第8話 おっさんたちの暗躍。

 プロシア一家の殺し屋達は、固く閉じている町の正面門を横目に、外壁代わりになっている建物をよじ登った。


 体術でよじ登る者もいれば、鉤手を使って登っていく者もいる。共通しているのは誰一人物音一つ立てていないということだ。


 砂漠のオアシス「リアムノエル」は、本来ならば魔物の襲撃に備えて夜中でもあちこちに見張りの衛兵が立っている。


 だが、今夜はなぜかその姿が見当たらない。


 それを好機と見るか、危険と見るか。


 鬼人オーガ族のプロシアは、危険と見ていた。


 長年の経験上、これはなにかあると、本能が警告している。


 だが、ルーフ・ワーカーを始めとするプロシア一家の面々は、特に気にした風もなく建物の屋上まで登り、身を闇に隠しながら町を睥睨している。


『考え過ぎ……か?』


 プロシアは筋肉の塊みたいな重厚な体なのに、しなやかに素手で建物の外壁をよじ登り、皆がいる屋上まで一瞬で辿り着いた。


「御頭」


 プロシアが登場したので、一家の誰かがその横に立って頭を下げた。


 一瞥するが、プロシアはその者の名前を知らない。


 だが、それが普通なことで、一家の頭であるプロシアであっても数百を超える面子をいちいち名前で覚えていられないのだ。


「やつらが捕まっているのは町の南にある衛兵詰所の中です」


 名も知らぬ仲間が町の果てを指差す。


「………ほう?」


 プロシアは低い声で相槌を打ちながら、横に立った男の脇腹に短刀を突きつけた。


「!?」


「町の中からの連絡がまったくないってのに、どうしてお前はその情報を得られた?」


「そ、そりゃあ、この町で罪人が囚われる場所はそこしかないんで………」


「どうして断言できた? 町の衛兵たちからすりゃあ、このプロシア一家が来ることも十分に想定できるだろうに、そんなわかり易い場所に置いておくか? どう思う、ルーフ・ワーカー」


「御頭、気ぃ立ちすぎじゃないか? あちらさんもまさかプロシア一家が表立っていくさを仕掛けてこようなんざ想定してないはずだ。だが、俺達はそれをすることで更に箔がつく。プロシア一家に逆らうとどうなるか、って世に示すいい機会だぜ」


