第3話 おっさんたちと這い寄る地の影。

 月夜の子猫商隊キャラバンの護衛を引き受けたおっさんたちは、怪我した馬をセイヤーの魔法で治癒したり、商隊の面々にセイヤーの亜空間から取り出した水や食料を分け与えたり、砂地で移動速度が落ちるのをセイヤーの魔法で整地したり………。


「私の魔力には限界があると言ってるだろう!」


 セイヤーが怒り出した。


 特に整地魔法は、ディレ帝国の帝都をがっつり作り変えたり、シュートリアの町改め永世中立の都市国家『仲の国』の街作りに使ったトンデモ魔法の一つだ。


 馬車が通れるだけの細い道を作り出しただが、それでもセイヤーの魔力は完全に枯渇した。


 無論、一般の魔術師にできる芸当ではないので、月夜の子猫商隊のリリイたちは、目の前にできた舗装された道に唖然となっていた。


「あ、あのさ。あたいらの支払うお金のことわかってる? 治癒魔法一回でも結構なお金を払うべきことなんだけど……」


 この世界の常識で、治癒魔法の対価は高額だ。


 使い手が限られているせいもあって、一回の治癒魔法で金貨一枚(10万円)は当たり前である。


 水と食料はそれほど高価ではないが、砂漠のど真ん中という条件下においては高額になる。


 そして道………これはいくら対価が必要なのかリリイには見当もつかない。


 人の手でこの道を作る場合、材料費や人件費と施工期間などを考慮すると、国庫を直撃してもおかしくない大金が必要になるだろう。


「サービスだ。が、私はもう働かないぞ」


 セイヤーは何もしていない仲間たちを睨みつけながら言った。


 こうして、一行は舗装された道の上をスイスイ進むことになった────だが、道は3キロくらいで途切れていた。


「え、セイヤー。道がすごく中途半端なところで終わってるぞ?」


 ジューンは荷台から後ろの馬車に声を掛ける。


「もう、魔力がない!」


 セイヤーは御者台に顔を出して叫び返した。


「え……えっと。普通魔力切れを起こしたら気絶しちゃうし、何日も昏睡するはずだけど……あ、ごめん。あたい、余計なことを言ったかな」


 ジューンと同じ馬車に乗るリリイはおどおどしていた。


「普通ならそうなるだろうが、俺たちはちょっと普通じゃないんだ」


 リリイにジューンは愛想笑いする。


 なんせこのおっさんたちは勇者なので、通常の魔力切れで起きるであろう身体異常にならないのだ。


 だが、セイヤーに魔力がないというのは本当だ。まったくの空っぽから完全回復させるにはを要する。


「い、いやぁ、普通は数日かかると思うんだけど………」


 リリイは言いながら、このおっさんたちが普通ではないと感じていた。


 まず、突然砂塵を巻き上げて現れたジューン。


 何がどうなったのかわからないが、瞬きする間もなくサンドスコーピオンの群れが瞬殺されていた。


 セイヤーの魔法のすごさは今見たとおりだ。


 多分小柄なおっさん────コウガものだろう。


「そうだ。ジューンが道を作ればいい。その無駄に有り余っている魔力を使う時がきたぞ」


 セイヤーは後ろの馬車から適当なことを言い出した。


「どうすればいい?」


 案外ジューンは乗る気である。


「君は『うがいするための水を出す魔法』と『風呂上がりの体を冷やす風』を使えたな?」


 それはリリイでも知っている初期の初期に覚える属性魔法だ。


「ああ」


「それを同時にやって、氷の道を作ったらどうだ」


「なるほど」


 なるほど、ではない。


 横で聞いていたリリイは『何言ってんだ、このおっさんたち』と唖然としている。


『うがいするための水を出す魔法』とはコップ一杯の水を生成する魔法だし、『風呂上がりの体を冷やす風』はただのそよ風だ。そんな生活魔法で一体何をするつもりだろうか。


