第6話 おっさんたちが寝てる間に。

 その夜。


 おっさんたちは湖の畔にあるコテージで豪快に熟睡していた。


 まずジューンのイビキ。これは振動を感じるほどで、低い地鳴りのようにコテージの中に響きわたるイビキだった。


 しかも一定のリズムではなく「ゴゴゴゴ、ゴゴ、ゴ………ゴゴゴコ」と不規則すぎて、一度気になってしまうと、もう眠れなくなる。


 神気に当てられて昏倒していたトトは気絶から熟睡にモードを切り替え、こちらも酷いイビキを発している。しかも人間では不可能なのではないかと思われる「鼻ちょうちん」を作っている。


 セイヤーはイビキこそしていないが、代わりに神経を逆なでする歯ぎしりが凄まじい。歯が削れて折れるんじゃないかと思うほどキリキリキリキリキリキリと音を立てている。


 コウガは一番ひどい。寝言がうるさいのだ。


「だから僕が言ったのはナスビだって! キュウリじゃなくて! 懸賞生活だからね!」


 むにゃむにゃくらいの寝言なら許せようが、ここまでしっかり声を張り上げられたらたまったものではない。


「なんだこの拷問は」


 コイオスは耳を抑え、一同を睨みつけた。


 旧神なので人間のように睡眠を必要としないのに、一緒にコテージに入れられたのが運の尽き。長い長い年月、地底に一人で封印されていたコイオスには「他人の生み出す騒音」に耐性がなかった。


