第11話 おっさんたち、驚く。

 突然現れた美女は、ミノーグ商会会頭の秘書だと一礼した。


「グウィネスです」


 性欲は枯れているものの異性に対して無関心というわけではないおっさんたちは、そのグラマラスな美女の登場に内心ドギマギしていた。


 ジューンはグウィネスを直視しないように視線を外し、セイヤーにおいては空を見上げて「いい天気だ」と現実逃避している。


 仕方なくコウガが応対する。


「ええと……会頭の秘書さんがどうしてここに?」


 グウィネスは軽く頭を下げた。それだけで胸がたゆん!と揺れる。


「会頭から降伏の言伝を持ってまいりました。受け入れるのであれば如何様いかようにでも褒美を与える、ということです」


「褒美? 与える? もしかしてって言ってきたのか?」


「はい」


「今の所そっちのコマは完敗してるが、随分上から目線の伝言だな………」


があるからでしょうね」


「どんな見込みがあるのか知らんが、帰って伝えてくれ。バカを言うなってな」


 ジューンが少し眉毛を逆立てながら言い、グウィネスが黙っているので言葉を続けた。


「あんたも秘書なら会頭ってやつがどんなことをしたのか知ってるだろうが………そいつは、月夜の子猫商隊キャラバンのリリイを誘拐してめかけにしようとしたり、商隊キャラバンの人々を殺すように命じたり………随分と闇ギルドを使って悪いことをやってくれた。降参すりゃ許されると思ったら大間違いだ。投獄して二度と陽の目が見れないようにしてやる」


「これは困りました。会頭はどうあれ、ミノーグ商会はまっとうな商売人たちの組織です。そしてその組織は会頭の商売センスによって成り立っている部分が多く、彼がいなくなると多くの人々が路頭に迷うことになるでしょう」


「……誰か他に優秀な人はいないのか?」


「何人か候補はおりますが、どれも腹に一物イチモツある、いえ、腹黒い者たちばかりです」


 何の変哲もない単語なのだが、グウィネスが言うとイチモツが淫猥に聞こえてくる。


「その者たちは会頭以上に悪いことをする可能性があります。いえ、するでしょう。その点あのクソジジイがやる『悪いこと』は程度が知れています。女癖が最悪で商売仇は徹底的に排除するゲスですが、やってもそこまでです。他の者が台頭すれば国家権力と結びついて、民を苦しめて私腹を肥やすか、もっと悪いことをしでかすでしょう」


