第5話 コイオスとリィンも仕事をする。

「ふっ、どうして私が人の仕事など」


 と、自問するように嘲笑する美男子は、首都西にある川岸に立っている。


 ここには対岸への渡し船を沈めて回る怪魚がいるらしいが、コイオスがここに配置された理由は「蜘蛛の糸でサカナ釣ってしまえば良いんじゃね?」という安易なものだ。


「ふむ」


 破壊された渡し船の残骸が打ち捨てられ、桟橋も半ばから破壊されてしまっていて使い物にならない。


「蜘蛛は水が苦手、という嫌がらせで私をここにしたのだろうが……セイヤーは知らんのだろうな」


 コイオスはクククと笑いながら背中から大きな蜘蛛の足をせり出した。


 世の中には水蜘蛛という蜘蛛の種類がいる。セイヤーたちのいた世界では「唯一水中生活をする蜘蛛」であり、蜘蛛王たるコイオスは、当然その能力を持っている。水など怖いものではない、むしろ人間より長く潜っていられるほどだ。


「さて、征くか」


 コイオスは川の水面みなもに足をつけ、そのまま沈むことなく「つい~」と進んだ。まるでアメンボだ。


「わざわざ濡れてやる必要もあるまい……ん」


 川上の波間に見えるサメの背びれのようなものを見つける。それは、ゆうに三メートルはあるだろう。


「ふっ、あれが怪魚か」


 コイオスは薄笑みを浮かべながら手を広げた。


 その指の間にはキラキラと煌く鋭い蜘蛛の糸がある。プレートメイルであろうと泥よりたやすく引き裂いてしまう断糸だ。


 怪魚と思わしきそれは、凄まじい早さで近寄ってくると、水飛沫を上げながらコイオスの目の前で跳ねた。


 巨大な尾びれが波を叩き、全身が躍り出る。


 それは想像していない姿をしていた。


 上半身は白く美しい肌と、豊満でありながら張りがあり形が崩れない乳房を湛えた美姫だったのだ。


 金色の髪が陽光に透けて美しく輝き、深淵の森の色を映すような緑色の瞳は、無気力にコイオスを見つめている。


「ほぉ」


 その美しさにコイオスが感嘆の声を漏らす。


 と、同時にコイオスは尾びれの強烈な一撃によって水中に叩き込まれていた。


 コイオスは巨大な蜘蛛の足を覆う微毛の間に、空気の層をまとわせて、水中で人魚と向き合う。


 空気の層は水中で銀色に神々しく光っている。まるで光翼の天使だ。もちろん翼ではなく不気味な蜘蛛の足なのだが、それが美影身に見えてしまうのは、コイオス自身が天上の美貌だからだろう。


 怪魚、いや、人魚がものすごいスピードで突っ込んでくる。


 ちなみにいくら美しいとは言え、その美女の上半身は下半身同様に巨大だ。普通に全長10メートル近くある。鼻の下を伸ばせるような相手ではない。


『ふっ、たまには元の姿に戻るのもよかろう』


 コイオスは旧神ティターン族たる元の巨大な姿を取り戻した。


 水中でぶつかり合う巨大人魚と巨人。


 その振動で川は逆流し、川岸は崩れ、大地のあちこちに亀裂が走る。


 ちなみに小一時間後、首都ソッログドンモにも引き込んである川は大逆流し、王城の水堀が爆発。城壁はその衝撃で脆くも崩れ落ちてしまい、これまでの数々の天災も合わさって、もはや王城の体をなしていない廃墟と化す。


 首都の他には大した被害がない中、ど真ん中にある王城だけが廃墟となったことで、アップレチ王国の民は「白薔薇の君が呪いを呼び込んだ」と口々に囁くことになるのだが、コイオスにとって知ったことではなかった。











 白薔薇の双子騎士をギルドに置いて、コイオスを迎えに来たおっさん三人は、眼前の光景に声を失っていた。


 下半身魚の巨大な美女と、巨人の姿に戻ったコイオスが蜘蛛の足と尾びれを絡みつけて川の中でギターン!バコーン!と絡み合っている。


「まさか戦ってるんじゃなくて………交尾してるんじゃないだろうな」


 ジューンは水飛沫を浴びながら愚痴る。


「さすがコイオス。ってか。ははは……」


 コウガがオヤジギャグをかますが、それはおっさん同士でも受け入れられない寒さだったようで、ジューンとセイヤーはスルーしている。


「まぁ、ある意味、色道の正しい姿だな」


 セイヤーが感心しているのには理由がある。


 幼少の頃、『いやしくも男たる者は老若美醜を問わずすべての女を賛美し、ひざまずき、身を献じて女を充足させねばならぬ。その志しなくして、いたずらに女の選り好みする男は色道のクズである』と女性作家の佐藤愛子氏が書いた本を、実母がいたく気に入った。


 実母はセイヤーが幼少の頃から「色を好む男になるのであればそれくらいの覚悟を持ってやりなさい。出来ないのなら色を好むべき器ではないのです」と言い聞かせた────その結果、40過ぎて童貞というこじらせ天才経営者が誕生してしまったわけだが………。


