第7話 おっさんたちは語りたい。

 魔王直下の四天王の一人と名乗った「アッシュヘッド」という女は、完全に意識を失っていた。


 絨毯の上でぐったりしている女を囲むようにしておっさんたちは難しい顔をしていた。


「魔族だよなぁ?」


 ジューンは女の背中を確認するが、この場にいない仲間である女魔族のエリゴスにはあった羽根やツノが、この女にはない。


 かと言って、人間かと問われたら答えに窮する。


 肌の質感は柔らかそうだが、僅かな燈台の光を受けて陶器のように輝いている。もちろん脂ぎっているわけではない。


 人の肌はこれほど輝かない。


 まるで幻想世界の絵画を見ているような、なんとも言えない存在だった。


「どれ」


 セイヤーが魔法で鑑定する。


「………妖精族の一種、らしい」


「「へぇー」」


 この世界には人間に近い異種族が多種存在している。


 同じ言語を使って意思疎通が出来て、社会通念を共有できる存在────元いた世界では人間は人間とだけできたことだが、ここでは人間に似て非なる者とそれができる。


 三人共「現代の日本人でよかった」と思うのは、そこだ。


 これがエンターテインメントのない時代だったり、日本のように幼い頃から漫画、アニメ、ゲーム、映画と頻繁にふれあえる国でなかった場合、きっと混乱していただろう。


 興味が無いことに関心がないというセイヤーですら、違和感少なくこの世界を受け入れられたのだから、日本のエンタメ教育も役に立つということだろう。


「妖精って羽が生えた小さいイメージだったのにな」


 ジューンは苦笑する。


「もっと鑑定を掘り下げよう………この女は妖精族の中でも邪妖精アンシーリーコートという部類らしい………ほぅ、アンシーリーコートか」


 言いながらセイヤーの顔がなにか『嫌なものを見た』と言わんばかりに歪んだ。


「知ってるのか?」


 ジューンには聞き覚えのない言葉だったが、セイヤーによると「アンシーリーコートとは、スコットランドにおける悪い妖精の総称で、良い妖精シーリーコートに対する存在だ」ということらしい。


 良い妖精シーリーコートを怒らせるようなことをすると手痛いしっぺ返しをされたりもするが、親切に接すれば基本的には善良な隣人である。


 だが、邪妖精アンシーリーコートに親切にしても、人間に対して好意的にはならない。そればかりか、故意に人間を傷つけ、ありとあらゆる方法で幸運をさらっていくらしい。


「へぇ。ファンタジーとか興味なさそうなのに、よく知ってたな」


 そう言うジューンは、多少なりともゲーム好きなのでファンタジーには惹かれるものがある。だが、興味のない人間からすると「ただの空想だ」と一蹴されることもよくわかっていた。


「いや……なぜSeelie Courtシーリーコートというのか謎だったから覚えていただけだ」


「え?」


「このCourtの意味がわからない」


 セイヤーは長い髪の毛を掻き上げるようにクシャクシャに頭を掻いた。


 まるで神経質な音楽家が、譜面に残す音符が気に入らなくて発狂寸前になっているような、そんな狂気的な掻き方だ。


「Seelieとは『親切で人間に対して意地悪でない妖精』のことを示しているのだが、Courtとは直訳すると裁判所という意味が大きい。ではなぜSeelie Courtシーリーコートが良い妖精という意味になる!? Seelieだけでいいんじゃないか? こういう得も言われぬ不文律が気持ち悪くて仕方ない!」


「ははは。世の中そんなもんばっかりだろ」


「もちろんわかっている。世界は矛盾で満ちているよ」


 スッと狂乱の天才は元の天才に戻った。


『天才と狂人は紙一重って言うが、まさにそれだな』


 ジューンから見たセイヤー評は「頭おかしい天才」に固まりつつあった。


「Courtって語源がラテン語の『集団』って意味だから、そっからきたんじゃない────てか、そんなこと、どうでもよくない?」


 飄々と口を挟み、セイヤーを愕然とさせた小さいおっさんコウガ。


 おっさんは見た目と裏腹に、様々な知識を積んでいるものなのである。


 そんなコウガは、気絶した邪妖精アンシーリーコートの頬をぷにぷにと突いた。


 両手足はカーテンのタッセルで縛ったうえに、魔法を使えないように「魔法で魔法を封印した」とセイヤーは言っていた。


「この子、このままにしておいていいの?」


 コウガは言いながらアッシュヘッドのひらひらしたスカートの裾をつまみ上げた。


「おい」


 ジューンは顔をする。前後不覚な女子にエロいことをするのは、彼の倫理観と正義感が許さないのだ。


 かつても、飲み屋によくいた『酔わせた女と』と自慢するような「ちょい悪サラリーマン」には吐き気がしていた。翌朝目覚めた女性の心境を思うと許せない気分だし、そもそも酩酊した女性を襲うなど日本男子にあるまじき非道だと思ってしまう。ジューンはそれほどに正義感と倫理観がある男なのだ。


