第2話 おっさんたちと月夜の子猫。

 月夜の子猫。


 それがこの商隊キャラバンの名前だ。


 隊長は女性で、名をリリイと言う。


 女だてらに商隊を率いているのは、この商隊は彼女の祖父の代から続いている大所帯で、誰からも彼女が跡目を継ぐと期待されていたからだ。


 彼女自身も、自分がこの商隊を率いてそれぞれの家族を養っていくんだ、と子供の頃からずっと思っていたので、イヤイヤやっているわけではない。


 この商隊の可愛らしい名前は、リリイが名付けたわけではない。祖父だ。


 小粒だがすばやく、愛嬌がある。そんな商隊にしたいという願いが込められているらしく、荷馬車の幌には黒い子猫のマークが描かれている。


 今回は、アップレチ王国「ファルヨシの町」から、砂漠のオアシス「リアムノエルの町」まで生鮮食料品や生活雑貨を運ぶ仕事だった。


 だとしたら、ここは正しいルートではない。


 砂漠の街道でサンドスコーピオンの群れに出くわしたのが運の尽きで、逃げ惑っていたら道を外れてこんな所を彷徨っているのだ。


 サンドスコーピオンは決して足が速い魔物ではないが、持久力としつこさが売りだ。一度狙った獲物は何日でも何百キロでも追いかけ続ける。


 こちらの商隊の8頭の馬は、もう限界だ。


 幌馬車は4台。馬も幌馬車も、この商隊にはなくてはならない商売道具で、一つ欠けただけで経営に響く。


 今、武器を手にできる仲間の数はリリイ含めて6人。だが、どの面子もサンドスコーピオンと戦えるほどの実力はない。


 サンドスコーピオンは大きい。両腕の先端にあるハサミだけでも2メートルはある。


 またこの魔物は、その巨大なハサミで人間をまっぷたつにできるほどの握力を持ち、変幻自在に襲いかかってくる尻尾は5メートルあり、その先端には毒針がある。


 その毒針は掠めただけでも毒が全身に回って麻痺状態になる。あとは生きたまま、意識もある中、貪り食われるだけだ。


 そしてやたらにサンドスコーピオンは硬い。


 通常のスコーピオンであればここまで硬くはない。蠍というのは一見すると甲殻類のように見えるが、実は蜘蛛に近い生物で、大して硬い外殻をしているわけではないのだ。


 だが、サンドスコーピオンは「魔物」だ。特異な存在である魔物は、生態系や進化過程を無視している。


 体内には「魔石」を有し、外殻は石のように硬い。


 蠍には感じられない「知性」も持ち合わせ、複数の仲間と連携を取り、徐々に商隊を追い詰めながらも、オアシスには行かせないようにルートをコントロールしている節もある。


 戦闘の素人に勝ち目はない。


 だから商隊は「冒険者」を雇うのが普通だが、残念なことに今回は雇えなかった。


 ファルヨシの町で冒険者ギルドの内紛が起きていて、とても通常営業できる状態ではなかったのだ。


「冒険者を雇えるまで商売を止めておくべきだった……」


 自分の代になってこんなヘマをしてしまったことにリリイは泣きそうだった。


「すまねぇ、みんな。あたいのせいで!」


「なにいってんだい、お嬢! あきらめちゃなんねぇ!」


「畜生め! この世に勇者がいるんなら俺たちも助けろってんだ!!」


 風が吹いた。


 いや、それは突風………爆発に近いものだった。


 砂塵が天高く舞い上がり、商隊の幌馬車はすべてバランスを崩して横倒しになる。


 リリイたちも砂の上に弾き出され、あとはサンドスコーピオンの餌食になるしかない状態だったが、悲鳴を上げながら肩を寄せあい、小さく固まった。


 だが、一向に砂漠の魔物たちは砂塵の中から出てこない。


「よいせっ!」


 横倒しになった幌馬車が何者かによって一台一台、ゆっくり起こされていく。