「よく見てるじゃないか。あんたが会頭に代わればいいんじゃないか?」


「いえ。私、一介の秘書に過ぎませんので」


「今は?」


「元冒険者です。ランクAの」


「……A?」


「引退しておりますがAです。漣のグウィネスと言えば、今でも知る人は知る名ではないかと思います」


「そうか。あんたがか」


「はい」


 否定しない。


 その態度の落ち着き方は尋常ではない自信の現れだ。


 おっさんたちの取ってつけたように授かったランクSではなく、本物の冒険者にしてランクA、という事実だけでジューンは十二分に警戒した。


「それに私が秘書でなかったとしても、商売のセンスはありません」


「そんな能面みたいな表情じゃ、そうだろうな」


「ノーメン? ………とにかく会頭はああ見えても従業員には良くしますし、この街のため多大な貢献もしています。どうかご再考を」


「はいそうですか、なんて言うと思ってるのか。やったことの罪は購ってもらうぞ」


「ならば仕方ありません。これは本意ではありませんが、会頭に雇われている私としては、敵となる者は排除するしかありません。たとえ相手が勇者でも」


 グウィネスは一礼し、腰のショートソードを抜いた。薄氷のように半透明の刃をした剣だった。


「俺たちが勇者だってわかっていたのか」


 ジューンをはじめ、おっさんたちは身構える。


「本意ではありませんが……排除いたします」


 グウィネスの一挙手一投足で胸がするが、そこに目をやっている暇はなかった。


 スッとグウィネスの姿が横に四、五と増え、それが十になったとき、すべてのグウィネスがバラバラの行動を取ったのだ。


「「「 ! 」」」


 おっさんたちが驚く間に、分身したグウィネスたちは一斉に押し寄せてきた。


 ジューンが前に出る。


 こういう直接戦闘タイプ相手に、あまり怪我させない程度に戦いをやめさせるには、ジューンが最適だからだ。


 ジューンは大剣でグウィネスのショートソードを受け止め………られなかった。


 受けた手応えなく薄氷の剣は大剣を、そして真紅の鎧をも貫通しようとしてきたので、咄嗟に身を引く。


 寸前で回避できたので斬られはしなかったが、初めて敵に一撃入れられたことにジューンは驚愕した。


『今のはなんだ!? 完全に受けたはずなのに! しかも鎧にも全く当たった感触がなかった!?』


 改めてグウィネス十人全部が、斬りかかってくる。


「くそっ、どれが本物なんだよ!」


「どれも幻ですよ」


 耳元で生々しく囁かれたジューンの背筋が凍る。その首元に刃が突き立てられていた。


 分身は十人ではなかった。十一人目がいたのには気が付かなかった。


剣を受けられないのは当然です。もちろん幻の攻撃を受けても痛くも痒くもありません────ですが、私とこれはです」


「そうかい」


 ジューンは神速の反応で首に突きつけられた刃を手甲で弾き、グウィネスとの距離を取る。


 冷や汗が頬を伝う。


 今までこれほど「死」を予感したことはない。


 本物たる十一人目のグウィネスは、今までどこにいたというのか。


「種明かしをしますが、私はどんなに敵の数が多くても、ことができます。【夢幻分身】と【死角潜み】と申します」


 まるで自分の意思を持っているかのようにバラバラに動き回る、本物と偽物の識別が不能な【夢幻分身】


 そして、どんなに強大で多数の敵であろうと、必ず生じる死角に潜む【死角潜み】


 分身に気を取られている時、致命の一撃を加えるその合わせ技は何者にも防げないとなる。


 どんなに屈強な肉体をしているアメフト選手でも、背後からいきなりタックルされたら受け身も取れず倒されてしまうのと同じで、意識していないところから受ける攻撃に対する防御力はゼロになってしまう。これに抗える者などいないのだ。


「お覚悟を」


 グウィネスは分身達と共に真正面からジューンに打ち込んできた。


 その数は十一。幻と本体が、正々堂々と真正面から来た。


 ならば、とジューンは大剣を数万回細かく振り下ろし、その時に生じた衝撃波で、すべてのグウィネスを吹き飛ばしてみせた。


 のグウィネスが


 本体と思っていたものも夢幻のように揺らめき消えた時、ジューンは青ざめた。


 十の幻が作れるのだから、十一でも十二でも幻を作れたとして、なんの不思議があろうか。こんな簡単で単純な手に引っかかるとは。


「!」


 ジューンが本能的に大剣を構えると、死角から現れた本物のグウィネスは少し驚いた顔をしながらも、容赦なく薄氷の剣を振り下ろした。


 薄氷の剣が揺れた。それはまるで波打つ水面みなものようだった。


 大剣をすり抜けるような太刀筋で、薄氷の剣はジューンの真紅の衣を引っかいて火花が散る。


 これが勇者の鎧でなければ、今頃ジューンは胸元を深く斬り裂かれて絶命していただろう。


「私の【さざなみの一閃】でも貫けない鎧!?」


 グウィネスは距離を取る。


 さざなみのグウィネスと言われる所以ゆえん────それは波打つような変幻自在の太刀筋と、それを敵に視認させないように視覚面で補っている半透明の『薄氷の剣』から付いた二つ名だ。


