第3話 おっさんたちと3つの呪い。

 「私が、いえ、私達がいるんだから問題ないわ! 国なんて知ったことじゃないし! 今までの全てを捨ててでも、私は勇者の嫁になるわ」


 女たちは全員頷いた。


『その言葉、本当だろうな』


 暗い声が全員の耳に響く。


 そして『止まり樹の猪亭』の食堂が、いや、ここにいる全員の視界が数段階暗くなるのを感じた。


 それはまるで、煌々と灯されていたろうそくが、いくつか同時に吹き消されたかのような感覚だ。


 三人のおっさんたちは顔をしかめた。


 ただ事ではない────そう思うや、予感は確定した。


 食堂の一角に墨で塗ったような漆黒の闇が広がり、そこから溢れる猛烈な気配に誰もが茫然となる。


「な、なんだこの気配は!!」


 女巨人のテミスが……旧神である彼女が叫ぶ。


 力の大半を失ったとは言え、女神であった彼女が今まで叫んだことなどない。いや、ジューンにスネをぶっ叩かれた時は叫んだが、それ以外には、ない。


「ば、ばかな。これは我が知る限り……いや、そんな……」


 ブラックドラゴンのジルも焦っている。


 他の連れは闇から溢れる気配に当てられた瞬間、気を失い倒れ伏した。


 耐えられているのはテミスとジル、そして三人のおっさんたちだけだ。


 闇は猛烈な気配と共に、おっさんたちにとっては唖然となる人物の、上半身だけを生み出した。


 その姿は────闇の勇者『鈴木・ドボルザーク・天美馬ペガサス


 義体化した未来から百年前やってきた西の勇者……その人工の体は耐久年齢を過ぎており、瀕死の魔王と共に自らの闇に飲まれ死んだと思っていた。


 だが、いまの闇の勇者は以前と違う。


 まるで流動体のスライムを体にまとわりつかせたかのようなその体は………その気配は………。


『戻ってきたぞ』


 鈴木・ドボルザーク・天美馬ペガサスの声に、明らかに違う声が混じっている。


 その声色はまだ記憶に新しい。


 悪魔………堕天使アザゼルだ。


 連れの女たちが作り出してしまった「何か」を媒介にこの世界に蘇った悪魔は、セイヤーが生み出した差異次元の牢獄に閉じ込めたはずだ。それがどうして闇の勇者と………。


「なにやってんだお前! 魔王の彼女はどうした。なんでそんなやつと一緒になってんだ!」


 ジューンの眉がふつふつと逆立っていく。


「すまない。私がアザゼルを封じるために作った作った差異次元は、もしかすると闇の勇者が作った空間と同じ所だったのかもしれない………やつら、同化している!」


 セイヤーは長い髪を荒々しく結ぶ。


 アザゼルが異空間に沈みきる時『なんだ!?』と言っていた理由はこれ………きっとアザゼルは闇の勇者と異空間の中で出会ったのだ。


「誰のミスでもないし、これから僕たちがやることは一つ! ぶっ潰す」


 コウガは指をバキバキと鳴らす。


 三人のおっさんがそれぞれのスタイルで本気を出すときの癖を醸し、亜空間から呼び出した戦闘武装を装着すると、下半身を闇に埋めたままで闇の勇者は薄く笑った。


『私は自分で作った闇の中で、彼女と静かに死ぬつもりだったさ。だが、貴様たちに負けて力の殆どを失った堕天使とその闇の中で巡り会えた。これは奇跡だろう? そして! 力のないお互いを同化することでここまでの力を得たぞ!!』


 猛烈な気配が三人と、テミス、ジルを襲う。


 これは「殺気」と言い変えればいいだろうか。


 他の女たち同様に、女神と竜でさえ白目を剥いて崩れ落ちるほどの殺気……なんでそれに耐えられているのか、おっさんたちも不思議だった。


『ふん、さすがは勇者。殺意の波動だけでは落ちぬか』


「おいテメェ。負け犬同士がくっついてなにするつもりか知らねぇが、俺の仲間になにやってくれてんだ」


 ジューンがいつもより毒の強い言い方をする。倒れ伏した女たちを見てキレているのだ。こう見えて、一番硬派でフェミニストなのは間違いなくジューンなのだ。


『なにするつもりか? 決まってる! 貴様たちに復讐するつもりだ! ────アザゼル!』


 闇の勇者の声に反応し、その体にまとわりついていた「何か」が突起物のように迫り上がってくる。


 闇の勇者の左肩に生えたそれは、堕天使アザゼルの顔だった。


 しかし、その顔に意志の力は感じない。まるで抜け殻のうつろな顔だ。


『くくく。その魂の殆どを奪い取られた堕天使には、この世界に存在する力も残っていなかった。だが、貴様たちを呪うには十分な力があったぞ……ふふふ、ふははははは!!』


 闇の勇者が勝利を得たかのように笑い出す中、おっさんたちは妙な気分になっていた。


 なにか口の中に変な味がするような、言い得て妙な感覚が全身に広がっていく。


『くくく、百年間この世界を呪い続けてきた勇者である私と、天地開闢から神の世界を呪い続けてきたアザゼルの複合呪だ! いかに貴様たちであってもこれを解くことは出来まい!』