 まさか、魔族か。


 気まぐれな魔族が人助けをしてくれたのだろうか。だとしたら対価に何を差し出せばいいのか………。


 リリイは生唾を飲んだ。


 砂塵が収まると、見慣れない顔立ちをした中年の男が現れた。


 年齢に似つかわしくない真っ赤で派手な鎧と、自分の身長ほどもある大剣を肩に担いでいる。


 その男の背後に、サンドスコーピオンが山積みにされていた。


 どれもピクリとも動いていない。


「あ、あの」


 リリイはおずおず話しかけた。


「そのサンドスコーピオン、頂いてよろしいですか?」


 サンドスコーピオンの体内にある魔石はもちろん、硬い外殻は武具の原材料として高く取引されているのだ。


 商魂たくましいリリイの問いかけに、男────ジューンはにっこり笑った。











「あらためて礼を言わせとくれ。あたいはこの『月夜の子猫』の隊長でリリイってモンだ」


 リリイは浅黒く焼けた肌で、赤毛をエビの尻尾みたいな形に編み込んで後ろに束ねている。


 顔つきは、これまで見てきた「西洋美女」というより「中東美女」系だ。目は大きく、彫りが深い。


 体つきは華奢だが、これは引き締まった筋肉質だからであり、決して線が細いというわけではない。その証拠に胸にはそこそこのボリュームがあるし、巻きスカート越しにでもわかるヒップラインも見事だ。


『また女か』


 ジューンに合流したセイヤーとコウガは少し怪訝な顔をしている。


 トトが「あ、いつも里ではお世話になってます」と挨拶する。


 どうやら密林の中にいるリザリアン族とも商売をしているらしい。


「すまねぇ。あんたらリザリアンの顔ってあたいにゃ区別がつかなくってさ。どこのどなただい?」


「青の部族のトトです。覚えといてくださいよ、このつぶらな瞳とか」


「ああ! トト君かい。ギザさんは元気してるかい? 今度頼まれてた塩と味噌を持っていくからよろしく伝えとくれ」


「つぶらな瞳はスルーですか」


「すまねぇ。あんなことがあった後だ。冗談に付き合ってる余裕がねぇんだ」


「……冗談じゃなくて、このつぶらな……」


「はいはい、トト。もういいだろう」


 ジューンが止めに入る。


 人間から見たらリザリアン族は「猫目のオオトカゲ」なのに、よくわからないつぶらな瞳を自慢してどうしたいんだ、と呆れながらだ。


「俺達は砂漠のオアシスまで向かっている途中だが、一緒に行くかい? こう見えて冒険者なんだが」


「どう見ても冒険者だよ。もしくは天から舞い降りてきた軍神だ」


 リリイは屈託なく笑った。


「あたいらの商隊もそこに向かってる。リアムノエルの町ってんだが………助けてもらったのもなにかの縁だし、どうだい、あたいらに雇われてはくれないかい?」


「雇う? なにをすればいい?」


「町まで守ってくれたらいい。馬車は4台あるから、あんたらが一人一台ついてくれりゃ心強い」


「商談なら私が担当する」


 セイヤーが前に出る。


 ジューンも現実社会では営業マンだし、ビジネスに情を加えるようなタイプではない。だが、この異世界では、それまでの社会人生で我慢してきた「情」を全面に押し出してしまう傾向があるのは否めない。


 その点、天才経営者だったセイヤーに任せれば安心だ、とジューンは身を引く。


「私はセイヤーだ」


「あたいはリリイ。よろしくな」


「ああ。早速だが、依頼料について交渉したい」


「そうさね………こんな緊急事態だし、正直あんたらが受けてくれないとこの先リアムノエルの町までたどり着ける自信もない。多少色目は付けるけど、あたいらにも曲げられない矜持があるのは理解しとくれ」