 分身、死角、そして漣の一閃。


 これらがグウィネスをランクA冒険者にした、他者の追随を許さない恐るべき力だ。


「それにしても、分身をすべて失ったのは初めてです。バラバラに動く分身を生み出すのには、かなりの魔力を必要とするのですよ」


 グウィネスは改めて分身する。今度は二十を超えている。それは「魔力はたくさん使うが、まだまだ魔力はありますよ」というアピールのためだろう。


 かつてないピンチにジューンは動揺を隠せない。


 コウガは目の前で何が起きているのか視認することも出来ず、ただジューンが押されている現状に唖然とするしかなかったが、セイヤーは冷静に鑑定魔法で更にグウィネスを調べていた。


 そのセイヤーの額に漫画みたいに汗が流れた。


 これは魔法で見ているセイヤーにしかわからないことだが、グウィネスの身体ステータスは異常だった。


 ジューンには及ばないものの、一般人と比較すると桁が3つくらい違う数字だったし、これまでの戦闘経験値によって加算された「総合戦闘力」はおっさんたちを遥かに凌駕しているのだ。


 おっさんたちのいた元の世界では、女性は身体能力……特に筋力や体躯において、男性に勝ることはとても難しい。これは差別や侮蔑ではなく、生体としての差異によるものだ。


 鍛えた女性と鍛えていない男性では女性が勝つだろうが、同じように鍛えたら男性の方が強い。すべてがそうではないにしても、総じてそうなる。


 だが、こちらの異世界ではその常識が通じない。


 体躯は男性より小柄で筋力もない女性が、スピードと正確さを活かして男性以上に戦える。いや………人によっては男性以上の筋肉を有することもできる。それはダークエルフのヒルデや、鬼人族のエレドワを見れば一目瞭然だ。


 つまり、性別による戦闘力の優劣はないと考えても良い。


 その答えがここにいる。


 ランクA冒険者グウィネス。


 通称、さざなみのグウィネス。


「冒険者最強の女」だ。


 ファイアードラゴン9匹とフロストジャイアント9体という、国家殲滅レベルの魔物襲来を、2分もかからず殲滅した………というのも彼女の伝説の一つに過ぎない。


 とある魔族が遭難し、仕方なく、理性を失って魔人化してしまった事件………「魔族ハルベリアの暴走」では、彼女がハルベリアを討伐した物語が「さざなみと魔人」というタイトルで、今も多くの吟遊詩人が酒場で奏でている。


 他にも、絶海の孤島に眠る太古の財宝を得た話、別の大陸から大軍率いてやってきた略奪者達と海上で殲滅戦を演じた話、星の海を越えてやってきた異形の邪神との戦い………すべて彼女が成した「偉業」だ。


 ステータスを確認しているセイヤーが『この女、ぶっちゃけ魔王も倒せたんじゃないか?』と白目を剥きそうになる実績だ。


 そしてセイヤーはステータスの備考欄を見て息を呑んだ。


 グウィネスの家系は、数世代……いや、数十世代前の勇者の血を引いていた。それも偶然なのか意図的なのか、が一つの血筋に集まっていた。


 おそらく、分身できる勇者、死角にひそめる勇者、漣のような太刀筋の勇者………それら古の勇者たちの力が、とんでもない隔世遺伝で奇跡的にグウィネス一人へと引き継がれた。