 一行は馬車を止めた。


 ジューンたちとトト、そしてリリイが馬車から降り、一行の先頭に立ち、道を見る。


「同時に使ったことはないが………」


 ジューンはアホのように莫大な魔力を顕現させる。


 その魔力の凄まじさたるや、幌馬車を引いていた馬たちは即気絶し、商隊の面々も生命の危機を感じ、失禁したり泡を吹いて倒れだす。


 ジューンの近くにいたリリイが無事だったのは、セイヤーが残り僅かな魔力でバリアを張ってくれたからだ。


「こうかな?」


 ジューンが手を伸ばす。


 それだけの仕草で、目の前に氷の道が遙か先まで出来上がった。


 砂漠の乾いた空気がひんやりと潤うのを感じ、太陽の光を反射してキラキラ輝く氷の大地を見て、リリイは夢でも見ているのではないかと自分の頬をつねった。


 トトは少しこのおっさんたちの非常識さになれたのか「おー、すごい」と拍手している。


 後に「砂漠の永久氷道」という矛盾の極みみたいな地名が付く世界七不思議の一つが誕生した瞬間である。


「うーん。俺の魔法の力もやっぱり弱くなってるな。イメージしたのは視界全部アイススケート場みたいになる感じだったけど、なんだか一直線にしか作れなかった」


 ジューンは自分が成し遂げたトンデモな光景を前にしても、不満気だった。


「アイススケート場………ここの生態系を破壊するつもりか? 氷の道一つでも十分すぎるだろ。って、オアシスから少しずれてるぞ」


「オアシスを氷漬けにしないために少しずらした」


 そう言われ、セイヤーは、目頭を押さえている。


 ジューンの魔力はセイヤーの想像以上で、もし呪いで力が失われていなかったら「視界全部アイススケート場みたいになる感じ」が実現したかと思うと、恐ろしい限りだ。


「てかさ、これ、早く行かないと氷が溶けるんじゃない?」


 コウガは肌寒くなったのか腕を組んでプルプル震えていた。


「いや、溶けそうにない」


 セイヤーは地面を見ているが、この氷は鉄より硬そうだし、地熱や太陽光を浴びまくっているのに水滴一粒出ていない。氷自体が魔力を帯びて冷気を発し続けているようだ。


「考えなしに氷の道を作ってしまったが、馬が氷の上を走れるように蹄に細工して、ああ、馬車の車輪もスタッドレスにしないといけないな………」


 思いつきをジューンにやらせた責任を感じているのか、セイヤーは仕方なさそうに言った。


「リリイさん。すまないが私の魔力が少し回復するまで待っていてくれないか?」


「え、あ、ああ」


 もうよくわからない。


 今、ここにいるのは冒険者という次元の存在ではない。


 もちろん薄紫色の肌ではないから魔族でもないが、人間と言うにはあまりにも規格外だ。


 だから「このおっさんたちはきっと神の使いだ」とリリイは思うことにした。そう思うことで精神の安定を図ろうとしているのだ。











「ひゃっほー!」


 セイヤーの魔力回復待ちの間、コウガとトトは子供みたいに氷の道の上を滑っている。


 スケート靴じゃなくても氷の表面が鏡のようにツルツルなので、実によく滑るようだ。


 そうこうしている間に、僅かに魔力が回復したセイヤーは馬の蹄と馬車に、氷の上でも走れる細工を始めた。


 神の如き創造魔法は、呪いのせいで「今まで作ったことのあるもの」に限られてしまったが、それでも街作りをした実績があるのでほとんどのことはできる。


 セイヤーは馬車の軸受ベアリングがしょぼいのを見て、それを魔法で生成する。


 軸受とは名の通り、回転する相手部品に接し、荷重を受けて軸を支持する部品である。軸を正確かつ滑らかに回転させ、摩擦によるエネルギー損失や発熱を減少させる。


 日本は世界に誇るベアリング技術を持っていて、セイヤーはその分野にも投資していたので多少知識があった。