「矜持とは?」


「あたいらは商売人だってことさ。余計な金は払えない」


「そういうことか。理解した。では現実的にいくら払って私達4人を雇う?」


「依頼内容はここから町までの護衛。なにもなくても一人大銀貨5枚支払う。何かあったら1回の戦闘ごとに追加で5枚。これは大盤振る舞いだとあたいは思ってる額だよ」


 大銀貨一枚が日本円で言う1万円に換算できる。


 オアシスまでの距離はさっき垂直飛行した時に判別しておいたが、ここからなら一日弱………真夜中には到着できるはずだ。


 つまり、一日で一人5万円もらえる仕事だ。


 普通の護衛任務で考えると1日1万円、つまり大銀貨1枚が相場だから、かなり破格の上乗せをしていることは間違いない。


 だが、おっさんたちはそこそこ金を持っている。欲しいのは現金ではなかった。


「雇う金額は相場通り大銀貨一枚でも構わない。その代り別のものを要求したい」


「………あたいの身体かい?」


 商隊の強面の男たちからゾワッと殺気が広がってくる。


 彼らからするとリリイは先々代の孫であり、先代の娘であり、自分たちの頭だ。そのリリイの「女」を求めようなんざ、絶対許さない、という意思が砂塵と共に吹き付けてくる。


「勘違いするな。私達が欲しいのは『味噌』だ」


「味噌?」


「今夜の晩酌で味噌をつつきながら一杯飲みたい」


 酒の肴を探求する男セイヤー。


「え、そんなもんでいいのかい? なんならさっきの提示額に味噌をつけてもいいんだけど」


「金が欲しくて人助けしているわけじゃない」


 セイヤーの一言に、商売人であるリリイは「へぇ」と驚いた顔をしていた。


「おいおい、商売上手な天才経営者がそれでいいのか」


 ジューンは目をしかめているが、口元は少し笑っていた。そういうことをするセイヤーのことが嫌いではないからだ。


「リリイ、その町に酒はあるか?」


 大枠の条件を決めたセイヤーと交代したジューンが尋ねる。


「あるとも。砂漠の花から作るラキアって酒が人気だね」


「蒸留酒かい?」


「詳しくはないが、そうだと思うよ」


「テキーラの可能性があるな。味噌でテキーラもオツなものだな」


 酒を探求する男ジューンの頬は緩んでいる。


 テキーラとは、ブルー・アガベと呼ばれる竜舌蘭りゅうぜつらんの一種から作られる。「テキーラってサボテンのお酒なんでしょ」と勘違いしている人も多いが、そうはでないのだ。


 テキーラの特徴は、度数の高さだ。


 アルコール度数は35〜55%もある。ワインが約10〜15%で日本酒でも約15%前後なので、相当アルコール度数は高い。


 ジューンが好きな飲み方は、まず喉を保護するためにライムをかじり、一気にテキーラを飲み、塩をなめる。この黄金の三角形でテキーラは最高の味になる。


 塩が味噌に変わっても美味そうな気がする。


 そう想像するだけで、ジューンはニヤけていた。


 ジューンだけではなくコウガも反応している。


 パリピにテキーラは必需品だ。


 コウガも若い頃はショットガン(テキーラボンバー)が好きだった。


 それはショットグラスにテキーラとジンジャエールを1:1の割合で注ぎ、手でふたをするように持ったら、テーブルに「バンッ!」とグラスを叩くようにして置く。叩くことによって一気に泡が吹き出してくるので、泡がこぼれないように勢いよく飲み干すというやつだ。


 九州で生活している頃は、佐世保の米軍海兵隊マリーナとショットガンバトルをやり、何人か潰した実績がある。身体が大きいほうが酒が強そうに見えるが、そこにコウガの秘策がある。


 ショットガンをやったら丸テーブルの周りを三回走って回る。そしてまたショットガンをする。それを何回できるか、というだがもちろん負けたほうが払うので必死だ。


 身体が大きい米兵はテーブルを周る時に不利ですぐに酔いつぶれるが、身体の小さな(そして忍者の遺伝子を持つ)コウガは最短コースをスッと回れるのでそれほど酔わずに済むのだ。


 セイヤーもテキーラベースのカクテルを思い出して頬が緩んでいた。


 飲み口に塩をつけたカクテルグラスに、シェイカーで混ぜたテキーラ、ホワイトキュラソー、レモンジュースを注いで完成する「マルガリータ」のさわやかな味わいが懐かしい。


 テキーラ、パイナップルジュース、ライムジュースを氷を入れたグラスに注ぎ、軽くかき混ぜた「マタドール」も悪くない。


 マタドールとはスペインの伝統競技「闘牛」の最後に登場して牛にとどめを刺す闘牛場の主役のことで、まさにとどめを刺すカクテルだ。


「ストローハット」もいい。テキーラとトマトジュース、少量のタバスコ。適度な酸味と甘みで飲みやすい。


 そんなカクテルをたくさん作り出せるテキーラは、100%竜舌蘭りゅうぜつらんを使用したもののなかでも、樽熟成の段階に応じた4種類のテキーラがある。


 熟成しないブランコ。


 最低60日間熟成したレポサド。


 最低1年間熟成したアネホ。


 最低3年間熟成したエキストラ・アネホ。


 砂漠のオアシスにどんなテキーラがあるのか楽しみになってきた。


「なぁ、この人達がさっきから譫言うわごとみたいに言ってる『テキーラ』ってなんだ」


 リリイはトトに訪ねたが、もちろん知るわけがなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る