第9話 おっさんたちと怒りの咆哮。
「「「 !! 」」」
その時、一番高い悲鳴を上げたのはクシャナだった。
念の為にセイヤーが「ゲイリー翁からは見えない認識阻害の魔法」を掛けて潜ませていた彼女は、形勢逆転を狙って冒険者のハンス氏を強制的に転移させたのだろう。
そしてハンス氏はクシャナの意図を汲んで、ゲイリー翁から少女を奪い取ってくれた……と、同時にゲイリー翁の攻撃を受けて倒れた。
胸を手刀で貫かれてもまだ、抱きかかえた少女を離さないハンス氏をゲイリー翁が無慈悲に蹴り上げる。
壊れた人形のように蹴られるハンス氏は……おっさんたちは「死んでいる」とすぐにわかった。目を見開いたまま、少女を離すまいとしっかり抱きとめたままハンス氏は事切れている。
その様子に聖竜リィンは顔を背け、蜘蛛王コイオスは美しい顔と冷淡な眼差しでこの状況を見守っている。
「わ、私が彼を犠牲に……」
クシャナは泣きそうな震え声を出す。
「く! 離せ! 離さぬか!!」
ゲイリー翁は倒れ伏したハンス氏の顔を蹴り、少女を抱えた腕を解こうとしている。
いくら護符があるといっても、所詮は奸計好きなヒース王子が渡したものだし、そんな大層なものを他人に渡すはずもないので、これは偽物である可能性しかない。
ゲイリー翁にとって神器ワルドナの護符の話はおっさん勇者たちを縛るための
その切り札を、名も無き伏兵に奪われてしまった。
「者共!! 出番じゃ!! 儂を守れ!!」
ゲイリー翁が焦って叫ぶと、街道脇の木や岩の陰から黒装束の者たちが現れた。
闇ギルドの殺し屋たち……それはゲイリーの裏の顔である「闇ギルド筆頭」という立場を利用して呼び寄せていた強者達だ。
「コイオス! リィン!」
ジューンが叫ぶ。
「フッ、やれやれ」
『人の子に頼られるのも悪くないですね』
旧神・蜘蛛王コイオスが背中から蜘蛛の足を生やし、聖馬が巨大な聖竜リィンの姿に戻る。
その人外の二柱によって、闇ギルドの面子が駆逐されていく中、おっさんたちはゲイリーめがけて飛びかかった。
「ひっ!」
ゲイリーは必死にハンス氏から少女を引き剥がそうとするが、おっさんたちのほうが早くゲイリー翁に殴りかかっていた。三人が三人共これほどの憤怒相を浮かべたことはないだろう。
だが。
おっさんたちも目を丸くした。
まさか、目に見えない力に弾かれてしまい、ゲイリー翁に触れることが出来ないとは。
神器ワルドナの護符。
それはおっさんたちの超常の力すら跳ね除ける本物だった。
しかし、当の本人であるゲイリー翁は少女を取り返すことに必死過ぎて、自分が完全に守られていることに気がついていない。攻撃を受けていることすら気がついていないほど完璧な守りなのだ。
「くっ!!」
セイヤーの魔法も、神器ワルドナの護符に遮られて届かない。
「コウガ!! どうにかしろ!!」
ジューンが無茶振りする。
「こっちもどげんかしたいに決まっとろうが!!」
コウガも興奮して地元言葉になっている。
「私の目の前で! させてなるものか!!」
セイヤーは長い髪を振り乱しながら魔法の拳を打ち付けるが、拳も魔力も空中で遮られてしまう。
「ジューン、剣でこの結界を吸収しろ!!」
セイヤーに言われたジューンは大剣を構える。
普段なら『便利なものに頼りすぎたくない』と拒否するところだろうが、状況が状況だけに今は従う。
ジューンは女巨人テミスから与えられた神器【
「まさか、神器相手には効かないのか!?」
ジューンが愕然とする中、取り乱していたゲイリー翁が自分の状況に気付いてしまった。
「!?」
勇者たちが四苦八苦して攻撃を加えているが、まったく自分には届いていない。
『この娘を盾にしなくても、勇者たちは儂に手が出せない!? こ、これは本物じゃったのか!?』
ゲイリー翁は、この上なく邪悪な笑みを浮かべた。
コイオスと聖竜リィンに蹴散らされている闇ギルドの面子など、もう視界にも入らない。自分自身が最強であるとわかってしまったから、もはや闇ギルドの者たちがいくら消えようと関係ないのだ。
『おお、ヒース王子よ。貴方様が儂に本物の神器を授けてくださるとは』
ゲイリー翁は手に力を込め、その力を勇者たちに向けた。
「「「 !! 」」」
まさか三人のおっさんたちが同時に吹っ飛ばされることになろうとは。