 いや、旧神でなくとも、この状況は耳障りが過ぎるだろう。


 コイオスはコテージの中にいることを諦め、夜風にあたろうと外に出る。


 中からは「グオオオ」とか「キリキリキリキリ」とか音がするが、扉と窓を閉めたら幾分かはマシになった。


 砂漠の放射冷却で夜は多少冷える。窓や扉を閉めていても室内熱中症にはならないだろう。


 テラスの椅子に腰掛けたコイオスは、久方ぶりの夜気を浴びて心地よさそうに目を細める。


「星を見るのはいつぶりか………夜はいつも美しい」


 ナルシストの極みのようなセリフをこぼした時、視界の端で何かが動いた。


 隣のコテージから複数の人間が出てくる。


 そこは「月夜の子猫商隊」の面々が泊まっているが、出てきたのは商隊の面々ではない。破落戸ごろつきだ。


 それに濃厚な血の匂いが夜気に混じっている。


 隣から出てきた破落戸ごろつきたちは8人いる。


 中央の破落戸たちは、簀巻きにして猿轡さるぐつわを噛ませたリリイを神輿のように担いでいた。


「ちっ」


 コイオスはコテージの中で爆睡しているおっさんたちを叩き起こそうかと思ったが、そんな暇はなさそうだった。


「勇者共め。これは貸しだぞ」


 コイオスは椅子から立ち上がり、トンと床を蹴った。


 その軽い動作だけで破落戸たちの真正面まで跳躍し、着地する。


「!」


 いきなり頭上から現れた美男子を見て、破落戸たちは一瞬行動することを忘れた。


「なにをしている」


 コイオスが首をかしげると、思い出したように動き出す。


 8人のうち3人がコイオスの前に立ち、武器を取り出した。


「ふっ、この私に武器を向けるか」


 コイオスは薄く笑う。


 その笑みは夜の月明かりに照らされ、妖艶に美しさを増す。


 だが、美しい男の背中に八肢の蜘蛛のような不気味な脚が現れた時、対峙した男たちはゾッとした。


 不気味さにゾッとしたのではない。その汚らわしくも思える蜘蛛の足ですら、この美男子の背中に生えていると言うだけで、神々しく見えてしまったからだ。


「私はコイオス。神世で蜘蛛王と呼ばれていたこの旧神に、不敬にも武器を向けた罪を………」


 男たちは無言で切りかかってきた。


「最近の人間は最後まで話を聞かんのか」


 コイオスに斬りかかってきた一人がキュッという小さな声を出し、武器を落として首元をかきむしる。


 他の者の目にはなにも映らないだろうが、その首元にはいつの間にか細い蜘蛛の糸が絡まっていた。


「世界創生の炎の中で鍛えた【地獄蜘蛛】の糸だ。決して切れぬぞ」


 首を絞められた男を助けるでもなく、男たちはコイオスに斬りかかる。


 だが、さらにもう一人はクケッ!と声を上げ、変な角度に五体を曲げてカクカクと動いた。しかも宙に浮いている。


「見よ」


 コイオスは指を夜空に向ける。


「夜の帳に潜ませた私の【空蜘蛛】が作った糸だ」


 夜空の上から、月明かりに照らされた太い糸が男に絡んでいた。それはまるで人形を操る糸のように、男をカクカクと動かしてその自由を奪い取っていた。


「!!」


 残った男はコイオスに短刀を突き立てた。


 その切っ先は、いとも簡単にコイオスの身体を貫いて背中まで刃は貫通した。


「私を貫いたつもりか?」


「!?」


「違うぞ。私がその刃に貫かれてやったのだ」


 コイオスは口元から垂れた血潮を指先で拭い、ピッと男の顔に弾いた。


「!」


 男の頬についた血の一滴。それは猛烈に熱く感じた。


「私の血の中には人間の目ではわからないほど小さな蜘蛛の子が混じっている。それは人の肉を好む」


 男はコイオスに突き刺さった剣から手を離し、悲鳴を上げながら顔を掻きむしった。


 血が、いや、血の中にいる極微細な蜘蛛が、その顔の皮膚を食い破り、肉を食い、どんどん体内に向かっていく。


 その数は夥しく増えていき、男はものの数秒で骨格標本のようになり、その骨ですら空中に消えていくように小さな蜘蛛の餌食となった。


 コイオスは身体に突き刺さった短刀を抜く。


 その傷口からは血が一滴もこぼれず、傷口も糸のようなものですぐに塞がれてしまった。


 首を絞められた男と操り人形にされた男は、それを見て顔面蒼白になっている。


 こうしている間にリリイは他の男達に運ばれて、どんどん遠くなっていく。


「そろそろ追うとしようか。お前たちは────逝ね」


 コイオスは指先をクイッと動かした。


 その一動作で一人の男の首が落ち、もう一人の男は全身輪切りになって肉片をぼとぼと地面に落とした。


 蜘蛛王コイオス。


 彼にとって人間とは、自分たちの姿に似せて作られた泥人形にも等しい。だから、人が路傍の虫を踏むのと同じく、なんの感慨もなく殺して捨てる。


「封印から逃れたその日のうちに、これほど楽しいことが連続して起きようとはな。勇者どもに感謝しておこう」


 細く引き締まり逞しい腕を夜空に掲げると、どこからともなく糸が伸び、が、そのまま引っ張られるようにしてコイオスは飛んだ。


 背にあるのは翼ではなく蜘蛛の八肢だが、夜空を振り子のように飛ぶその姿は、まるで夜が人の形になったような、美影身だった。






「なんだあいつは。あんなのが一緒にいるなんて聞いてないぞ!?」


「黙れ。聞いていようがいまいがの指示は絶対だ! 早くしないとさっきのやつが来るぞ!」


「バカな。向かっていったプロシア一家は闇ギルド随一の腕前────」


 その破落戸たちの目の前にコイオスがゆっくり舞い降りてくる。


 美影身が纏う純白のトゥニカは夜の闇に混ざる。


 まるで白い絵の具を黒い水にゆっくり溶かしたような、幻想的で、幻覚的に、幻像的な………天使が舞い降りるとしたらこういう感じなんだろうかと思わせる一瞬に、破落戸たちは再び時を止めてしまった。


