第4話 コウガは飲んだくれと意気投合した。

 仲の国南地区。


 これほどまでに退廃する前から、この地区には飲み屋が多かった。


 おっさんたちが愛する日本伝統の赤ちょうちん型居酒屋から、西洋風、中華風、伊太利亜風、米国風、英国風、露風、独逸風といった、元いた世界の料理を堪能できる「酒と料理の南地区」だ。


 料理について特段詳しいわけではないおっさんたちが、どうやって各国の料理をこの異世界に持ち込んだのかと言うと、これもすべてセイヤーのトンデモ魔法のおかげだ。


 元いた世界にあった食材に近しいものを魔法で探し、可能な限り近づけるように栽培・飼育する方法も魔法で編み出して近隣の畜産農家に生産を依頼。と、同時に魔法の力で最高の調理方法を調べ、それを地元の料理人たちに伝授した。


 ちなみに伝授後の数週間でほとんどの料理がオリジナル料理に変貌を遂げていたのは笑ったが、この世界の人々の口に合うように変革されたので、おっさんたちに文句はなかった。


 そんな南地区の一等地にコウガの邸宅はあった。


 そう。。過去形である。


 コウガの邸宅は廃墟と化していた。


 無駄に大理石のようなもので作った豪華絢爛四階建ての豪邸は焼け落ち崩れて、元の形を一切残していなかったし、お気に入りだった庭には浮浪者たちがバラック小屋を建てている。


 人間は感情が処理できないくらいの衝撃を受けると、全身から力が抜けて立っていられなくなるらしい。


 へたりこんだコウガを見つけた浮浪者の一人が「でぇじょぶけぇ、にぃちゃん」と駆け寄ってきてくれた。


 その浮浪者に聞いた所……


「ここは南の大国アップレチ王国が召喚した勇者コウガの邸宅だったらしいんだけどよぉ……なんかしんねぇが、王国に恨みを持った何者かが火を付けたって話だ。いやぁ、怖いもんだねぇ」


 ということだった。


 完全にである。


 コウガが召喚された場所は確かにアップレチ王国だが、召喚したのはツーフォーの単独行為であり、その結果、王国とはまったく接点がないと言っても良い。むしろ敵対側だった。


 元宰相は三大国家に各国にちょっかいを掛け、第一王女のティルダは「勇者排除派」として敵対行動を取り、しまいには白薔薇親衛隊のような無法者たちをのさばらせた。


 敵対後、いろいろな不幸が重なってアップレチの王家は王城ごと崩壊し、今は幻魔と合体して無敵の王子様となったエドワード・アップレチ第一王子が王位を引き継いでいる。戴冠式を迎えたら正式に王様だ。


 とにかく。


 そんな敵のために自宅が燃やされたのは納得がいかない。


 なによりもコウガが項垂うなだれれるのは、館と共に「趣味の品」が消失しまったことだ。


 この都市国家に腰を落ち着けた数日の間に、コウガの収集癖が爆発して集めて回ったもの────それはこの世界の春画しゅんが、つまりエロい絵画である。


 漫画文化、エロビデオ文化がないこの異世界において、娼館に行かずに女体をエヘエヘ見る方法は春画しかない。


 だがそれは江戸の版画のようなものではなく、一枚一枚ちゃんと描かれた油絵で、エロエロしいものと言うより美術館に飾られてる写実主義の高尚な芸術作品のようなものである。


 ただ、ポージングがM字開脚していたり、女豹のポーズだったりと、お子様には見せられないほど扇情的でモザイクもなにもかかっていないだけだ。


 コウガはそれを見て自分のなにかをナニするわけではなく、ただエヘエヘするためだけに買い集めた。おっさんは自慰しなくなっても、性交渉しなくなっても、何歳になってもエロいものは好きなのだ。


「紙はよく燃えるもんなぁ……」


 コウガはがっくりと項垂れたまま「飲まなきゃやってらんない……」と飲み屋街の方に足を向けた。


 大金はセイヤーの亜空間に預けっぱなしだが、数万円分くらいの大銀貨は懐に入れてある。ジューンと違って全額まるっと預けるほど不用心ではないのだ。


 飲み屋街は他の歓楽街と違い、居並ぶ店は健全だ。


 奥まったところに行けばスナックがあり、そういう店の中には「店の女の子を連れ出しても良い」というシステムがあるようだが、今のコウガに必要なのは女の柔肌ではなく、酒だ。