 ルーフ・ワーカーは銃身に舌を這わせた。


「………」


 プロシアは頷き、クイッと顎を動かした。


 それを合図に殺し屋達が一斉に屋上から別の建物に飛び移る。その様子はまるで無数の黒蟻が垂直な壁を這い、広がっていくようでもあった。


 ルーフ・ワーカーも、少し興奮気味にその黒蟻の中に混じって夜の闇に紛れていく。


 すべての仲間が屋上から移動したのを見届け、プロシアは顎に手をやり目を細めたが、自分自身は一歩も動かない。


「………どう考えてもこれは罠だろ」


 相手が仕掛けているであろう「罠」を確認するために仲間すべてを捨てることも厭わない。それが闇ギルドに君臨するプロシアという人物だった。


「ご明察」


 ここにあるはずのない自分以外の声。


 それと同時に、プロシアは巨体に似合わないスピードで屋上から跳んだ。


 常人なら死ぬ高さから飛び降りても、音一つなく着地するプロシア………だったが、着地と同じタイミングで体が硬直してしまった。


 硬直。それは麻痺ではなく、体が石のように凝り固まってしまうような感覚だった────だが


「ふんっ!」


 プロシアは自分にかけられたであろう「捕縛」の術を弾き飛ばした。


 かけられた魔法を別の魔法で解呪したのではない。


 長年の鍛錬と精神修行によって自分の生命力を「気」という奇跡の力に昇華させるこの技は、鬼人族の戦士がもっと得意とするものだ。


「気」は術を破り、敵を打倒し、心身を癒す。


 魔法が己自身の魔力を消費するのと違い、「気」は己自身の生命力を消費するので、多用すると死に至る。魔力と違って、生命力が枯渇したら気絶では済まないのだ。


「ほう、私の術を解くか」


 空間からおっさんが現れた。


 プロシアどころか殺し屋たちが誰ひとり気付かぬ中、すぐそばに潜伏していたようだ。


 長い髪を後頭部で束ねた中年のおっさんは、物珍しいものを見るような眼差しでプロシアを見つめている。


『こいつ……』


 術を簡単に解いてみせたプロシアではあったが、内心はゾッとしている。


 まず、気付かれずに近くに隠れていたその技量………おそらく魔法だろう。


 世の中には「透明人間になる」という血統魔法があると聞いたこともあるが、それはとてつもなく恐ろしい暗殺術にもなりえる。


 いま目の前で消失されたら、次の瞬間には殺されている可能性もある。ゾッとして当然だ。


 それに、突如現れたおっさんの装備もとひと目でわかって更にゾッとする。


 おっさんが手にしている杖の先端にある宝玉は、この世にそういくつもあるわけではない「オリハルコン」だし、白い外套も薄っすら光を放っていることから、魔法の品に違いない。そんな品々を装備している者が只者であるはずがない。


「………なんだてめぇは」


 プロシアは絞り出すように低い声で言った。


「私はセイヤー。冒険者だよ、


 プロシアはキッと唇を固く結んだ。


「おっさん。あんたにゃいろいろ聞きたいことがあるが………」


 ───どうやってプロシアたちの侵入に気づいたのか。


 ───いつから近くにいたのか。


 ───どうしてプロシア一人になった時に現れたのか。


 だが、何よりも先に聞きたいことがあった。


「なぜ女だとわかった?」


 プロシアの筋骨隆々な岩のような体を見て「女」だと見抜ける人間は少ない。いや、鬼人族の中でもプロシアが女だとわかる者は少ないだろう。一家の殺し屋達ですらほとんどが知らないほどのことだ。


 なんせ肉は女体の柔らかさとは無縁だし、体つきに女を感じさせる部位はない。胸も尻も脚も、すべてが岩石のような筋肉だ。さらに美とは掛け離れた傷だらけの顔はどんな男より厳ついし、声ですら錆びて低い………この外見から女だと看破できる要素はなにもないと言ってもいい。


 なのにセイヤーは驚愕の一言で返した。


「見れば分かる」


「なっ………」


 プロシアは唖然となった────まさかこの自分の見た目で「女」と認識する男がいようとは。


 だが、セイヤーが言う「見れば分かる」には言葉が足りていないことをプロシアは知らない。セイヤーは「外見を見れば分かる」と言っているのではなく「鑑定した結果を見れば分かる」と言っているのだ。


 こういうちょっとした言葉の少なさが、セイヤーの人付き合いを難しくしているのだが、初見のプロシアに分かるはずもなかった。


「だが、女だろうと君のやっていることは容赦出来ない」


「ほぅ、どうするってんだ」


 プロシアは短刀に「気」を張った。


 その「気」によって、短い刀身には「目に見えない気力の刃」が追加され、ショートソード並の長さと、岩石でも鋭利に寸断してしまう切れ味を帯びる。


「大人しく捕まって罪を償うんだ、お嬢さん」


 セイヤーは杖を掲げる。


 プロシアはこれまでに何度となく魔術師と戦ってきた。


 その経験が雄弁に語っているのは「魔術師相手なら最初の一撃を凌げば勝ち」ということだ。


 魔術師の無詠唱による攻撃は一瞬だ。それを止めるすべはないし、指向性を持った魔法攻撃を回避することも、まず不可能だろう。


 だが、多少の魔法攻撃は「気」で防げるし、魔術師に接近さえすれば肉弾戦でプロシアに勝てるはずもない。最初の一撃を防げれば、あとは接近したプロシアの蹂躙が始まるのだ。


「………」


 その最初の一撃を放つべく、セイヤーは魔力を漲らせた。











「!?」


 なんらかしらの違和感を覚えたルーフ・ワーカーは、サッと建物の影に隠れて足を止めた。


 注意深く辺りを観察する。


 人の気配がしないのはわかる。


 今はかなりの夜更けだ。普通なら床についていておかしくないし、まっとうな街であればこの時間に人のいない街中を彷徨っていたら衛兵に捕まるはずだ。


 違和感の正体は別にある。


 それが理解できたのは、偶然だった。


 建物の壁を這うように移動しているプロシア一家の殺し屋………それが一人、だらりと体の力が抜けたようになり、重力に逆らってゆっくりと落ちていくのを目の当たりにしたのだ。