「違う違う。パンツ見たいんじゃなくて。ほら、これ」


 正義感と倫理観が希薄そうに見えるコウガは、女の足元を指差した。


「そ、そのハイヒールが何だね………」


 セイヤーは一瞥しただけで目をそらす。前後不覚な女性の生足を凝視するというのは、なにか背徳的で恥ずかしかったのだ。


「ちゃんと見てよこのガラスの靴! わかる? 薄青色のドレス! ばらまいた豆! ネズミ! あとかぼちゃの馬車でも出てきたら完璧にでしょうが!」


灰かぶり姫シンデレラだと言いたいのか?」


 セイヤーが尋ねる。


 いくら興味のないことには手を付けないセイヤーでも、シンデレラくらいは知っている。


 コウガは胸を張った。


「そう! こいつは童話のシンデレラに違いない! 邪妖精アンシーリーコートがシンデレラのモノマネをしていたのか、それともシンデレラが邪妖精アンシーリーコートなのかわからないけど、こうなるとシンデレラなのか、が重要だよね! グリム兄弟かシャルル・ペローの作品が日本では知られてるけどさ、より古いのはジャンバッティスタ・バジーレの五日物語ペンタメローネに採録された話だよね! ふふん、実は日本にも落窪物語という類似した話があったり、中国にも楊貴妃がモデルと言われている掃灰娘という話があるんだけど知ってた?」


 すらすらとコウガが自分の知識をひけらかすと、ジューンは「コートうんぬんの次はシンデレラかよ」と天を仰いだ。


 おっさんとは、見知った知識をひけらかさないと気が済まない人種なのだ。


 そんな風だから、オッサン同士でつるんでもロクな会話にならない。自分の知識をひけらかすために若人と絡みたがるものなのだ。


 ある意味自己承認欲求の塊であると言ってもいいだろう。


 それにしても、だ。


 さっさのCourtのくだりもそうだったが、ただのパーティー・ピープルだと思っていたコウガが、そんな極端に偏った知識を持っているとは想像していなかった。


「よく知ってるな」


 ジューンが感心したように言うと、コウガは「卒論がこれだったからね!」と自慢気だった。


 大学の卒論に童話………人文学だろうか、とジューンとセイヤーは顔を見合わせたが、実は経済学科で「なんでこれをテーマにしたし」と突き返されたことまでは言わないコウガであった。


「どのシンデレラであっても、どうでもいいんじゃないか? それよりどうする? 起こすのか、そのままにしておくのか」


「………」

「………」


 セイヤーに促され、ジューンとコウガは同時に結論を出した。











「なにこれ、おかしくない!? これって紐で縛られるだけじゃないわよね!? 魔法で束縛してるの!? 魔法も使えないし、なによこれ!!」


 ジューンにおんぶされたアッシュヘッドは、顔を真赤にして唯一自由になる口を忙しなく動かした。


 耳元でぎゃあぎゃあ喚かれて辟易としているジューンを見て、セイヤーは「永久にしゃべれない魔法でも掛けておこうか?」と尋ねたが、苦笑と首の横振りで返事された。


「それは可愛そうだろう。それにこの子に道案内をさせようという案だったわけだし………」


「ちょっとどこさわってんのよおっさん! お尻さわらないでよ! 私のおっぱいをわざと背中に押し付けて愉しんでるんでしょ! ヘンタイ!!」


「やっぱり黙らせてくれ」


 ジューンが真面目な顔で前言撤回したのがおかしくなってセイヤーは「ぶっ」と吹き出してしまった。


 邪妖精とおっさん三人は魔王城の地下を進み、ずいぶんと拾い空間に出た。


「この先が城に続く階段だけど、残念だけどあんたたちには行けないわよ。だってここにいるのは………」


 アッシュヘッドが我が事のように自信満々で言う。


「ほー」

「ほう」

「へー」


 三人三様の声が漏れる。


 広場のど真ん中には金色の楕円形をした円盤が、なにに支えられることもなく起立している。


 その縁に描かれた装飾の見事なこと。そして、黄金の輝きが鏡のように澄んでいて、驚嘆するほど美しいこと………三人はそれに目を奪われたのだ。


「ふふふ、私の口を自由にしていたのがあなた達の敗北よ!」


 アッシュヘッドは鏡を睨みつけながら声高々に言い放った。


「鏡よ鏡! この世で最も美しい四天王は誰!」

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