『お前ら! 私がこれと性交スケベしているように見えるのか! ぶはっ!』


 コイオスは絶叫しながらまた水中に引きずり込まれた。


 そのコイオスの首から肩にかけて、美女が食らいついている。


「うわぁ……激しいプレイ」


 おっさんたちは水面が真っ赤に染まるのを見てドン引きしている。


 あの巨大人魚が食らいつく様は、とても美女とは言えない。


 なんせ人間だったら顎が外れるほどの位置まで口が開き、細かく鋭い牙がコイオスの肉を貫いていた。なのにその緑色の瞳は無感情で無気力なのだ────ぶっちゃけ、怖い。


「旧神を圧倒する魚……魚? 人魚? とにかくあれってやばくない?」


 コウガが少し心配するフリをしながら手を合わせて「ナムナム」と言い始める。倒されるとは欠片も思っていないのだろう。


「仕方ない。手伝うか……って、あれは?」


 ジューンは東の空を指差した。


「む。リィンじゃないか? 随分慌てているようだが」


「迎えに行くと言ったのにわざわざここまで来たのか?」


「律儀な馬だねぇ」


 おっさんたちは聖竜リィンが依頼を終わらせてここに来たのだろうと思っていたが、どうも様子がおかしい。


「「「 ……… 」」」


 聖竜の後ろにある雲間を引き裂いて、大きなドラゴンの群れがわんさか飛んで来た。


 どれも聖竜の倍くらいの体格で、ついでに言うとかなり殺気走っているようだ。


「あちゃ~。ワイバーンって、一匹じゃなかったんだねぇ」


 コウガはナムナムと手を合わせて聖竜にお悔やみの祈りを始めた。


「ワイバーンとドラゴンは親戚でも親類でもないとか、ワイバーンと一緒にするなとか、いろいろ言ってた割に………ワイバーンより弱いのか、あいつ」


 セイヤーは呆れている。


「あれが最強のドラゴンなのか? コウガの連れのジルちゃんのほうが強いんじゃないか?」


 ジューンが言うのと同時に、赤い閃光がワイバーンの群れから放たれた。


 あれは熱線のようだが、超収束させた熱線はレーザービームと変わらない。


 そのレーザーを魔法の壁バリアーで防いでいた聖竜リィンだったが、何十発も食らうと障壁はたやすく破壊され、翼や尾っぽに火がついた。


『人の子らよ! ヘルプ! ヘルプです!!』


 火達磨になりながら川に飛び込む聖竜リィン。


 それを追いかけ、川めがけてレーザーを叩きこむ何十匹もの巨大ワイバーン。


 自分の住処を荒らされて切れたのか、巨大人魚が水中から飛び上がり、ワイバーンの一匹の首を噛みちぎり、また水中に没する。


『貴様ら下等生物がこの旧神コイオスを愚弄するなど!』


 水中から現れた巨大な蜘蛛は、もはや美しい人間の姿をしていなかった。完全に蜘蛛だ。


 レーザーに何本かの脚を撃ち抜かれたのか、巨大蜘蛛は切れている。


 切れているのは聖竜リィンも同じだった。


『もう怒りました。怒りましたからね!!』


 聖竜リィンは白い閃光を口から放ち、ワイバーンの一匹を原子分解したが、横から巨大人魚の尾びれにビターン!と叩かれ、岸辺にぶっ倒される。


 その巨大人魚をコイオス巨大蜘蛛バージョンが糸で絡め取ろうとすると、ワイバーンのレーザーが糸を融解させる。


 巨大蜘蛛VS巨大人魚VS巨大ワイバーンVS聖竜。


「陸海空の怪獣大戦争かよ」


 レーザービームと血しぶきが飛び交う川岸で、おっさんたちは唖然とする。











「ふう」


 ワイバーンと怪魚の死骸を亜空間に放り込んだセイヤーは、流石に疲れたのか、その場にしゃがみこんだ。


「夕日が綺麗だ」


 ジューンは全身血まみれになっているが、まるで血を吸って輝きを取り戻したかのように【真紅の衣】がルビーのように煌めいている。


「これだけやれば、いっときは楽に暮らせるかな?」


 コウガは今日の成果を皮算用しているようだ。


 結局、怪魚もワイバーンの群れもおっさんたちが倒した。コイオスと聖竜リィンは奮闘虚しく、というところだ。


「それよりセイヤー、あいつらどうするんだ」


 ジューンがクイッと顎で指し示したのは、力なく倒れている蜘蛛王コイオスと聖竜リィンだ。


「ふっ、神の封印が私の力を抑制していなければ、あんな半魚人などに負けるはずないのに」


 人の姿に戻ったコイオスは負け惜しみを言いながら、全身の傷にお手製の包帯を巻いている。治癒蜘蛛の糸で作ったそれは、巻いておけばどんな傷も自然治癒してくれるスグレモノだ。


