第17話 おっさんたちの本当の力。
自称を「僕」と言う幸運の勇者コウガは怒りのあまりに握った拳をポキポキと鳴らし、二刀のショートソードを構えた。
右手は普通に持ち、左手の方は逆手に持つ。
天位の剣聖ガーベルドに託されたそれは、コウガの気合に呼応するかのように、夜空の星々をオリハルコンの刀身に映し、まばゆく輝いた。
自称を「俺」と言う努力の勇者ジューンは、怒りのボルテージが上がりすぎて怒髪天を衝くかのようにピンとはねた自分の眉を撫でつけ、一呼吸置いて
「見えないもの」であれば他人の概念ですら吸収してしまうその魔剣は、夜の帳をも吸い込みそうな太い刀身に刻まれた、奇妙な文字のような紋様部分だけを怪しく輝かせた。
自称を「私」と言う天才の勇者セイヤーは長い髪を紐で結び、
おっさんのポニーテールは実に気持ち悪いが、この男だけはまるで凛とした剣士のような、もしくは律とした学者のような、そんな佇まいを見せ、手にした杖がまるで
握った拳をポキポキと鳴らしたり、自分の眉を撫でつけたり、長い髪を紐で結び直したり………これらは、実にわかりにくいが、このおっさんたちの癖である。
おっさんはなかなか本気にならない。基本適当である。
この三人ですら、元いた日本では
「その品はとても良いよ。俺は持ってないけど」
「あなたは美人だ。本当かどうか分からないが」
「僕は寝ている時は、真面目だよ」
と言っていたくらい、普段が適当である。
パリピで適当そうに見えるコウガはともかくとして、真面目で実直そうに見えるジューンや、堅物に見えるセイヤーですら適当なのだから、おっさんという生き物は「適当になってしまう」ものなのだろう。
だが、そんなおっさん達でもやる時はやる。
その「やる気」を出すときの一種の引き金が、今見せたちょっとした癖なのだ。
つまり────闇の勇者はこのおっさんたちを本気にさせた。
もしこの世界に神がいるとして。その神がこの場面を見ていたのなら、こう言うだろう
「あーあ。勇者歴代最強の
それらの名前には、セイヤーの鑑定魔法でも読み取れない「神のみぞ知る」特性が秘められているのだ。
おっさんたちは、ジューンが反復練習をやり続けた結果、とんでもない能力を身に着けたと思っているが、本当は若干違う。
セイヤーですら読み解けない本当の力………それはほんの少しの努力でも尋常ならざる結果になるというものなのだ。
例えば────腕立て伏せを一回やって得られる筋力などたかが知れているものだが、
例えば────剣を一振りしたところで素人は素人のままだが、
例えば────RPGで言えばスライム一匹1経験値のところを、この勇者特性があれば1万経験値もらえてしまうようなものだ。
これはいわば、究極の「成長チート」のような特性である。
だが、普通の人間であれば早い段階でそれに気がついて「努力する無駄」を覚え、ちょっとの努力で絶大な力を振るえる自分を知るだろう。しかし神ですら「あちゃー」と顔を背けたであろうことに、ジューンは元来から努力の人であった。しかも「バカ」がつくほどに。
ジューンは、この特性がある以上、しなくてもいい反復練習を、飽きもせず寝る間も惜しんでやり続けた。
その結果、
そう────ジューンは厳密に言えば、努力した結果とんでもない力を得る勇者なのではなく「僅かな努力でもとんでもない力を得る勇者なのに、アホみたいに練習したせいでありえない力を持ってしまった勇者」と言うべきなのだ。
自分自身を鑑定できないこの世界の法則のせいで、実は自分のことはよくわかっていないのだ。
しかしセイヤーもジューンと同じように「異常」だった。
世界改変レベルの魔法を作り出したとしても、この世界の生き物は、それを実行するための魔力を貯蓄できない。それがこの世の理であり「安全装置」のようなものだった。
だが、セイヤーは「無尽蔵に魔力を得る魔法」という、矛盾の極みを限界突破してしまった魔法を生み出した。大気や空間にある人の認知していない魔力を操作して、如何様にでも魔力を得るという魔法だ。
これはこの世界の「安全装置」が泣きながら逃げていくレベルの一大事だ。
なんせ無尽蔵に魔力を持つということは、魔法の限界点もない。