 しかも騒がしくなく、落ち着いた雰囲気で、軽食と酒が楽しめそうな店が必要だ。


 ふらふらと歩いていたコウガは、どんどん路地裏に入っていく。


 このあたりの治安は最悪だが、不思議とコウガは物取りに狙われずに、隠れ家的酒場に辿り着けた。


「らっしゃい」


 ドアを開けると厳つい顔をした男がカウンターの中から声をかけてきた。


 厳つい男はよくいる酒場の店員で、一人でやりくりしているようだ。


 見回すと、この店の客は肉料理とエールで楽しんでいるようだ。


「肉。そして酒」


 コウガがぶっきらぼうに言うと、厳つい店員はカウンターの奥を指さした。そこに座れ、という意味だろう。


 店内は狭く、テーブル席は3つとも埋まっているし、カウンターも数人が座って小声で談笑している。他に座れそうな場所はない。


 まぁ、いいか。と一番奥の席に座ると、厳つい店員は無言で波々と注いだエールグラスを眼の前に置いた。


 コウガはそれを一気に流し込む。


 ビールよりアルコール度数は高いが、今の気分にちょうどいい。


 それに勇者の基本特性である健康体のおかげでなかなか酔えないので、これくらい無茶な飲み方が必要なのだ。


 ちなみに酒の肴はピーナッツだ。


「肉料理は時間かかるぜ、旦那」


「いいよ。あともっと強い酒を」


「あいよ」


 厳つい店員はぶっきらぼうだが、別に悪くない。


「なに世界中の不幸を背負しょい込んだ顔してるのよ」


 横にいた女が絡んできた。


 随分と飲んでいるらしく、少しばかり呂律が回っていないし目が座っている。


 歳は20代前半から中頃。まだ熟れ時ではないが、見てくれはかなりの美人だ。もしもコウガが20代だったなら、是非とも今夜の床を一緒にしたいと願うくらいの美女だ。


 しかしこの女にはコウガのようなパリピが嫌うツンケンした雰囲気が漂っている。一緒に「うえーい!」とやれるタイプではなさそうだ。


 それに、もう女を口説いてお持ち帰りするような精力的な行動ができない。おっさんになるとそこまでのやる気がでないのだ。


 それでなくとも今のコウガは……


「不幸なんだよ」


 コウガはプイッと横を向いた。もちろん女の反対の方向だ。


「ふん。今この世界に、私以上に不幸なやつなんていないわよ」


 女はズイッとコウガに椅子を寄せてきた。柔らかい太ももがコウガの膝に当たり、長い髪からは良い匂いがした。


 そのタイミングで厳つい店員は無言でコウガの前に酒を置く。その酒を飲まないとこの場から逃げられないパターンだ。


 コウガは酒を一口含んで「!」となった。


 これはウォッカに近い酒で、かなり度数が高かった。


「強い酒だぜ」


 してやったりと店員がカウンターの中で薄く笑う。


「お、おう……レモンかライムを頂戴……」


「ね、ちょっと聞いてよ小さいおっさん」


「あのね、知り合いでもない赤の他人が初対面の人に向かっておっさんって言うの、よくないよ?」


 コウガは憮然とするが、女はそんな雰囲気を無視して語り始めた。


「使えない部下を引き立てて私の直属にしたのに、酷いくらい使えなくてさ……そいつが私の見てない所で無茶苦茶したものだから、私まで監督責任を問われて引責辞任。最悪だわ」