 ………だが、その背にある禍々しい蜘蛛の八肢が、その美しい男を天の使いとは思わせない。


 美しすぎるのだ。


 これほど心の臓を鷲掴みにする美しさが、天使であるはずがない。


「────悪魔だ」


 破落戸の誰ともなく呟いた言葉に、コイオスは憮然とした。


「旧神だ」


 男たちの首がほぼ同時に地面に落ち、簀巻きにされたリリイはコイオスに抱きかかえられていた。


 鋭い糸鋸のような蜘蛛糸で猿轡を切ると、リリイは目を真っ赤にしてボロボロと涙を溢れさせながら悲鳴のような言葉を生んだ。


「あたいの仲間が! 皆殺しに!!」


「そうはなっていないようだぞ」


 コイオスは簀巻きも切り裂いてリリイを立たせると、元いたコテージの方を指差す。


 月夜の子猫商隊が使っていたコテージから、とてもあたたかい、見ているだけで心が安らぐような光が漏れている。


「ふっ、やっと起きてきたか、間抜けどもめ」


 コイオスは薄く笑いながら「あれはセイヤーという男が使っている蘇生魔法の光だ。安心するがいい」とリリイに優しく語りかけた。


「そ、蘇生魔法!? そんな伝説の魔法が!? と、とにかく行ってくる!」


 リリイはコイオスの返答も待たずコテージに向かって走り出した。


 形の良い巻きスカート越しの尻肉を揺らしながらリリイが走り去るのを見送ったコイオスは、足元の死体が仄かに光りだすのを見た。


「む?」


 今し方コイオスが首を切り飛ばした破落戸たちの身体は、白く暖かい光に包まれ、まるで光の繭の中にいるようになった。


「悪党にも慈悲を与えるとは甘いことよ。だが、嫌いではないぞ」


 蘇生され、何が起きたのかわからず呆然としている破落戸たちの身体に蜘蛛の糸が巻き付く。


「運が良かったな。貴様たちは生かされた。だが、これから死んだほうがマシだと思える拷問を受けることになる」


 コイオスは一人の破落戸を真正面に据えて冷たく言う。


「なぜあの女をさらった?」


「………」


「ふっ………これは私の子の中でも賢い蜘蛛でな。頭の中に入り込んで実に素直にしてくれる。【脳蜘蛛】という」


 コイオスは手を広げた。いつのまにかそこには小指の先程の虹色の蜘蛛がいて、破落戸に挨拶するかのように片足を上げている。


「なにをされても言えねぇ。殺せ!」


「では」


 ひょいと虹色の蜘蛛を投げると、それはひょいひょーいと破落戸の耳の中に入っていった。


「ひっ………ひゅふ! ひゃああばばばばばば!」


 男の目が四方八方に動き回り、猛烈に身体が痙攣する。


「答えろ。なぜあの女をさらった?」


「闇ギルドの命令」


「その『闇ギルド』とはなんだ?」


「暗殺、誘拐、強盗………法に触れる仕事を請け負うギルド。報酬は高い。冒険者の中には闇ギルドにも加入している奴らも多くいる」


「請け負うということは、誰かがあの女をさらうように闇ギルドとやらに依頼した、ということか」


「そうだ」


「誰だ」


「それを知るのは闇ギルドのみ。俺たちは仕事の内容と報酬しか知らない」


「ふむ………その闇ギルドはどこにある」


「鴨鍋の薬草亭の地下にある」


「ご苦労だった。戻れ」


 虹色の蜘蛛が鼻の中から出てきて、ひょーいとコイオスの方に戻っていく。


「て、てめぇ、べらべらと喋りやがって! 俺たちまで闇ギルドに命取られちまうだろうが!!」


「お、おれじゃねぇ!」


 破落戸たちは縛られて指一本動かせない状態だが、それでも喧嘩を始めた。


「うるさい」


 コイオスは男たちの口も糸で封じた。











 翌朝、リアムノエルの町の衛兵たちは、夜中に運ばれてきた『闇ギルド』の破落戸共を町外の砂漠に全裸で縛り付けた。


 闇ギルドに関わったら死罪。


 それはこの世界のどこの国でも共通している罪と罰なのだ。


 そこまでの暑さはないとは言え、朝から45度近い砂漠の直射日光と砂からの照り返しは、破落戸たちの皮膚をすぐに焼け爛れさせた。


「せっかく生き返ったのに、結局殺すのか。人間は無駄なことをする」


 誰もいなくなった刑場に現れたコイオスは、つまらなそうにつぶやいた。


「旦那、殺してくれ。あんたのように美しいお方に殺されるんなら本望だ」


 縛り付けられた破落戸の一人が涙を流しながら懇願するが、その涙の筋もすぐに乾いてしまった。


「これは私の裁きではない。貴様たち人間の裁きだ。それに……生きていればいいことがあるかもしれんぞ────ほら、いいことがこっちに来る」


 おっさん三人とリリイがこちらに向かってくる。


「結果的に誰も死んでいないし、闇ギルドのことを聞くためにも刑の軽減を嘆願しに来たのだろう。甘い連中だ。しかし………ふっ、悪くない」


 コイオスは薄く笑った。

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