実のところを言うと、セイヤーが「異世界転移」の魔法を作り出しさえすれば、この三人のおっさんたちは即座に日本に戻れてしまう。
召喚者たちから「戻す方法がない」「召喚も百年に一度タイミングを見ないと出来ない」と言われていたので、それがこの世界の常識なんだと思いこんでいるだけなのだ。
他にも魔法の力でなんだってできる。
まさにそれは神と言っても過言ではないほどに何でも出来てしまう。まさに究極の「魔法チート」だ。
そう────セイヤーは厳密に言えば、どんな魔法でも使えるし魔法を創造できる勇者なのではなく「余計なことをひらめいてしまったせいで神になってしまった勇者」と言うべきだろう。
これはほぼ間違えではない。
だがおっさんたちはそれを単純な「幸運」だと思っている。
実は「強運」と「幸運」は異なるものだ。
強運とは「乗ってた飛行機が落ちて全員亡くなったとしても一人だけ無事に助かる」ような運。幸運は「そもそも落ちる飛行機に乗らずにすむ」運────つまり、強運を持つ者は苦労するし、不安定でひどいこともたくさんあるが、最後まで生き残る。そういう力なのだ。
カジノや宝くじで自分のために投資しても強運は動かない。幸運であれば大儲けするだろうが、強運の真価はそんなことで発揮されるものではなく、揉め事に巻き込まれた時、初めて発動するものなのだ。
コウガは他の二人と違い、本人にはなんの力もない。
ツインソードをかっこよく構えてはいるが、一般の剣士が見たら刃先の立っていないその構え方や、握りが強すぎて遊びのない柄の持ち方からして「素人」だとすぐに判別できるだろう。
だが、
この絶対とは、神の如き力を振るえるジューンや、神のごとくなんでも可能にしてしまうセイヤーであっても勝てないという意味だ。
幸運な者であればまずそういった「勝ち負けを決する場面」に追い込まれることもないが、コウガは勇者であるが故に、必ずそういう場面に追い込まれる。
そして、強運の末に勝つ。「絶対」に、だ。それはまさに「強運チート」と言うべきだろう。
そう────コウガは厳密に言えば、どんなに不運に襲われたとしても必ず生を掴む、つまりは必ず勝つ「なんだかんだで絶対に勝つ常勝の勇者」と言うべきなのだ。
その三人のおっさんに比べて鈴木・ドボルザーク・
濃縮した重力の坩堝を操って、
空間を重力で捻じ曲げることで、セイヤーの亜空間アイテムボックスみたいな使い方も出来るし、自分自身も影の中に入って別の影に瞬間転移もできる。
糸より細い影を張り巡らせて自分の身を守ったり、その振動から何キロ先でも偵察することだって出来る。
勇者特性としては、は三人のおっさんの曖昧な「成長チート」「魔法チート」「強運チート」などより、はっきりしていて、強い。
ちょっと努力して世界一の戦士となった程度のジューンだったら、重力で軽く押しつぶして殺せただろう────だが、しなくてもいい努力を重ね、常識の範疇外となったジューンを殺すことは不可能だ。
同じ理由で………セイヤーが単なる「強大な呪文を使う魔術師」であれば、あらゆる魔法を遮断する闇壁の前に為す術もなかっただろう────だが、「魔法を遮断する壁をも吹き飛ばせる魔法」といったものをすぐさま生み出し、この世の理すら書き換えるセイヤーを殺すことは不可能だ。
さらにコウガの強運力………最早これは理屈ではなく、なにをしても勝てない。
追い詰めることは出来る。攻撃も当てることが出来る────だが、それだけで、なにをしてもコウガに対しては致命傷にならず、気がついたら負けていることだろう。
稀代の化物と言うべき三人のおっさん勇者たちは、一斉に鈴木・ドボルザーク・
だが、おっさんたちの眼前に立ちふさがったのは闇の勇者ではなく、邪聖剣ニューロマンサーを構えた魔王アルラトゥだった。
「妾の男を殺させはせぬ!!」
魔王アルラトゥは大剣を横薙ぎに振り抜き、その刃は三人のおっさんたちを次々に薙ぎ払った。
「アルラトゥ、よせ、逃げろ! お前では無理だ!!」
悲痛な声を張り上げる鈴木・ドボルザーク・
そして、悲劇は幕を開けた。
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