 それは、おっさん三人の固有勇者特性が一人に凝縮されたようなものだ。


「ジューン、その女は勇者の血統だ! ミウよりやばい! 複数勇者の血を引いているぞ!! 本気でやれ!!!」 


「はぁ!?」


 二十を超える分身相手に防戦一方のジューンは悲鳴のように「はぁ!?」と叫んだ。


「私が勇者の子孫だったとは知りませんでした」


 分身の中から現れた本物のグウィネスは、全く剣が通じないジューンの赤い鎧を蹴り飛ばした。


 ジューンが声もなく地面に蹴り倒されるのと同時に、グウィネスはセイヤーにも斬りかかっていた。


「早い!!」


 セイヤーは魔法障壁で攻撃を防いだが、障壁は漣の一閃で粉微塵になり、こちらも容赦なく蹴り飛ばされてジューンの横に倒れた。


 倒されたジューンとセイヤーはピクリとも動かない。


 残されたコウガは「え、嘘でしょ」と半笑いしている。


 あの化物のような努力馬鹿ジューンと、天才魔術師のセイヤーが、こうも簡単に倒されるなんて想像もしていなかった。


 それは様子を見守っていた蜘蛛王コイオス、トト、クラーラ、聖竜リィンをはじめ、剣聖ガーベルドやシルビア、柔らかなエリールも同じだったらしく、全員が息することも忘れて呆然としている。


 あれが世界最強の女。


 あれがランクA冒険者。


 あれが漣のグウィネス。


「次はあなたです」


 コウガは、グウィネスに囲まれて一斉に攻撃された。


 いくら強運の勇者であってもこれは防げない────そう思われた瞬間、グウィネスの攻撃は防がれた。


 防いだのはツーフォー、ジル、ミュシャだ。


 遠巻きにしている者たちとは違い、「覚えていないけど」「初対面のはずだけど」「どうしても気になるから」コウガの近場にいた三人は、自然と動いていた。


「なにをしているのですか。あなた方は会頭が雇ったので、私サイドのはずですが?」


「………守りたい、このおっさん」


 語彙力を失うほど魔力に集中しているツーフォーは、まるで標語のように倒置法で言う。


「なぜか放っておけぬ。我はこの男を助けるぞ!」


 ジルもガルルと怖い顔をして両腕をブラックドラゴンの形に戻した。


「弱い者いじめは許さない」


 ミュシャは爪を伸ばしてカキンカキンと打ち合わせた。


「………やれやれ。こんなおっさんのどこがいいのやら」


 グウィネスは諦めたように分身たちと共に攻撃を仕掛けた。


 ツーフォーは二十を超えるグウィネス目掛けて無数の火球を打った。


 だが、そんなものはグウィネスのスピードを前に意味をなさない。どれも回避────できなかった!


 回避したはずの火球をあらぬ方向から浴びたグウィネスは霧のように消滅し、ただ一人残ったグウィネスめがけて、ミュシャのアダマンタイトの爪が振り下ろされる。


「チッ………」


 グウィネスが舌打ちしながら爪を寸前で回避する。


 今のはツーフォーが放った魔法の火球を、対角線上にいたジルが尻尾で打ち返すことによって予測不可能な軌道での攻撃に変えた。そして分身が消えたのと同時にミュシャが最後の一人に打ち込んできた。素晴らしい連携だった。


 すべての分身を失ったグウィネスは、舌打ちしながらも薄氷の剣を構え、


「!」

「!」

「!」


 ツーフォーとミュシャは真後ろから手刀を受けて倒れ、ジルは強烈な膝蹴りを下腹部に受け、息を詰まらせて膝を落とす。


「最後の一人に至るまで全部幻ですよ。私はずっと死角に潜んでいました」


 一瞬だった。


 かつてコウガと共に旅をし、魔族相手に引けを取らなかった女たちが為す術もなく倒れた。


 それを目の当たりにしたコウガは、小さな体をガタガタと震わせた。


 恐怖で震えているのではない。


 怒りだ。


きさん貴様………」


 さっきまでへっぴり腰で逃げ惑っていたが、背筋を伸ばし怒りに燃えた眼差しでグウィネスを正面に睨みつけ、握った拳が自然とバキバキと骨を鳴らしている。


の女たちば傷つけよったな。なんしよっとか、きさん……くらわす……ぼてくりこかす!!(訳:俺の女たちを傷つけたな。なにしやがる、貴様……殴る……殴り倒す!!)」


 キレている。


 九州の方言剥き出しにしてキレている。


 コウガが怒りの形相を隠さず表すと、今まで鉄面皮のように感情を表に出していなかったグウィネスは顔をひきつらせた。

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