 そして違和感の中身を理解した。一緒に移動していたはずの殺し屋たちの数が減っているのだ、と。


『………なんだ?』


 何が起きているのか理解できないルーフ・ワーカーは、路地から路地へと身を隠すようにして移動する。


 仲間を次々と行動不能にしている「なにか」の正体を突き止めるためだ。


 いた。


 男である自分ですら恍惚となってしまうような美男子が、建物の壁に足をつけて垂直に立ち、薄笑み浮かべながら手を動かしている。


 遠目ではよくわからないが、その手でされると殺し屋たちは力が抜けたようになり、に絡め取られ、地上に降ろされていくようだ。


 もしルーフ・ワーカーにとてつもない視力があれば、美男子………コイオスが【麻痺蜘蛛】を飛ばして殺し屋たちを一瞬で全身麻痺に陥れ、蜘蛛の糸で束縛して地上に降ろしているのだと気がついただろう。


 地上ではリザリアン族のトトが、上から降ろされた殺し屋たちをせっせと並べているのだが、それはルーフ・ワーカーの位置からは見えていない。


『ありゃ一体なんだ………魔術師? 奇術師? な、なんにしてもこのルートは不味い』


 以前のルーフ・ワーカーであれば手にした銃に絶大な自信があったので、射程距離まで近づいてぶっ放していただろう。だが、リザリアンの里で銃が通じなかったこともあり、臆病風に吹かれていた。


 それが功を奏したのか、ルーフ・ワーカーは旧神にして蜘蛛王の名を持つコイオスと対峙せずに済んだ。


 だが、路地裏を隠れながら進んでいくと、見たことがある人物が視界に入った。


『あれは………』


 それこそトラウマの元。


 リザリアンの里でルーフ・ワーカーたちを完膚なきままに叩き潰した大剣持ちの赤い鎧を着たおっさん────ジューンが待ち構えていたのだ。


 両手で柄尻を持ち、剣の切っ先を地面に突き立てて微動だにしないジューンは、かつてルーフ・ワーカーがなりそこねた「剣聖」だと言われても疑えないほどの気迫に満ちている。


 すでに何人もの殺し屋たちを斬り捨てられたのか、道の両脇に黒衣の男たちが積まれていた。


『なんであいつがここに!? じ、冗談じゃねぇ』


 ルーフ・ワーカーはジューンに気付かれないよう、細心の注意を払って移動した。


 息を殺し、服の擦れる音も殺し、心臓の鼓動も止めるような覚悟で、そのルートから外れる。


 逃げるという選択肢はない。


 御頭であるプロシア自らによって救出されたのだ。ここで活躍しないと殺される。


 それに衛兵の詰所はもう少し先だ。


 ルーフ・ワーカーは大きく迂回し、ジューンと出くわさないように衛兵詰所の裏手から回った。


「あー、こっちに来ちゃったかぁ」


 金色の軽鎧に身を包んだ小男は、耳の穴を小指の先でホジホジと掃除しながら愚痴た。


「てめぇは………」


 ルーフ・ワーカーはこの小男も覚えている。どういう能力があるのかわからないが、とにかく強そうな小男だ。


「あ、お前! 滝でめちゃくちゃやってた冒険者じゃないか!」


 その小男────コウガは目をしかめ、から託された二刀流用のショートソードを抜刀した。


 半魔族にして天位の剣聖ソードマスターガーベルドに託されたその二刀は、セイヤーのオリハルコンの杖リンガーミンの宝珠と同じく、オリハルコンで作られている。


 それは剣術のド素人であるコウガが振り回したとしても、相手の剣を豆腐のように切り落としてしまうスグレモノだ。忍者の家系であろうとなんの鍛錬も積んでいないコウガには、手に余る代物ではある。


『こいつなら………れる』


 ルーフ・ワーカーはコウガの剣の使い方を見て「素人」と判断し、銃を構えた。


 これでも剣聖の座を競った男だ。剣の間合いは熟知している。


 その遥か外から致死に至る一撃を加える武器は、この手にある。何の問題もない。


「あの時の怨みだ。死ねよオッサン!」


 ルーフ・ワーカーは銃の引き金を引いた。

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