第4話 ジューン、仕事をする。
ジューンは眼の前を流れるマグマの大河を見て、呆然としていた。
ネイチャー系番組でも、これほどのマグマが絶え間なく流れ続け、大きな川のようになっている風景は見たことがない。
対岸までは百メートル以上はあるだろうか………岩石の融点を遥かに超える超超高熱のマグマが、大地を溶かしながらどこかへと流れていく様は圧巻だ。
で。
ここには地震を起こす大ナマズがいる。
ははは、ナマズが地震を起こすなんて可愛らしい迷信だ────なんて思っていたが、本当にこのマグマの中に生息している魔物がいることを、今
討伐対象は、ジューンの目の前でドロドロのマグマの波間からひょっこり顔を出してこちらを見ているのだ。
ナマズというより、平べったいクジラだろうか……とにかく、でかい。
顔だけしか出していないが、全長は数十メートルあるだろう。
しかも、その顔が「何しに来たんや、われぇ」とでも言いたそうな、実に舐めくさった表情をしている。
「あんにゃろう……どうやって
さすがのジューンもマグマにズカズカ入ろうとは思わない。全身を覆う【真紅の衣】がマグマに耐えられても、生身の自分は耐えられないだろう。
「………」
じっ、と手に持った大剣【
これは切れ味抜群で研ぎ直さなくてもいいし、破壊力も相当なものだ。が、その真価は「目に見えないものであれば概念であっても吸い取る」という点にある。
やろうと思えば、生存欲求を吸い取って自害させたり……手っ取り早く生命力を吸い取って殺してしまうこともできる。殺すというのであれば目に見えない「空気」を吸い取って窒息させたりもできる。
敵の敵対心を吸い取って速攻で戦争終結させたり、なんなら死にゆく者の「死」という現象を吸い取って死なない身体にしたりもできる。
とにかく「なんでもござれ」の究極神器であることは間違いない。
だが、ジューンはこれまでその真価をあまり使ってこなかった。
なぜなら、努力の人であるジューンは、自分が努力した結果しか信用していないのだ。だから、この武器の持つトンデモ性能も、もちろん信用していない。
信用どころか「昔話的には便利なものに頼りすぎると、絶対しっぺ返しが来るからな」という謎思考で、使うことを躊躇していたくらいだ。
そんなジューンが、ここに来て「使うか」と【
どの角度でどう動かせば、何が吸えるのか────それは持ち主にしかわからないことなのだろう。
「じゃ、頼むぞ相棒」
ジューンは大剣を何度も大ぶりした。
岸辺で素振りする人間を見て大ナマズは「はン! なんだいそりゃ」と笑っているようにも見えた。
が、その表情が文字通りキンキンに凍り始めたとき「え?」という形で顔をこわばらせた。
ジューンは周りから「熱」を吸い取った。
その結果、マグマの大河が岩の塊のように黒くなり、大ナマズの表面に亀裂が入った。
マグマの中に適応している、つまりはマグマの熱と同等かそれ以上の熱量を持つ大ナマズを、急速に冷却することで、熱膨張させたのだ。
熱膨張がなにを引き起こすのかは、経験したことがある。
ジューンは昔、熱いコーヒーをガラスのコップに注いで「やっぱりアイスコーヒーにしよう」と氷を大量投入して割ってしまった経験があった。今回はそれを「なんとなく思いつきで」やってみたのだ。
だが、大ナマズも負けていなかった。
皮膚表面におびただしい亀裂を走らせながらも、黒い大地と化したマグマを突き破り、その全身を表したのだ。
平たいクジラ説は一瞬で否定された。
頭から下は「タコ」に似た何かだったのだ。
うようよと触手が生えている……が、殆どがガラスが割れるようにバラバラと落ちていく。
それでも大ナマズ(?)はジューンめがけて巨大な口を開き、サメの様な鋭い牙の複数列を見せて威嚇する。