「私達になにをした」


 セイヤーは自身の違和感に敏感だった。


 魔法がうまく作れない。更に、無限に魔力を供給できるはずが、急激に枯渇するのを感じる。


 ジューンも急に大剣が重く感じてギョッとした。着込んでいる真紅の衣もめちゃくちゃ重い。


 コウガだけは「なんかあった?」と苦々しい顔で尋ねる。


 強運という要素が減ったと肌で感じるのは難しいようだ。


 なんにしても、三人とも「勇者としての様々な能力」が損なわれたと感じた。


『3つだ。貴様たちの人数と同じ、3つの呪いをかけたぞ! ははははは!』


 闇の勇者「鈴木・ドボルザーク・天美馬ペガサス」は指を三本立てて笑った。


『1つは勇者の力を奪う呪いだ! すべては奪えないが、かなり奪ってやった!』


 満面の笑みを浮かべる闇の勇者に対し、おっさんたちは「ふーん」という顔をしている。






 ジューン

「………なんだあいつ。すげぇ嬉しそうだな。キモい」


 セイヤー

「確かになにかいろいろと力がなくなった気はするが、それでもこの世界では十分すぎるほど強いと思うぞ」


 コウガ

「ま、勇者の力奪われても、死ぬわけじゃないのなら、別に」






『な………なんだと………ふ、ふん。強がりを言うな! ならぱ2つ目の呪いを聞いて絶望するがいい!!』






 ジューン

「あいつちょっと焦ってるぞ」


 セイヤー

「この程度のことで私達が動じるとでも思っていたのか。案外可愛い未来人だな」


 コウガ

「元の世界の僕たちからすると、今の僕たちはスーパーマンだしねぇ。多少力がなくなっても、逆に暮らしやすくなるんじゃない?」






『う、うるさい! 黙って聞け!』


「「「 へーい 」」」


 おっさんは基本的に不真面目だ。


 特にこういう緊迫した場面では、わざとでも冗談を言いたくなる性分なのが、おっさんという生き物なのだ。


『2つ目の呪いで、そこに倒れる女たちから貴様たちの記憶を消した! これがどういうことかわかるか!?』


「記憶が消えたんだろうな」


 ジューンは別にボケたつもりもなく普通に答えていた。


『まんまかよ! いいか! 勇者特性の『魅了』も弱まっている今、一切お前たちのことを覚えていないこの女たちと、もう一度結ばれることはないということだ!』


「………」

「………」

「………」


 おっさんたちは顔を見合わせる。


『どうだ! 貴様らと添い遂げると言っていた女たちが、そのことすら覚えていないのは悲しいだろう! 苦痛だろう! 貴様たちも何を捨ててでも女を助ける(キリッ!)と言っていたのになぁ……くくく、くはははは! 助けるべき女たちに忘れ去られ、絶望しろ!』






 ジューン

「まぁ、俺たちのようなおっさんと結ばれなくても、彼女たちが幸せならいいんだが」


 セイヤー

「そもそも、私達が来なかったら、この世界で誰かと結ばれていたわけだし」


 コウガ

「そうだねぇ。何を捨ててでも助けるって言ったかも知れないけどさぁ。僕たちのことを忘れただけなら、なにもデメリットないから助ける必要がなくない?」






『お前ら達観しすぎだろうが!!!』


 闇の勇者が吠える。


「いいから3つ目を言えよ。言った瞬間ぶっ倒すけど」


 ジューンは重くなった大剣を肩に載せた。


 勇者特性の殆どを失ったと言われた通り、ジューンの体感では全力で動いても元の数万分の一くらいしか実力は出せないと分かる。


 だが、それでもちまたにいる人間の誰よりも強いということは分かるし、魔族でもジューンに勝てるとは思えない。さらに言うと今の「闇の中に半分埋まっている闇の勇者」なら余裕で勝てると踏んでいる。


『いいだろう………3つ目の呪いは聞くより早いぞ』


 三人の視界が「ぐにゃり」と歪む。


 歪んだ空間は『止まり樹の猪亭』の食堂にはない色味を混ぜ始め、1秒足らずで全く違う光景に塗り替えた。


「………」

「………」

「………」


 おっさんたちは無言で同じことを思った────知らないところに転移させられた、と。


 闇に半分埋まった闇の勇者が高笑いする。


 今し方まで夜だったのに、ここは昼。


 だが、日差しは鬱蒼とした頭上の木々に遮られてほとんど差し込んでこない。


 聞こえるのは「キキキ、クワックワックワッ、キー! クワクワッ!」という動物の鳴き声。むわっとする亜熱帯特有の湿気が、おっさんたちの体からドッと汗を流させる。


『私とアザゼルの最後の呪いは、貴様たちを人類未踏の地に吹き飛ばしてしまうことだ! ははははははは!!』


 闇の勇者は高笑いを突然やめ、低い声で言葉を紡ぐ。


『本当なら私達と同じような差異次元に送りたかったが、さすがにそこまでの呪いは作れなかった。だが、早く女たちのところに行きたくてもそれは叶うまい! むしろ何年、何十年かかるとも知れない旅路だ! ざまぁないな! マジまんじだろ! ははははは!!』


「で────ここがどこのまんじか知らんが、お前もここにいるってのは、どういうことだ?」


 ジューンは大剣を闇の勇者に突きつけた。


『!?』


「まさかお前も【一応は勇者だから】ってことで、俺達と同じ呪いに巻き込まれたなんて言うなよ?」


『そ、そんな……え、マジ卍ぇ……』


 愕然とする闇の勇者の顔面を、ジューンは大剣の柄尻で思い切りぶん殴った。


 闇の勇者は「ごふぁっ!」と苦しそうな声を上げながら、自分の闇の中に埋もれていく。


『うわあああ、勇者の力が弱まってブラックホールから出られなくなっ………うわ、うわああああ』


「私は今、これ以上ない自業自得を目の当たりにしている」


 セイヤーは感心したように、埋もれていく闇の勇者を眺めていた。


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