「くは……はは……くははははははははは!!」
ゲイリー翁は両手を広げて勝ち誇った。
これは本物の神器だ。
そして、これさえあれば王子に従う必要すらない。
今、この年齢にして、最大最高の好機を得たとゲイリー翁は天にも昇る気持ちだった。
その高揚を打ち消すかのように、足元に少しばかりの痛みを感じる。
視線を落とすと、ハンスの腕の中から小さな手が伸びポクッポクッと力なくゲイリー翁の足を叩いていた。
人質の少女だ。
随分とこれまでにかわいがってやった幼女は、死体に抱かれたまま、泣きながら必死にゲイリーを叩いている。
もちろんそんな攻撃が効くわけがない。なんせこの少女は冒険者見習いなどでもない、彼の単なる愛玩具でしかないのだ。
「ふん。洗脳が解けたか。じゃが、貴様に用などないわ」
ゲイリー翁は足を上げ、タタタンと目にも留まらぬ速さで何度も踏み降ろした。
高齢でもランクAの実力があるゲイリー翁の脚力は、少女を踏み殺すには十分だった。
ぐしゅ
「「「 !! 」」」
力なく少女の手が地面に落ちるのを見たおっさんたちは、今まで誰も聞いたことがないような咆哮を上げた。
「てめぇぇぇぇぇぇ!!」
「なんてことをぉぉ!!!」
「なんばしょっとかぁぁぁぁぁ!!!」
おっさんたちの絶叫をうっとりと聞いたゲイリー翁は、好々爺の笑みを浮かべながらおっさんたちを見る。
「どうだね。今まで貴様たちと相対した者たちは、今の貴様らと同じ思いをしたことだろう。悔しいか、苦しいか? 無力な我が身を呪いたくなったか? くははははははは!!」
「落ち着いておっさんたち!!」
後ろからクシャナが叫ぶ。
「みんな冷静になって! あんたたちの攻撃は届かなかったのに女の子はクソジジイを叩けた!! そして私はもう魔力がない! クソジジイに悟られる前にやることはわかるでしょ!!」
クシャナが強く叫んだ瞬間、セイヤーはゲイリー翁から離れ、自分の身の回りの空間を歪ませた。
「私の呼びかけに応じろ!!」
セイヤーが叫ぶと、歪んだ空間から【柔らかなエリール】が現れた。
「え……」
なにが起きたのかわからない柔らかなエリールだったが、その視界に血を吐いて倒れ伏したハンス氏の姿が入った瞬間、銅像のように固まってしまった。
ハンス氏は幼い子供をかばうように抱きしめ、ピクリとも動いていない。
そしてハンス氏に抱かれた少女も惨たらしい姿になっていた。
「なに……なによこれ……」
柔らかなエリールは状況がつかめず目がうわずっていく。精神が崩壊しそうな自分を抱きとめるように強く自分の腕を掴んでいるが、爪が肉に食い込んでいる。
「彼をやったのは、やつだ!!」
セイヤーが指差す先には、冒険者ギルドの総支配人ゲイリー翁が横柄な態度で立っていた。
その勝ち誇った顔は、仲間である闇ギルドの面子が全員倒されても、全く動じていない、
闇ギルドの面々を倒したコイオスが「絶糸」を叩きつけても、聖竜リィンが十色ドラゴン最強の腕力でぶん殴っても、ゲイリー翁を守る結界は破壊できなかったことから、完全有利を悟ったのだ。
ジューンは叫んだ。
「やつの結界は女には効かない!!」
「!?」
ゲイリー翁の顔が引きつる。
確かに無敵の結界があるはずなのに、幼子の拳は届いていた。
『バカ王子め……そんな片手落ちの神器など……世の半分は女なんだぞ!?』
そして目の前にいるのは、反ゲイリー派の筆頭にしてランクBの冒険者【柔らかなエリール】………徒手空拳最強の女だ。
が、ゲイリー翁もランクAの冒険者。簡単にやられるわけはない。
そう。女ごときにやられるわけがないのだ。
獄中でゲイリー翁は『その時はそう思っておった』と付け加える。
『女の怒りだけは買わぬほうがいい。儂はこんな老いぼれるまで知らなんだ。幼女しか相手にしてこなかったせいでのぅ、くはは……』
冒険者ギルド総支配人だった頃の面影などまるでない、生気の抜けたカカシのような老人は乾いた笑いを口にする。
『もういいじゃろう。わしは疲れた』
ゲイリー翁は失った四肢をもぞもぞと動かしながら、監獄の硬い寝床に転がり直した。
彼が獄中死したのはそれから数日後のことだった。
獄中の彼から直接この顛末を聞いたこの吟遊詩人は「ゲイリー翁の悪行」という歌を大ヒットさせ、それは歌劇や本になって一世を風靡した。
★★★★★
俺は誰だ?
