第13話 コウガは商売の仕方を見ていた?

 ジルは物販には興味が無いのか、冒険者ギルドの壁際に置いてある長椅子を一人で占拠し、スカートの下から黒尻尾を伸ばして「毛づくろい」のような真似をしていた。


 めくれたスカートから伸びる白く長い足、肉付きのいい太もも、見えそうで見えない足の付根、黒尻尾を抱き寄せてペロペロと舌先で愛撫する仕草、艶めかしい眼差し────当人にその気がなくても、この場にいた男すべてが「エロい」と感じる仕草だった。


 あれが畏怖の対象たるブラックドラゴンでなければ、いくらでも言い寄るところだろうが、冒険者の男たちも命が惜しいので、遠巻きで見ているしかなかった。


 そんな連中を横目に、ツーフォーはカウンターに「売る品々」を並べた。


「これは………鑑定いたします」


 受付嬢は手の先に小さな魔法陣を生み出した。


「こちらはバンダースッチの毛皮ですね。傷もなく、毛並みも良い………1枚大銀貨5枚でいかがでしょうか」


「これは驚きです」


 ツーフォーは死んだ鶏でもこんな目はしないと思えるほど、命の消えかけた眼差しで受付嬢を見た。


「そんな交渉をされるのであれば一切お売りできません。あまりにも相場から外れすぎでしょう?」


「これは失礼しました。では1枚大銀貨8枚で」


「枚数を見て言ってください。50枚ですよ? これだけの量をまとめて買い取るのであれば、1枚大銀貨10枚、全部で大銀貨500枚、もしくは金貨50枚が相場です。更に言うと、この品質を良しとするのであれば、もっと色を付けてもらいたいところです。市場で売れば1枚で金貨1枚以上の値がつく代物ですよ? ギルドで売ることに意味が無いのであれば、自分たちで捌きます」


「我々冒険者ギルドも営利団体ですから、値段交渉はさせてください」


「するのはいいんです。相場から外れすぎていると言っているのです」


 ツーフォーと受付嬢のやり取りを見て、コウガはなるほど、と納得していた。


 喧嘩しているのではない。お互いに冷静沈着だ。


 この世界では値札通りに買い物をする必要はないのだ。むしろ、値札を見た後の交渉こそが買い物の醍醐味と言えるのだろう。


 ツーフォーはエフェメラたちの隔離された村で、行商人と売買の交渉をしてきたので、こういったことは得意なのだ。


「わかりました。では金貨60枚ですべて買い取ります」

「売ります」


 なんだかんだと10分ほど言い合って、やっと毛皮が売れた。


 水晶洞窟でツーフォーからこの世の常識をある程度仕入れていたコウガは、金銭感覚について思い起こしてみた。


 一般的な庶民の4人家族が一年間生活するのに必要な生活費は、大銀貨300枚から500枚とされている。


 もちろんそれ以下でも暮らしていけるだろうし、それ以上もらっている庶民もたくさんいる。あくまで平均値の話だ。


 これを日本人の感覚に置き直すのであれば、年収300万円から500万円というところだろう。多少強引だが、そうでもしないと頭のなかで貨幣価値が整理できない。


 そうすると大銀貨1枚が1万円と換算できる。


 貨幣は10枚毎に上位貨幣と同等になるので、今の商取引であれば金貨60枚=大銀貨600枚。つまり600万円の儲けということになる。


 下手なサラリーマンの年収以上の金が動いた。


 それだけあれば宿代と衣装代を出しても余りある。


 コウガは安堵した。


 おっさんは生活が安定していないと、常に安心できないでうつ病になったり情緒不安定になる生き物なのだが、そこに至る前に生活は安定したようだ。


「次は……ジャッバー・ウォックの牙ですか! すごい貴重品ですね……24個ですか………一つ金貨5枚でいかがでしょうか」

「わかりました」


 金貨120枚=大銀貨1200枚=1200万円。


 ちょっとした大金にコウガはあんぐりとなった。


『なに? この世界の物価めちゃくちゃ高いの? 1万円じゃ水も飲めないとかいう世界じゃないよね?』


「次は、おお、これは凄い魔石です。小さいのに魔力含有量が大魔石以上も……これは………ケルベロスの魔石!?」


「ええ。近場にうろうろしておりましたので」


「こ、これは………」


 受付嬢は苦悶するような顔をした。


「私の権限では1つの魔石に大金貨5枚までしか出せません。全部で大金貨30枚、つまりは白金貨3枚でいかがでしょうか?」


「わかりました。本当ならもっと頂きたいところですが、私達もはやく文無しから脱出したいので、それで結構です」


 コウガは「ん?」と眉を寄せた。


 白金貨3枚=大金貨30枚=金貨300枚=大銀貨3000枚=3000万円!