「良い根性だ」
ジューンはにんまりと微笑むと大剣を構えた。
この剣で「敵の命を吸い取る」とすれば一瞬で片がつくものを、あえて戦う。それがジューンの矜持なのだ。
「ガ、ガガ」
大ナマズが声なき声を上げて歯を剥き出しにする。
サメの歯は鱗が進化したものだと聞いたことがあるが、こいつの鱗であればマグマの中で口を開いても、溶けたりはしないのだろう────だが、今は熱膨張の影響を受けて、歯は脆い軽石のようにボロボロと落ちていく。
「グガググ……」
大ナマズは苦しそうな声を漏らしながらも、ジューンに挑もうと前進してくるが、一歩踏み出すたびに身体は壊れていく。
その様は、ちょっと動物虐待しているようで見るに耐えなかった。
「やはり楽して勝とうとするもんじゃないな。後味が悪すぎる」
ジューンは思い出したように魔力を顕現させた。
鼻血を止める魔法。
治癒魔法の超初期の初期に覚える魔法で、三歳児でも使える、いや、三歳児くらいしか使わない魔法だ。
それをジューンのアホみたいな魔力と、これまでに積み重ねてきた努力による努力のための努力の成果が合わさるとどうなるか。
大ナマズは「鼻血を止める魔法」によって全回復していた。
何千年も生きてきたせいで、生物として退化もしくは壊死していた体内器官の一部も完全に蘇り、ひび割れ崩れかけた身体もシャキーンと甦った。
「………」
何が起きたのかわからず、大ナマズは唖然と自分の体を眺めている。
「さあ。殺し合おうか」
ジューンは微笑みながら再び大剣を構えた。
「おマち、くダさい」
大ナマズはたどたどしく人間の言葉を使うと、マグマだった川に頭を付け、降参を表すように触手を全部後ろに下げた。人間ならコレを五体投地と言うだろう。
「どうカ、おゆるシくだサい」
大ナマズは必死に喋っている。
さっきの「鼻血を止める魔法」によって、とっくの昔に機能しなくなっていた声帯も蘇ったのだが、さすがに使わなくなって何百年も経っているので、声の出し方を忘れていたのだろう。
「なんだ、もう降参なのか?」
ジューンは残念そうに言って大剣を降ろした。
「だが、お前さんを討伐することが仕事なんだよな。殺すしかないんだ」
「わたシが、なにをシたというのデすか。わたシは、ただコこにいただケです」
「いることが迷惑なんだって。お前が地震起こすと、人間が迷惑するんだよ」
「でワ、わたしがどこカに、いケば、いいですカ」
「行った先でまた迷惑起こすだけだろ。ずっと身動き一つしないで存在してるだけ、とかないだろうし。そんな拷問より今死んだほうが楽だぞ?」
「わかリました。でワ、わたシは、
「
大ナマズはペコペコと頭を下げながらゆっくりとその巨体を舞い上がらせた。
「ほう、飛べるのか」
どこからともなく祈りの声とも歌ともつかない音が聞こえてきたが、あたりを見回しても人の気配はない。
そうしている間に、大ナマズはかなり上空まで登っていた。
「あ、やばい。討伐の証拠がない」
ジューンは慌てて大剣を大ぶりに振った。
「!」
何本かの触手がボトボトと落ちてきたが、大ナマズは逃げ去るようにして空高くに消えていった。
「異世界じゃナマズも飛べるのか。勉強になった」
「なるほど」
魔法で転移してきたセイヤーは、ジューンが引きずってきた悪臭を放つタコの足のような物体を「鑑定」して、その正体を探り当てた。
「これは神やティターン族よりもっと古い、宇宙からやってきた異形異界の神、らしい」
「なんだそりゃ?」
「大ナマズではない。神だ」
「……討伐対象ではなかった、ということか?」
「マグマの中で生きていられるナマズなんて、神か、神の使徒くらいのものだろう。これでいいんじゃないか?」
「適当だな」
