『コイオスばかり甘やかしていて、私には全然優しくない!』と大人になってから泣き出したこともあった。微妙に女を振りかざすのも、ずるいとは思わないか?」


「いや、それより君たち旧神は親をパパママと呼ぶのか」


 セイヤーは白目になっている。


「あと、姉のせいで女を見る目が変わったな。顔とか色気とかだけを見る薄っぺらさはなくなって、中身を注視するようになったぞ。この女は姉と違ってどうなのか、という比較検討ができる。世の中には女を美化しすぎる男が多いが、女も鼻くそをほじるし屁を放つしクソだってする男と変わらぬ生き物だ。なら外見に惑わされず中身を見るべきだと思わないか?」


「で、これ、コイオスが開ける?」


 コイオスの話は完全にスルーして、コウガは10番目の玄室の扉を指差した。


 おっさんとは、自分が興味のない話はさっくりと流してしまう生き物なのである。特にコウガは「人付き合いが下手で空気を」セイヤーと違って「確信犯的に空気を」タイプだ。


 まだ姉という存在について語り足りなかったのか、コイオスは少し不服そうな顔をしたが渋々と扉を押し開いた。


 玄室の中にあるのは、ジューンにとって少し懐かしさも感じるピラミッド状の階段だった。


 その階段の頂点には巨大な玉座があり、そこで艶めかしく足を組んでいるビキニアーマーの女巨人は………テミスだ。


『ふわ~ぁ……』


 玄室に侵入してきた者たちを一瞥しても、あくびを噛み殺すテミス。


 もうここに封神されているわけでもないのに、わざわざ引きこもっている理由はわからない。


 ぞろぞろとおっさん一行が玄室に入り切ると、テミスは『ここに来ても褒美は出ないぞ』と、そっけない。


『それとも私と一戦交えてほまれとするか?』


「……またスネをぶっ叩いた方がいいか?」


 ジューンは【吸収剣ドレインブレイド】を構えた。


 すると、テミスは目を輝かせ、ガバッと立ち上がった。


『旦那様!』


 どうやらコイオスが言ったとおり、テミスは記憶を無くしたりしていないようだ。


 巨大な乳房をぶるぅんぶるぅんと揺らしながら階段を駆け下りたテミスは、最後はひとっ飛びでジューンたちの前に降り立った。


 見上げるほどの巨人は飛びながらスススっと小型化し、着地したときには人間サイズになっていた。もちろん、それでも2メートル近くはある大女ではあるが。


 そしてテミスは「むふー!」と鼻息荒く顔を昂揚させ、手を広げてジューンを────通り過ぎてコイオスに抱きついた。


「ふぁっ!?」


 コイオスは何が起きたのかわからず、変な声を出して硬直した。


「旦那様ぁ♥」


「な!? なにをするんだ姉御!!」


 コイオスは全身に鳥肌を立てながら悲鳴を上げた。


「姉御? ははぁん、旦那様は姉弟プレイをご所望か。いいとも♥」


「いやいやいやいやいや、待て姉御! キモい。やめろ!」


 常に「ふっ」と薄笑み浮かべる美男子コイオスが、これほど必死になったことなどない。それほどにテミスの行動は強烈だったようだ。


 姉妹がいないおっさんたちからすると「羨ましい関係」に見えるかも知れないが、自分、もしくは自分の顔と似た顔の女に抱きつかれて嬉しいのかと問われたら「うーむ」と唸ってしまうことだろう。


「どうやらテミスには記憶の改竄が起きているようだが……」


 セイヤーは冷静に観察している。


 その間、顔の到るところにキツツキのようにキスをされまくったコイオスは、死人のような顔色になっていく。


「しかし、おかしい……私達の連れの女の子たちに掛けられたのは『勇者についての記憶をなくす』という呪いだったはずだが、テミスは神だから人とは違う効果になったのか? いや……」