 大金だ!


「そしてコウガ様の残されましたこの古文書ですが」


「古文書!?」


 アルファベットを殴り書きしたそれはパピルス紙みたいなものを、受付嬢は恭しく手にする。


「このファルヨシの町は非常に小さな町でして、当冒険者ギルドで出せる最高額は金剛貨5枚となります」


「売ります」


 ツーフォーが喜ぶ。コウガはまたしても「ん?」と眉を寄せた。


 金剛貨とは最高位のコインで、国家間の大金のやり取りくらいにしか使われない、庶民には一生関係のないものだ。


 その金剛貨5枚=白金貨50枚=大金貨500枚=金貨5000枚=大銀貨50000枚=5億円!


 大金どころの話ではない。宝くじもびっくりな金額だ。


「それでは精算致します」


 受付嬢がそろばんに似ている計算機の珠を弾いた。


 バンダースッチの毛皮=金貨60枚=大銀貨600枚=600万円。


 ジャッバー・ウォックの牙=金貨120枚=大銀貨1200枚=1200万円。


 ケルベロスの魔石=白金貨3枚=大金貨30枚=金貨300枚=大銀貨3000枚=3000万円!


 コウガの落書きアルファベット=金剛貨5枚=白金貨50枚=大金貨500枚=金貨5000枚=大銀貨50000枚=5億円!!


 トータル5億4800万円!!!


「す、すげぇ、あんな大金の取引始めてみた」


「売ってる品見たかよ!? あんな化物どうやって狩るんだよ!」


「さっきチラッと聞いたがあいつら冒険者ランクがB、C、Dらしいぜ」


「誰がBだっ!?」


「そりゃあそこのドラゴンにきまってらぁな」


「くっ、エロいな、あのドラゴン」


「関わるな! 殺気だけで俺たちゃ死んでしまう!」


「ランクCはあの魔女でDがあの小男か」


「くっ、小男だと思って油断していたが、ランクDって相当なもんじゃねぇかよ!」


 ランクDは領主のお抱えの騎士クラス。


 ランクCは国の近衛騎士団クラス。


 ランクBは相当な実績を世に知らしめた者達ばかりというクラス。


 最下限のランクGからスタートした冒険者たちがいくら頑張っても、ほんの一握りしかなれないのが、ランクDから先だと言われているのだ。


「ではお支払ですが………金剛貨5枚、白金貨3枚、大金貨18枚でよろしいでしょうか?」


 5億超えの大金もコインにするとたったの26枚だ。


「いえ、大銀貨でお願いします」


「交換手数料が1割………いえ、今回はギルドがサービス致します。すべて大銀貨であれば5万4800枚ですが………持てますか?」


「………大銀貨って一枚の重さどれくらい?」


 コウガが聞くと25グラムと返ってきた。


 5万4800枚✕25グラム=1370000グラム=1.37トン。


「持てるか! 1トン越えてるじゃないか!!」


「ですがコウガちゃん。大銀貨以上の貨幣は普通の生活では使わないのですよ」


「うん、ツーフォー。普通の生活で5億円とか使わないよね? 金剛貨が1枚1億円だとして、それ、使い所がないから大銀貨にする必要がないと思うんだよね? 白金貨も1枚1000万円だから同じく使わない。使わないものを大量に持ち歩くのは愚策だよ!? 僕達に必要な額面だけは大銀貨にして、あとはできるだけ持ち運びやすいものにしておこうよ、ね!?」


 いつもどおり、一気にまくし立てるコウガに、ツーフォーは頷いた。


「あとで貨幣交換する場合、手数料で1割り取られてしまいますがよろしいですか? 繰り返しますが普段使えるのは大銀貨までです。それ以上の貨幣は店から釣り銭がないからと断られるのがオチです」


「十分でしょ」


「わかりました。それでは、申し訳ありませんが、金剛貨5枚と白金貨3枚はそのままに。大金貨18枚は大銀貨1800枚でお願いします」


 それでも大銀貨だけで45キログラムある。相当な重さだ。


「1800万円あれば豪遊できるなぁ」


 コウガはとりあえず宿の部屋グレードを上げてもらおうと思った。

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