「軸の強度も頼りないな………」


 セイヤーは限りある魔力で馬車に細工を施していく。


「あいつ、意外に凝り性だな………プラモとか作らせたらすげぇ没頭しそうだ」


 ジューンは、セイヤーの手によってみるみる原型を失っていく馬車を見ながら苦笑している。


 馬車の周りで商隊の面々は口を開けたまま立ち尽くしているし、ジューンの横でもリリイが呆然としている。


 彼らからすると、自分たちの持ち物である馬車が改造されていくのを、黙って見るしかない状態だ。


 居た堪れず、ジューンはリリイに話題を振った。


「あの幌に書いてある黒猫は、昔の勇者が教えたのか?」


「………あ、ごめん。なんだって?」


 呆然としていたリリイは話半分しか聞いていなかった。


「いや、この黒猫のマーク。宅配便かな、と」


「それは私のじいちゃんが考えた商隊のマークさ。タクハイビンってなんだい?」


「すまん、なんでもない」


 世界が違っても類似することはあるもんだ、とジューンは口を閉ざした。


 そうこうしているうちに馬車は「馬車の形をした装甲車」になっていく。


「あう!?」

「うひゃっ!?」


 コウガとトトのの声がして、全員がそちらを見ると、氷の道の上で盛大にコケていた。


「いい年して、お前ら過ぎだろ」


 ジューンは苦笑し、そしてすぐに顔をひきつらせた。


 コウガとトトが倒れた所の氷の道と、周りの砂漠が徐々に隆起しているのだ。


「またなんか呼び込んだな!?」


 強運の勇者コウガ。


 強運とは不幸な目にあってもぎりぎり生き延びることを示す。つまりは、なんらかの不幸を呼び込む性質があるのだ。


「やば!」


 コウガとトトが慌てて飛び起き、一行の方に走るのと同時に氷の道の一部と砂漠が爆ぜた。地雷が吹っ飛んだ時のように地中からの爆発だ。


 砂塵が巻き上がる中、セイヤーは「私は魔力ないから、あとは頼むぞ」と冷静に言う。


「ちなみに、君らの装備を亜空間から取り出す魔力も残っていないから」


 愕然とセイヤーを見るジューンとコウガの背後で、砂があちこちで爆ぜ続けている。


『おのれ、我が家を氷漬けにしおって!!』


 どこからともなく頭にずんと響くような声がした。


 こんな声を聞いたことがあるおっさんたちは、顔をしかめた。これは堕天使アザゼルと同じような喋り方だ。


 ジューンはそれよりもっと前に似たような声を聞いたことがある気がしたが、思い出す余裕はなかった。


『おのれ。結界がなければ貴様たちを八つ裂きにしてくれるというのに!! どこだ! 当たれ!!』


「どうやら相手様は闇雲に地下から攻撃しているらしい」


 セイヤーはクイッと顎を動かした。


 行こう、という合図だ。


 おっさんたちは頷いて、ササッと改造された幌馬車に乗り込んだ。


 馬たちは爆発に怯えていたのか、出発の合図を送られると一目散に氷の道を走り出した。


 爆発が追いかけてくる。


 敵は地中から轍と蹄の音を頼りに攻撃してくるようだ。


『くっ、早い! 砂の上を馬で走っているのにどうしてそんなに早い!?』


 頭に響く声は焦っていた。


「なんだあれ。魔族か? 魔物か?」


 ジューンは「きっと違うな」と思いつつリリイに訪ねた。


「わからない……伝承ならあるけど、まさかそんな」


「伝承って?」


「この砂漠には、神話の時代に神様に敗れて封印された神がいるって話さ」


 旧神だとすればテミスのようなティターン十二神かもしれないし、堕天使の可能性もある。


「なんにしても今は関わらないことだな」


 セイヤーの冷静な判断に異を唱えるものはいなかった。

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