第5話 閑話・「なっ………」(後編)

「なっ………」


 さすがの「天翔ける龍の架け橋亭」店主リノアも、差出人名に驚いて便箋を落としそうになった。


 リノアを驚かせた差出人とは、先日ここに一泊したおっさんたちだった。


 彼らが何をしたのか記憶に新しい。


 まずこのあたりを牛耳っていた白薔薇親衛隊を一瞬で壊滅させ、さらに「ええい待ってられるか!」と関所破りして王国に入っていった。


 かなり強烈で破天荒なおっさんたちだったが、不思議と悪い人たちには見えなかった。父の代から知り合いの冒険者ミュシャさんの紹介で来た、と言っていたが……。


『どうして私に手紙を? しかも羊皮紙ではなくき紙の手紙!』


 リノアは不安に苛まれた。


 あのおっさんたちが、手紙をわざわざよこしてきたというだけで十分に不安にさせられる事態だが、寄こしてきたのがき紙というのも不安を煽る一つだった。


 なんせこの世界での紙は大量生産できない職人の手作り品で、かなり高価なものだ。公式書面でもないただの手紙にき紙を使うなど、王族くらいのものだろう。


 更に不安要素を言うと、この手紙を持ってきたのが……金貨に擬態する蜘蛛「クリーピングコイン」だったからだ。


 得体の知れない蜘蛛?金貨?魔法生物?は、実にコミカルにコミュニケーションを取ってくるので、麻痺毒を持つかなり凶悪な存在なのに、にくめない可愛らしさがある。


 なんせ、ボロ宿でいつものようにテーブルに頬杖ついて呆けていたら、窓をコンコンと叩かれたのでそちらを見ると、金貨蜘蛛クリーピングコインが手紙を背負ったまま片足を上げて「よぉ」と挨拶していたくらいだ。


