第8話 おっさんたちは英雄たちと対峙する。

 おっさんたちは「調印の城」の天守閣に通じる入り口を、一番下のフロアから呆然と見上げていた。


 大広間から内壁に沿って上に伸びる螺旋階段は、頂点で扉につながっている。その先が天守閣であり、調印の間だ。


 歩いて上っていくことを考えると気が遠くなりそうな螺旋階段は、実のところ使用する必要はまったくないだ。


 なんせ目の前には全面透明ガラスで作られた魔法の昇降機エレベーターがあり、天守閣まではそれに乗ってスイスイ上り下りすることができる……はずだった。


 おっさんたちの目の前にあるそれは完膚なきままに破壊されていて、どう見ても動きそうにない。


 つまり……この螺旋階段を自分の足で上らなければならないということだ。


「……」

「……」

「……」


 三人のおっさんたちは呆然と頭上を見ているが、見たところで昇降機が動くわけでもない。


 無言で顔を見合わせる。


 彼らの勇者固有特性には、尋常ならざる体力、持久力も含まれている。ただのおっさんだったら二分でゼーハー言うところを、今の彼らなら時間さえかければ踏破できるだろう。


 だが、とにかく、ただ単にめんどくさいのだ。


「いやいや、めんどくさいとかじゃなくてさ! 魔法で行くとかなんとかしようよ! 歩いてコレ上り切る前に疲れ果てるよ!? ありえなくない!? いくら体力とか生命力とか回復力とか非常識なくらい高い『勇者』でも限界ってあると思うんだよね! なんせ基礎能力はただのおっさんだよ!? 特に僕なんか二人と違って努力とか魔法で身体能力を上げたり出来ないからね? きっと乳酸が溜まってもう歩けない! って言う自信があるよ!」