『人の子らよ、あれは量的に無理。人だってゴリラの群れにリンチされたら死ぬでしょ………』


 きれいな透明ではなく、濁った半透明色になってしまったリィンは、完全にヘタっている。


「みんなご苦労だった。明日はギルドで依頼の報酬を貰い、魔物素材の買い取りもやってもらうから、きっと大金が手に入る。今夜は前祝いだ。ここでキャンプと洒落込んで、いい肉と酒を堪能しようじゃないか」


 ニコニコとセイヤーが言う。もちろん、それに反対する者はいない。


 それから数刻。


 夜の帳も降りて、焚き火が辺りを照らす。


 数刻前までは、撒き散らされた血の匂いが蒸せるほどだったが、今はセイヤーの魔法で綺麗さっぱり片付けられ、匂いも肉片もなくなっている。


「あれがあると魔獣が餌目的でやってくるから、キレイにして正解だ」


 ボロボロの身体に包帯ぐるぐる巻きになったコイオスは、そう言いながらワインの瓶をラッパ飲みする。


 コイオスは肴を摘みながら飲むタイプではなく、酒だけを味わいたいタイプらしい。


『美味しいです、人の子らよ』


 馬の姿に化け直した聖竜リィンはヒヒンといなないた。食べているのは、人参を主体にしたサラダにセイヤー特製のドレッシングをかけたものだ。ちなみに聖竜リィンは肉や酒を好まないようだ。


「これ、おいしいね!」


 小さな子供がニコニコしながら魚の塩焼きを食べている。


 金髪碧眼の、まだ5歳位の白肌の子供だ。


「そうだろう。よく噛むんだぞ」


 相手をしているのはセイヤーだ。


 その子供とセイヤーのやり取りを呆然と見ていたジューンとコウガは、いつ聞こうかとタイミングを図っている。


 ……この子、どこから出てきた? いつからいた? 誰の子? もしかしてセイヤーの!?


 そんな二人の凝視に気が付いたのか、セイヤーは苦笑を浮かべる。


「違うぞ。これは私の討伐対象だった『幻魔』だ」


「「 は? 」」


「いや、ギルドに連れて行って目の前で消滅させたんだが、消滅したのは幻魔の魔の部分だけでな。浄化されて清い魂になったのが、だ」


です、はじめまして!」


 子供は元気より、勢いよく、ペコッ!と頭を下げた。


というのがこいつの名前なのか」


 そのネーミングセンスの悪さにジューンが白目を剥く。


「あとで地下墓地に戻すからそれまでの仮の名前だ。アレでもソレでもいいが……なんにしても、彼はこれから善なる地下墓地の管理者として、墓地を清く正しく清潔にしてくれることだろう。そうだな?」


「はい! コレ、がんばります!!」


「仮の名前にしては本人が嬉々として名乗ってるんだが」


 ジューンは目頭を強く抑え、ふっと思い出した。


「そういえば双子ちゃんたち、ギルドに置きっぱなしじゃないか? 呼んでこなくて良いのか?」


「あ、しまった。仲間はずれは良くない。呼ぶとしよう」


 よいしょと立ち上がり、セイヤーは転移する。


 いつもなら数分で戻ってくるのに、なぜか十分過ぎても戻ってこなかったセイヤーは、小一時間後にようやく双子の女騎士達と戻ってきた。


「遅かったな?」


 ジューンが不思議そうに尋ねると、セイヤーは「大変なことになっていた」と首都の様子について語りだした。


「王城が怪異に包まれているらしい。なんでも城の一部が突然爆発したり、西の塔が地下陥没に巻き込まれて倒壊したり、突然マグマが吹き出して城の半分が溶けたり、堀の水害で城壁が倒壊したとか。なのに首都の王城以外では卵一個割れることがなかったらしい。奇妙なものだ」


「へぇ。じゃあ王様とかどうなったんだろうねぇ」


 コウガは少し悪い笑みを浮かべていた。


 アップレチ王国の王国貴族に良い印象を持っていないのだ。


「貴族の家などに避難していることだろうな」


「そうかなぁ?」


「ん? 何が言いたいんだコウガ?」


「いやさ。僕が反乱を扇動した時も、元宰相が悪政を働いていても、全然城から動かなかった連中だから、もしかして、と思って」


「ははは。そんな駄王なら滅びてもらったほうが世のため人のためだろう?」


「それもそうだね。ははは」


 おっさんたちの笑い声が夜を賑やかにする。


 ちなみにこのおっさんたちは知る由もないが、実際はコウガの予想通りだった。


 アップレチ王は城と共に運命を終え、白薔薇の君たるティルダ・アップレチ第一王女を王族から外したばかり。


 今の王家で唯一の生き残りであるエドワード・アップレチ第一王子は元来病弱で、明日をも知れぬ命らしいし、このままいけば家督騒動で謀殺されるほうが先だろう。


 そして翌日。


 とんでもない依頼すべてを片付けて戻ってきたおっさんたちに、ギルドの受付嬢が土下座して指名依頼をしてきた。


「どうかアップレチの王子をお救いください、勇者様」

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