 どうしてこの子が配達人なのか……おっさんたちの考えていることが読めなくて不安だ。ちなみに今その金貨蜘蛛は、大金貨に擬態した姿でテーブルの上で寝ている。


「ごくり………」


 リノアは便箋を開ける前に注意深く見た。


 差出人はおっさんたちだが、代筆者はレスリー♡&リンダ♡と書いてある。


 末尾の「♡」が何を示しているのかリノアにはわからなかったが、筆跡からしても女性だろう。


 なんで女性二人が連名で代筆しているのかさっぱり理解できないが、もう考えないことにした。


 リノアは恐る恐る封蝋シーリングスタンプにペーパーナイフを当て、中から紙を取り出す。


 視線を感じてテーブルを見ると、リノアの様子を金貨蜘蛛が眺めていた。


 リノアと目が合うと「気にするな」と言っているのか、足を上げて挨拶してくる。やはり、意外とかわいい。


 それからリノアは手紙を何度も何度も熟読した。


 文章が難解で読解できなかったのではない。書いてあることの意味がわからなかったのだ。


 手紙の内容を要約すると「おっさんたちはあんたの宿を支援する」ということなのだが、この「支援」がよくわからない。


 近くに来たらまた立ち寄るよ、と読むのが普通だろう。


 こういうお礼の手紙をもらったのも初めての事だので「こんなボロ宿をまた利用してくれるなんて嬉しい」とリノアは純粋に受け取ることにした。


 リノアはほっこりした気持ちになった────が、そこに筋肉の塊みたいな男たちがわんさかやってきたので、ほっこり気分は吹っ飛んだ。


 泊り客ではない。この男たちは大工だ。


 次々に運び込まれている建材に唖然とするリノアを無視して、現場監督らしき男が大声で指示を出している。


「両脇の建物はもう買収も引っ越しも終わってんだ。先に解体しとけ!」


「地盤補強はどうなってる! 地盤調査班なにやってんの! 調査甘いよ!」


底盤スラブの前にやっとけっていっただろうが!」


 男たちの怒声が飛び交い、リノアは慌てて外に出る。


「な、なんですか? 区画整理ですか!?」


「この宿の店主さん? ここにサインよろしく」


 現場監督が羊皮紙を出してきた。


『天翔ける龍の架け橋亭 増改築計画書』


「……なんです、これ?」


「書いてあるとおりだけど?」


「わ、私は頼んでませんよ! 何かの間違いでは?」


「ははは。この前さ、白薔薇の連中をぶっ潰してくれた冒険者のおっさんたちがいたろ? 彼らが大枚叩いて発注したんだよ。なんと金剛貨5枚分!」


「へ?」


 金剛貨5枚分とは日本の貨幣価値で言えば5億円だ。


 あまりにも金額の桁が大きすぎてリノアは実感なく「なんのことやら?」となっている。


 ちょんちょん、と肩を突かれる。


 クリーピングコインがいつの間にか肩に乗っていた。不思議と「きゃあ蜘蛛!」とならないのは、その剽軽ひょうきんな金貨の形があるからだろう。


 クリーピングコインはリノアが手に持っている手紙を足で指し示している。


 まさかと思って手紙の裏を見ると「追伸」と続きが書いてあった。


 ────追伸。


 宿があまりにも劣化していたので、余計なお世話であるが、増改築するように町の大工衆に頼んでおいた。費用は当然我々が負担する。貴女には一切の返済義務も責任もないし、我々も求めないことをここに明記しておく。


 また、運転資金を幾許いくばくか、冒険者ギルドに預けておくので取りに行って欲しい。


 次回我々がその宿に泊まる際、快適に過ごせるように、ただそれだけである。


 ────以上。


「えぇぇぇぇぇぇ!?」


 無料で与えられるもの程、恐ろしいものはない。あとでどんな責務を背負わされるのかわからないからだ。


 だが、リノアは「次回我々がその宿に泊まる際、快適に過ごせるように」という一文で納得した。


「余程うちの宿、だめだったのね」


 苦笑するリノアを慰めるようにクリーピングコインが肩で足を上げる。


 おっさんたちは、ただ旨い酒と美味い肴、そして快適な寝床を望んだだけだ。


 セイヤーが魔法でやれば一発で増改築できてしまうところをわざわざ町の大工に頼んだのは、亜空間にしまい込んで腐っている大金を散財しようというセイヤーの案だ。


「町の経済がリノアの宿を中心に循環することによって、彼女は町で孤立することなく過ごせるだろう。それに、それだけ町を世話していれば、客足を貰えるようにもなるだろう」


 という配慮である。


 実際、約半年後にリニューアルオープンした「天翔ける龍の架け橋亭」は町の人々にも人気で、「いい宿ならあそこにいくべきだ」と旅人たちに勧めてくれた。


 さらに客足は途切れなかった。


 リノアのクソ不味い料理は封印され、ちゃんとした料理人が作るようになったし、ベッドも豪華。泊り客の評判は上々で、口コミでどんどん客足は増えた。


 なによりも宿の名物「クリーピングコインの大道芸」が大人気だ。


 大金貨がリノアの指示に従って集団で綱渡りしたり、シーソーでぴょんぴょん跳ねたり、器用に積み重なってバランスをとる。その愛らしいコインたちの大道芸は、宿泊客しか見れないディナーイベントだ。


 つまり、クリーピングコインはめっちゃ増えていた。


 多分手紙を配達してくれた一枚(一匹?)が最初から子持ちだったのだろう………小さな金貨がわらわらよちよちと歩いていたかと思うと、数日で大金貨になった。


 今ではこの宿に欠かせないビジネスパートナーであり、優秀な護衛でもある。


 たまに狼藉者がやってくることもあるが、クリーピングコインたちに麻痺られて、どこかに運ばれていく。


 泡吹く男たちが大量の金貨に載せられて運ばれ、町の外にポイッと捨てられるときは、見学者たちから大歓声が上がり、金貨たちは片足を上げて「ばーい、さんきゅう!」とポーズを取る。


 これも町の名物になりつつある。


「天翔ける龍の架け橋亭」という正式名称よりも「生ける金貨の宿」と言われたほうがしっくり来るほど、この宿にとってクリーピングコインたちは無くてはならない存在だった。


 ちなみにおっさんたちは、この宿の増改築費用、両隣の建物の買収、運転資金……すべてを合わせると軽く10億円を買える金額を「ぺいっ」と置いていったことになるが、リノアは深く考えないようにして、次にあのおっさんたちが来るときを心待ちにしていた。