 セイヤーが說明台詞を挟んでいる間、テミスはコイオスの首筋に舌先を這わせ「ひぃぃぃ」とのけぞる実弟に向かって「まぁ、かわいいこと」と目を細めて楽しんでいる。


「ねぇねぇ、本来は自分がああなるはずだったから、実は羨ましいんじゃない?」


 ニヤニヤとコウガは言うが、ジューンは強く首を横に振った。


 目の前ではテミスの神乳の間に顔を挟まれ、窒息しそうになっているコイオスの哀れな姿がある。あれは羨ましい死に方とは言えないだろうし、羨ましくはない。


「姉に抱き殺されるってのはどんな心境なんだろうな……」


 しみじみとジューンが言うと、コイオスは必死にテミスから顔を離した。


「助けろ貴様ら!!」


 おっさんたちは誰も動かない。


 面白いネタには全力で乗っかってニマニマするのがおっさんという生き物なのだ。


 助けを期待できないと知ったコイオスは「蜘蛛王」の名の通り、背中から太い蜘蛛の足を生やして抵抗する。


 だが、テミスが放つ光速の拳で足という足は弾き飛ばされた。


 絶対に断たれない糸を繰り出してテミスを拘束しようとしたが「ふんす!」と力を入れられたら簡単に引きちぎられた。


 完全に「詰み」となったコイオスは、テミスの乳房に埋もれながら「天井裏で干からびて死んでしまった蜘蛛のよう」に魂の抜け殻になっていく。


『人の子らよ……助けないのですか? いえ、助けましょうよ?』


「そうだな」


 聖竜リィンに促され、楽しそうに見物していたおっさんたちもやっと動き出し、テミスとコイオスを物理的に引き剥がす。


「なにをする貴様ら! 私と旦那様との逢瀬を邪魔するとは!」


「……姉御……私をお忘れか……同じティターン十二柱が一柱、蜘蛛王コイオスだ……姉弟なんだぞ……」


 ジューンたちに救われたコイオスが涙目で力なく言う。しかしその言葉は怒りに震えるテミスの耳には届いていない。


「私と旦那様とのむつみ合う時間を邪魔する不届きな人間たちは、死ね!!」


むつみ合う……ぶぼっ」


 コイオスは堪えきれなくなったらしく、後ろを向いてオロロロロと吐瀉し始めた。弟にとって、姉と睦み合うエロいことをするというのは相当嫌なことらしい。


「オロロロ………ごほっ、げほっ……あ、姉御の旦那は私ではなく、こっちのおっさんだ!!」


「……え、誰?」


「自分の名前を与えたのだろう!? 彼が【ジューン】だ!」


 その名を聞いた瞬間、テミスの眼差しから、すうっと感情の色がなくなり表情が抜け落ちる。


「ジューン……敵……倒ス……コロス……」


 しかも片言になった。


 それはまるでアニメや漫画でよく見かける「催眠術か洗脳を受けてしまった人にありがちな対応」だ。むしろ、これほど明確に「暗示が発動しました」とわかるパターンも珍しいだろう。


「はぁ……なるほどな。私達は敵に先手を取られていたようだ」


 セイヤーは面白くなさそうに言う。


 セイヤーたちの敵………つまりヒース王子と魔法局局長のトビン侯爵はおっさん勇者たちに先じて、テミスの元に来たのだろう。そして、旧神たるテミスを洗脳し、おっさんたちの敵に回した。


 今のやり取りを見るからに「ジューン」という名前をキーワードに洗脳が発動したと思われる。


 それに魔法局局長は『仲の国』の転移装置を扱えた。あの装置は悪用されないようにセイヤーが「転移魔法が使える者しか起動できない」ように設定してあったはずだ。


 ということは、その転移魔法を使えばここに来るまでに通るべき玄室を飛び越えることも可能だろう。このダンジョン最下層は『空間が歪んでいて転移すると壁の中に入ってしまう』というものではないのだから。


 そんなセイヤーの推測にジューンとコウガは「へぇ」と感心する。


 その間にテミスは元の巨人姿に戻っており、体中の筋肉をパンプアップさせ始めている。


 さすがはダークエルフのヒルデたちが崇拝する女神だ。


 ボディービルに興味も関心もなく、良し悪しすらわからないおっさんたちにとっても、彼女の巨体を構成する筋肉は「美しい」と思えた。


 しかし、それよりなにより目のやり場に困る。


 下から見上げるテミスの爆裂級の肢体と、小さなビキニアーマーだけで秘所を隠した肉体は、青少年、いや、青中年には刺激が強すぎるのだ。


『ジューン……コロス』


 テミスは大きな足でおっさんたちをまとめて蹴り上げる。


 そのスピードは、誰一人として身構えることも体をこわばらせることも出来ないほどの、まさに電光石火の一撃だった。


 コウガは低い身長のせいで避けなくても(避けられるようなスピードでもなかったが)蹴りを喰らわなかったが、ジューンとセイヤーはつま先に直撃して、玄室の天井近くまで跳ね飛ばされた。


 大人と幼児のような体格差から放たれる女神の蹴りは、相手が普通の人間なら水風船のように破裂させていたことだろう。


 だが、ジューンもセイヤーも勇者として、その攻撃を受け耐えていた。


 ジューンはによってしたを重ね続けて鍛え上げた、鉄壁の防御力を有する肉体で。セイヤーは数千にも及ぶ多重魔法障壁によって───それぞれノーダメージでふわりと着地してみせた。


 身内だから攻撃するわけにもいかず、手をこまねいているジューンを囮にして、セイヤーはテミスを魔法で『鑑定』した。


 さすがに相手は旧神なだけあって、すべてのステータスが確認できたわけではないが「状態:洗脳」というのは、はっきりとわかった。

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