俺はハンス。
ランクD冒険者……だよな?
俺、生きてるのか?
どうして生きてるんだ?
確か冒険者ギルド総支配人に胸を貫かれて……あ! 子どもは!? あの子どもは無事か!?
お、いた! よかったよかった。無事だったか。
ははは、そんなに泣くな。
ってか鼻水ついてる。俺の自慢の革鎧がお前の鼻水だらけだぞ。まぁいいけどよ。
お? どうしたんだ、柔らかなエリール。お前さんもここに呼ばれちまったのか?
いやぁ、いい稼ぎだったぜ? この子を助けるだけで大銀貨5枚……え、どうしたクシャナ嬢。は……は……白金貨5枚(約5000万円)!? な、なんでそんな大金!? こ、この娘っ子は王族なのか? 違う? じゃあなんで?
「慰謝料よ。あなたの命一つには安いくらいよ」
エリールはプンスカ怒っている。
なんの慰謝料か聞くのが怖い。なんせ俺の革鎧、胸元に大穴が開いてるし、血まみれなんだよな。きっと俺に対する慰謝料だよなぁ。
あー、俺、ゾンビにでもなったのかな……はは。絶対死んでるやつだわ。
え、死んでない? セイヤーが蘇生した?
蘇生って……そんなことができるのか? 肉片からでも灰からでも蘇生できるって、マジか……本当にバケモンだな、勇者ってのは。
ところであのジジイはどうなったんだ?
え。
そこに転がってる芋虫みたいなのが?
「エリールがボコボコに殴り倒して両手両足を引きちぎってな。あんた、夫婦喧嘩するときは命の覚悟しとけよ」
ジューンが耳打ちしてきた。
お、おう……てか、ゲイリーの野郎はなんであんな姿でも生きてられるんだよ。
「私が中途半端に回復させた。楽に死んでもらっては困るから、これから死ぬまで獄中で苦しんで貰う予定だ」
セイヤーさんよ、あんたも相当怖いわ。
「あ、これついでだからあげるね。いっとくけどエリールちゃんには通じないから」
ん。なんだいこりゃ。ちょっと、おーい、コウガさんよ。こりゃなんだい?
「ワルドナの護符ってアイテムだよ。女には効かないから注意してねー」
数カ月後。
ハンスとエリールの婚姻をきっかけに起きた冒険者の同時多発的結婚は、冒険者ギルドを驚かせた。
だが、そこからさらに数カ月後、女冒険者たちがこれまた同時期に懐妊し、満足に動ける冒険者が激減したときは世界が震撼した。
さらにさらに数カ月後。
家庭持ちになった冒険者たちはどんなにランクが高くても、依頼料が高く危険が伴う依頼を受けなくなった。
むしろ冒険者ランクを落としてもらってもいいからと、依頼料が少なくても安全な仕事を選ぶようになってしまった。
家族ある冒険者は安定を求め、村や町に定住する者も増え、危険が伴う冒険者ではなく安全な「便利屋さん」に成り代わっていった。
柔らかなエリールはそれを契機に「便利屋ギルド」を設立。
冒険者ギルド内に併設された「便利屋ギルド」は、冒険者を引退した者、家庭を持って安全を優先したい者、村や町など定住先で仕事をし続けたい者に受け入れられた。
これまでは冒険者ギルドの最下限ランクに与えていたような「草むしり」「掃除」「牧草地での薬草集め」といった仕事は、全て便利屋ギルドに回るようになった。
そのかわり、冒険者から便利屋になった引退者たちによって若手の冒険者指導が進み、飛躍的にレベルの底上げと生存率の向上が図られた。
そして勇者たちに「ワルドナの護符」を託されたハンス氏は、様々な人々の助けを借りながらも、新生冒険者ギルドの新たな総代となり、すべての冒険者たちに暖かく歓迎された。
未だに地下で蠢く闇ギルドと対峙しながら、人々の依頼をこなし、後進を育てる………そんなハンス氏の評価は「すべての冒険者の憧れ」の一言で済む。
ゲイリー翁が踏み殺したが蘇生された娘を引き取り、自分の息子と差別することなく育てたハンスとエリール……その二人が育んだ息子と娘と「ワルドナの護符」を巡る物語は、また別の吟遊詩人によって語られることだろう。
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