「なっ………」


 キャンプのテーブルにコインを並べていたセイヤーは、残金を何度も確かめて声をなくしてしまった。


「金がない!? どうしてこれだけしかないんだ!?」


「そりゃあ、あんな使い方したらそうなるわな」


 驚愕したまま硬直しているセイヤーを尻目に、ジューンは目を細めてコウガを見ている。見られたコウガは口笛を吹きながらそっぽ向いている。


 おっさんたちに何が起きたのか。


 リノアの宿に回収予定のない投資をしたからこうなったのではない。その後の行動でこうなってしまったのだ。


 アップレチ王国に入ったおっさんたちは、とりあえず首都のソッログドンモを目指して旅を続けているのだが、行く先々で悲惨な現状を目の当たりにしてしまった。


 白薔薇親衛隊が略奪の限りを尽くしたせいで、王国内の民はどこに行っても困窮していたのだ。


 おっさんたちは、困っている人々を救いまくった。


 不作で飢えた村にはセイヤーが魔法で豊穣をもたらし、魔物に襲われて不安な日々を過ごす村ではジューンが魔物退治に勤しみ、自転車操業状態で明日をも知れぬ経済状態の村ではコウガが金をばらまいた。


 このコウガの行動が一番の問題だ。


 ザル。完全にザル。後先考えずアホの子のように金をばらまいてしまったのだ。


「いいじゃない。僕達は冒険者なんだしさ。貯蓄なんかしなくてもその日暮らしバンザイさ!」


 計画性ゼロである。


 本来金勘定に適任な「会社経営の天才」たるセイヤーは、コウガとは対象的に計画的に生きるタイプだ。


 だが会社経営とマネーゲームは前世(?)で飽き飽きだったので、持ち金の使い所はコウガに任せた。それが敗因となり、おっさんたちは極貧に陥っている。


『人の子らよ。私の存在を忘れていませんか?』


 馬車馬が憮然と喋りかけてくる。もちろん聖竜リィンだ。


「忘れてはいないが、どうした?」


 セイヤーが尋ねると、美しい馬は唖然としたような表情をした。馬とは実に感情豊かに表情を作れる動物のようだ。


『人の子らよ。私、ここ数日なにも食べさせてもらっていませんよ?』


「お前、何も食べなくても平気なんじゃなかったのか?」


『美味しいものが食べたい! こき使われて無報酬とか聖竜的に悲しすぎます!』


「コイオス。君の蜘蛛に食用のものはいないのか?」


「フッ……我が子を食わせる親がいると思うかバカタレ!」


『人の子セイヤーよ……さすがに蜘蛛を食べさせるのはどうかと思います!』


 旧神と聖竜に怒られたセイヤーは、もう一度テーブル上のコインを数える。


 ジューンとコウガも覗き込んだが、何度数えようと銀貨(1000円)3枚、大銅貨(100円)8枚。合計3800円だ。


 宿代は平均的に一人6000円前後だが、おっさん3人+旧神1人+メス犬2人+馬車馬一匹で……と考えるまでもなく一人分でも完全に予算オーバーしている。


「これは……よくもこれほどきれいにあれだけの財産を使い切ったものだ」


「でしょ! すごくない僕!」


「バカなのか? 皮肉だ!」


 セイヤーはコウガを睨みつけたが、効果はない。


「……これはまじめに働くしかないな」


 セイヤーはキッと全員を睨んだ。


 コイオスと馬が「え、俺(私)も?」という顔をしたが知ったことではない。


「働かざる者、食うべからず! 私達は冒険者が本職なんだから、そこで日銭を稼ごうではないか!」


 セイヤーの言い方は有無を言わさぬほど切実だった。


 だが、コイオスに籠絡されてしまった白薔薇の双子騎士レスリーとリンダは「私達は騎士だぞ! 冒険者の真似事などできるか!」と反発した。


「コイオス、もっとキチンと教育しろよ」


 ジューンが冷たく言い放つと「承知だとも」と、コイオスはピンク色の蜘蛛をうじゃうじゃと放った。


「駄目です、ご主人しゃま♡ それは、それだけはンホォォォォ♡♡♡♡」


「働きます♡♡♡ 働きますから♡♡♡♡ らめぇぇぇぇ♡♡♡♡♡♡♡」


 双子の女騎士は荷台で体をくねらせてジタバタしている。服は着用しているが、完全に教育に悪い図だ。


「この女の子たち、これからどーすんの?」


 コウガが白けたように言ったが、その答えを出せる者はいなかった。

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