「うっさい」


 ジューンは低い小声でコウガを絞める。


 わかっている。


 うるさくしないとやっていられないほど、いつも明るく振る舞っているコウガも緊張しているのだ。


 なんせこれから戦うべき相手は【英雄】と名乗ってはいたが、要するに自分たちの次に召喚された【勇者】だ。その能力は底が知れない。


 ジューンを驚愕させる「ヤンキー」に、セイヤーを戦慄させた「ビッチ」、そしてコウガを震え上がらせた「サイコパス」………魔王や堕天使以上に舐めてかかれない相手だ。


「魔力を温存したいところだが、やむを得まい」


 セイヤーは魔法で全員を天守閣前の扉まで一瞬のうちに移動させた。


それは転移ではなく、音速移動だ。


 普通の人間なら空気圧とGで押し潰れ、衝撃波で城の壁は吹き飛ばされているところだが、そのあたりは魔法でどうにかしたらしい。


 天守閣へと続く扉の前で三人は躊躇する。


「みんな本気で頼む。相手は俺たちと変わらない化物だ」


 ジューンに言われて、セイヤーとコウガは真面目な顔で頷く。


 一息吐いて、ジューンは巨大な門を押し開けた。


 中には大きな柱がいくつも立ち、玄室の中央に会議用の円卓がある。


 その円卓に座っている面々は、にやにやとイヤラシイ笑みを浮かべたままおっさんたちを迎え入れた。


 円卓にいるのは………


 東のリンド王朝のヒース・アンドリュー・リンド王子。

 同じくリンド王朝魔法局局長のトビン・ヴェール侯爵。


 北のディレ帝国のアントニーナ元第一王女。

 同じくディレ帝国のアントニーナの伴侶、グリゴリー侯爵。

 さらにディレ帝国のエーヴァ商会幹部が数人。


 西の元魔王領……ジャファリ新皇国の上位魔族イーサビット。


 南のアップレチ王国関係者は誰もいない。


 その面子を見て、おっさんたちはそれぞれ反応していた。


 セイヤーはエーヴァ商会の幹部を覚えていたので「利権のクズどもが」と吐き捨てる。


 ジューンとコウガは唯一知っているイーサビットのニヤニヤした隠しきれない笑みを見て微妙な顔をした。


「ようこそ勇者諸君。会える日を楽しみにしていたよ」


 にへら顔の好青年風の男が、仰々しく立ち上がって手を広げた。


「僕はリンド王朝のヒース・アンドリュー・リンド王子です。さてさて、僕の国とつながりが深いジューンという方はどちらですかな?」


「自分の国が呼んだ勇者のツラも知らないのかよ」


 憮然としながらジューンが前に出る。


「なるほどあなたですか。初めまして。そしてさようなら」


 指を鳴らすと大きな柱の陰にいた者たちが姿を表した。


【ビッチ】【ヤンキー】【サイコパス】……英雄たちだ。


「……は?」


 ジューンは【ビッチ】を見て口を開けたまま固まった。


「み、美澪みれい?」


「!? なんで私を知って……って、え、もしかして淳之介!?」


【ビッチ】も唖然とする。


『………おい、ジューン。あの派手な女性は知り合いか?』


 セイヤーが小声で聞くが、ジューンは驚きから回復できず、返答できなかった。


「どういうこと? あんたなんでそんなに老けてんのよ」


「こっちのセリフだ。なんでなんだよ」


「おや? お二人はもしかして元の世界で知り合いでしたか?」


 ヒース王子はをやめた。


「自分たちに従う者」という唯一の縛りで召喚したこちら側の英雄が、もしもおっさんたちのほうになびいたら………この場は終わりだ。負ける絵しか浮かばない。


「知り合いも何も同棲してたことがあるわ」


「そして俺達の家に男を引っ張り込んで、俺達のベッドで浮気していたお前は開き直って出ていったな」


「そうね。異世界に来てまでまだグチグチ言うつもり? もうのことなのに!」


「いいや。俺にとっては20年前のことだ」


「なるほど」


 二人の痴話喧嘩に割って入ったのはセイヤーだ。


「私達を呼び出したこの【勇者召喚】には、こちらの異世界側にとってはどうでもいいことだが、召喚された側にとっては大事おおごとな欠陥があったようだな」


「ほう、それは興味深い。あなたはセイヤー殿ですかね? 御高説賜りましょうか」


 ヒース王子は円卓の席に腰掛けて、余裕綽々しゃくしゃくで顎の下で手を組んだ。美玲がこちらを裏切りそうにないので安堵したのだ。


 セイヤーは今すぐこのの青年に魔法を叩き込んで裸踊りでもさせてやろうかとも思ったが、思いとどまって説明した。


「この召喚術では召喚する先、つまり私達の世界の『時代』の設定をしていないようだ」


「どゆこと?」


 コウガが眉を寄せる。


「たとえばそこの時代遅れも甚だしいヤンキー君。君は何年の世界にいた?」


「ぶっ殺すぞテメェ……1985年の昭和60年に決まってんだろうが」


「はあ!?」


 ジューンに美玲と呼ばれた【ビッチ】が驚く。今の今まで時代確認をしていなかったようだ。


「私は1998年……平成10年よ」


「んだコラァ、ヘイセイってなんだ!? 犯すぞこのアマァ」


 ジューンは頭を抱えた。1998年とは、確かに美玲に浮気され、出ていかれた年だった。


「きっと前世代の勇者たちも、それぞれ違う時代の日本から召喚されたはずだ。『現代人を』というくくりはあるのだろうがな……そうでなければ現代人と縄文人の組み合わせになってしまったら、もはや意思疎通も常識のすり合わせもできないだろう」


 セイヤーは続けて「私達が同時代から来れたのは奇跡だな」とおっさんたちを見て笑った。かなりの愛想笑いだった。


「なるほど。美玲が若い時のままなのは、俺と別れた半年後からここに召喚されたから……つまり俺のいた時代に40歳過ぎた美玲ってのは存在しなかったってことか」


 セイヤーの笑みに反して、ジューンはギリリと歯ぎしりした。なにやらいろいろと辛い思い出が蘇ってきたらしい。


 ビッチの本当の名前は田口美澪。


 ジューンと同棲していた恋仲でありながら、自分たちの部屋で他の男と性交しているところを見つかり、出ていった女だ。


 そのトラウマからジューンは今も女性に積極的になれない。ここにジューンの連れの女たちがいたら、問答無用でビッチに殴りかかっているだろう。


「で………戦えるのかね、元カノと」


 セイヤーが静かに問う。


「ああ」


 ジューンは闘気をみなぎらせた。彼は敵であれば容赦はしない。たとえ女であっても元カノであっても、だ。


「はぁ? あんたに私を殴れるわけ? 浮気されても何もできなかったヘタレが」


「けっ、女を寝取られた間抜けかよ、このおっさん」


 ヤンキーがせせら笑う。


「恋愛のイロハも知らんような小僧ガキが一端の口をきくな」


 セイヤーがヤンキーを一喝する。


 自分は恋愛未経験の40過ぎた童貞賢者なのだが、おっさんは若者を叱るときは自分のことは棚に上げるものなのだ。


「なんだてめぇ。やんのか」


「あ、セイヤー、そいつは僕に任せて? むしろあっちの陰気なやつをお願い」


 コウガがいそいそとヤンキーと対峙する。


「陰気なやつ、か」


 セイヤーの視線の先にいる【サイコパス】はニタァと笑う。


「君は日本人ではないようだが……名前を聞いておこうか」


「僕はアンソニー。断っておくけど、僕は勇者じゃないよ」


「?」


「僕は勇者の子孫さ。たくさんの勇者たちの血筋と特性を受け継いだランクA冒険者のアンソニー。別名……」


「皆殺しのアンソニー」


 ヒース王子がで言葉をつなげた。


おっさんたちは「イラッ」とした顔をヒース王子に向けた。


「おおっと。断っておくけれどこの円卓には、こちらの魔族イーサビット氏の作り出した強力な魔法障壁が張られているからね。せいぜい僕らが用意した英雄との戦いを派手に頼むよ。こちらは楽しませてもらうから」


ヒース王子はワイングラスを手にとった。


円卓の面々は次々にグラスを手に取る。


どいつもこいつも下卑た笑みを浮かべ、勇者と英雄のバトルを期待していた。


「「「 上等だ 」」」


 おっさんたちはそれぞれの武器を構え、英雄と対峙した。

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