「私に言わないでくれたまえ。ギルドの依頼の仕方が雑なのだよ。討伐対象は具体的ではないし、依頼達成の証がなんであるのかも知らせない。だからといって監視官がついてくるわけでもない。どうやって依頼達成を確認しているのか謎だ」
「確かになぁ」
「もし魔道具のようなもので依頼達成を確認しているとしても、だ。受付嬢の気分次第で未達成だとか達成率が低いとか、適当に決められてしまうような雑なシステムだと言わざるを得ない。なんせ冒険者側からはその確認方法がわからないのだから、文句の言いようもない。まるで荷物をクロークに預けたら7万円入っていたはずの財布から4万円抜かれていたけど、クロークの誰かが盗んだなんて証拠はない、という状態に……」
「なにかあったのかよ、セイヤー」
「……とにかく、柔らかなエリエールたちには新たな冒険者ギルドシステムを組んでほしいものだ」
「柔らかなエリール、な。ほんとに興味ないことは覚えないんだな、お前さん」
「………ひらめいた」
「やめとけ」
「まだ何も言ってないぞジューン」
「ろくなことじゃないだろ、絶対」
「いやそう言うな。私たちが協力して第二の冒険者ギルドを作って、既存のギルドよりも良い運営をすれば、自然とこちらに冒険者が集まって、ゲイリー総支配人の冒険者ギルドは潰れるんじゃないかと思ってな」
「気の長い話だな。冒険者を集めるのも、各地に支店を出すのも、支店を任せるギルドマスターを用意するのも、依頼してくる人々の信用を得るのにも……全部時間がかかるだろう? それよっかゲイリーを叩き潰して今のギルドを乗っ取り、制度を整えたほうが早い」
「それも一理あるが、そもそもギルドという独占するシステムが良くない。ライバルがいてこそ切磋琢磨してサービスは向上するものだ。それに、このままの冒険者ギルド一強状態だと、ゲイリー総支配人を倒した所で第二、第三のゲイリーが現れないとは限らんぞ?」
「ま、好きにしてくれ」
「私ならその『ニュー冒険者ギルド』のトップにはジューンを推薦するが」
「なんで俺なんだよ」
「私達の中で一番冒険者っぽいからな」
「そんな理由でトップとか無理無理。俺は中小企業の中間管理職だぞ?」
「安心したまえ。駄目な経営者にありがちな「引かぬ(撤退ラインを超えて頑張り自滅する)」「媚びぬ(人心掌握ができないので自壊する)」「省みぬ(PDCA回せないので同じ過ちを繰り返す)」さえなければ、どうにかなる」
「………ま、いろいろ片付いたら余生について考えよう。今はまだ考える時じゃないだろ」
「それもそうだな。さて、そろそろコウガを迎えに行くとしよう。君も一緒に来てくれ」
「わかった。けど、この臭いタコの足、セイヤーの亜空間に収納頼む」
「嫌だが仕方ないな」
さんざん喋りまくった二人の姿が、歪んだ空間に飲まれて消える。
と、同時に熱を奪われて硬化していたマグマの川が赤みを取り戻し、湧き出るようにマグマが噴出した。
ほんの数分堰き止められていたマグマの大河は、蘇ると同時に怒りの唸りを上げ、洪水ならぬマグマバーストを引き起こした。
川が濁流となって近隣に広がるように、マグマの大河もかなり広がったが、被害はそれだけではない。
地脈を通じて、アップレチ王国各地でマグマが噴水のように吹き出したのだ。
その地脈は不運なことに首都ソッログドンモの下を流れており、脈瘤が破裂するかのように王城の真下を流れていたマグマが弾け、地下から灼熱の噴水が吹き出した。
それは一回こっきりの噴水だったので、街の民に大きな被害はなかったが、これによって王城の半分が崩れ、銃の製造工場とストック場所はキレイさっぱりマグマに飲まれて消滅した。
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