「ふぅん……で、その部下はどうなったのさ?」


 一応合いの手を入れておくコウガ。


「さあね。死んでて欲しいわ」


「そこまでかぁ」


「そうよ! 大体そいつが無茶苦茶したせいで家名にも泥を塗ったことになって、そのおかげで私は家からも勘当されて地元にも戻れなくなったんだから!」


「そりゃあ……相当やらかしたんだね」


「他にもあるのよ!」


 女はドンとカウンターを叩いた。


 厳つい店員が睨みつけてくるので、なぜかコウガが頭を下げる。


「仕事先で特殊な人材を集めなきゃいけなかったんだけど……私のところだけどうしても人材の条件があわなくて集められなかったのよ」


「ふむふむ」


 この女、どんな仕事してるんだろうか、とコウガは首を傾げた。しかし酒の席で出会ったばかりの相手に詳しく聞くのは、マナー違反だろう。


「だから、それに近い有能な人材を、そりゃあもうかなりの手間をかけて捕まえたの」


「へぇ……ご苦労さまだねぇ」


「なのに『そいつじゃない』って言われちゃってさ。その仕事もお役御免よ! ほんとにムカつく! あの!!」


「にへら顔?」


「そう! いつもにこにこしてるんだけど、腹黒さ満載なのよ! 対等な立ち位置なのに気が付いたら場を仕切ってるし!」


「そういう社内政治が得意な人、いるよねぇ」


「あと、あの女! ほんとムカつく! 実家と旦那の威を借りただけの無能! 事あるごとに私と張り合おうとしたり、場を乱したり、ほんとにムカつく女だったわ!」


「でもその仕事、終わったんだろ? そういう嫌なやつらに会わなくて済むじゃんか」


「そうだけどさ……実家も立場も仕事もなくしちゃったのよ。こんだけ不幸な女、他にいる!?」


 ぐいっと体を押し付けられる。


 意外と胸が大きい。抑圧されたおっぱいがコウガの二の腕を挟んでいるくらいには大きい。


 もちろんコウガはその遥か上を行くジルやツーフォーやミュシャといった巨女たちの「爆乳? 魔乳? いいえ天狗の仕業です」と恐れられた神乳を目の当たりにしながら旅をしていたので、この程度では動じない。


「まぁ、下を見ればいくらでもいるだろうけどさ……」


「なによ」


「まぁいいや。で? これから暮らしていくための手に職とかあるの?」


「ないわよ! このままいけば娼婦でもしないと生きていけないわ……それだけは絶対嫌よ!! マスター、おかわり!」


 女はグラスを掲げた。中身はおそらくウイスキーかバーボンだ。


「……飲み代あるの?」


「それくらいあるわよ、馬鹿にしないで! ………と、言っても、こんな場末の狭苦しい酒場じゃないと飲めないくらいの慎ましいお金しかないけどね」


「狭苦しくて悪かったな」


 厳つい店員はボトルから酒を注いで、女の前に差し出す。


「ふん。けど、いろいろ詮索しないからこの店好きよ」


「そりゃどうも」


 ぶっきらぼうな店員は、肉料理の焼け具合を確認するためにコウガたちの前から消えた。


「で、はどんな不幸背負しょってるのよ」


「家が燃えた」


「あら……」


「家には未練なんてないけど、僕が集めていた品がなくなったかと思うとやってらんないね!」


「ふふふ」


「何がおかしいんだよ」


「私ね、むしゃくしゃして敵対者の家に放火したことあるのよ。綺麗サッパリ燃えたわ。気持ちよかったぁ、あれ」


「最低だなこの女」


 コウガは半目で女を睨んだ。


「もちろん、その家に誰も住んでいないことを確認してから火をつけたわよ? っていうか、そこの持ち主は長いこと行方不明だし、家財道具とかはとっくの昔に全部盗まれてもぬけからだったけどね」


「それでも火を付けたら駄目でしょうが……なんで捕まってないのこの……」


「あら。私を扱いしてくれるの、


 女は少し小悪魔っぽく笑った。


「こんなでかい娘は………いてもおかしくないのか」


 40中頃の自分からすると、20代の娘がいたとしてもなんら不思議ではないのだ。


 下手をすると15歳前後で結婚して出産するこの世界では、孫がいてもおかしくない年齢だし、医療技術が全く発展していない世界なので平均的に短命だ……つまり、コウガたちはおっさんではあるが、爺さんに片足突っ込んでいると言っても過言ではないのだ。


へこむわぁ」


 コウガは項垂れた。


「凹んだときは、酒よ」


 女はグラスを掲げた。


「おういえい」


 コウガはそのグラスに自分のグラスを軽く当てる。


「私、ティルダよ」


 女は少し潤んだ瞳でコウガを見つめながら、どこかの国の白薔薇の君と呼ばれた元王女と同じ名前を告げた。

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