第6話 コウガはドラゴンと?

 ドラゴンはコウガを見ている。


 爬虫類の無機質で無感情な眼差しが、まっすぐコウガを射抜く。


『蛇に睨まれたカエルってこういうことか』


 コウガは我が身を以てその言葉の意味を感じた。


 恐怖のあまりに動けない。


 少しでも────指先一つどころか、髪の毛の先が僅かにでも動けば────瞬きでもしようものなら────鳥肌が立った瞬間にでも、ドラゴンは飛びかかってきそうだった。


 その恐怖たるや、肉体的に死ぬことが怖いとかいう次元を超えて「魂が破裂しそうなほどの怖さ」だった。


 これがライオンやトラに襲われそうだったとしても、ここまでの恐怖は感じないし、テロリストに捕まって斬首されそうになっていたとしても「さっさと殺せ!」というだけの度胸はある。


 だが、今は違う。


 コウガは今の今まで何の根拠もなく「人間が生命の中では一番上」だと思ってきたが、あきらかに自分より強く、何をどうしても勝てる気がしない存在を目の当たりにして、死よりも怖いものを感じ取っていた。


 そんな「死よりも怖い」黒い岩のようなドラゴンは、ジッとコウガを見ていたが、眼だけ動かしてツーフォーの存在も確認した。


 ツーフォーはへたり込むようにその場に尻餅をつく。


 彼女ほどの腕前があっても、ドラゴンは別格の相手なのだろう。


子ネズミ共シハリ・レミクを集めたのはそなたらか』


 耳ではなく、頭の真ん中に直接声が聞こえてくるような不快感に、コウガは目を細めた。


 ドラゴンの口は動いていない。半開きでいつでもコウガをひと噛みできるくらい開いている。だが、ドラゴンのセリフ以外に考えられない。


 音もなく、振動もなく、ドラゴンの巨体の全貌が目の前に現れた。


 木々を倒すことなく器用に現れたそれは、全長15メートル………一般的なマンションの5階分相当の大きさがあった。


 全身が黒い岩で出来た………いや、夜空の星明かりを受けて宝石のように輝いているそれは、前足の爪一つですらコウガよりも太く、長い。


『すまんことをしたのぅ』


 ドラゴンは少し頭を下げたように見えた。


『そなたらの獲物であったとは知らずに仕留めてしもうた。他意はない。許せ』


「ぼ、僕達も食べる?」


 許すも何も、とにかくコウガは自分の身の安全を確保したかった。


『食わぬよ。人間を襲えばどうなるか知らぬ歳でもないわい』


「ど、どうなるんです」


『人は弱い。弱いが数がある。夥しい数で我を攻めたて、いずれ我は殺されてしまうじゃろうな。その前に何万という人間も死ぬじゃろうが………』


「平和的にいきましょ!」


『うむ、我もそれを望む』


 ドラゴンは座り直す。犬が「待て」とされているようなポーズで、尻尾を自分の足元に回して「敵意はない」と見せてくれているようだった。


「そうだ。お礼を言ってませんでした! 大変助かりました。僕たちはアレに襲われかけていたので」


『なんと。では彼奴きゃつらをわれが平らげてもよかったと申すか』


「そりゃもう、どうぞどうぞ………」


『それは惜しいことをした。我は古きブラックドラゴン。『魔法の神』と名高い『ツィルニトラ』の孫である────ところでそなた、異世界人ではないか?』


「!」


 コウガはびっくりしてツーフォーを見た。「そうです」と肯定していいものか迷ったから指示を仰ぎたかったのだ。


 だが、ツーフォーは唇を震わせ、目の焦点が合っていない状態でドラゴンを見るばかりだ。完全に恐怖に食われていた。


 コウガにとっては「現実感のない存在」だからこそ、恐怖はしてもドラゴンと対話できたが、ツーフォーにとって、いや、この世界の人間にとってドラゴンとは「最強の捕食者」「全生命体の頂点」「魔族ですら恐れる相手」なのだ。


 その鱗は剣や弓矢などでは傷一つ付かず、魔法も無効化されてしまう。


 ドラゴンの攻撃力があれば人間などアリのように潰せるし、ドラゴンが放つ魔法は人間の数倍の威力を有する。なによりドラゴンの口から放たれるブレスは、王城を一瞬にして融解させてしまうと言われている。


 滅多に人間と接触することはない存在だが、ひとたび人の世に降り立てば一匹で一国が滅ぶ。その証拠がかつて西にあった大国「ジャファリ連合国」だ。


 今は魔王領の一部になっているが、100年ほど前そこにあった連合国家は、ドラゴンに襲撃されて一夜にして消滅したと数多くの伝承に残されている。


『どうなのか。そなたは異世界人ではないのか?』


「はい、異世界人です。日本という………」


『おお! 今から100年も前ではあるが、我が友も異世界人であったぞ』


「マジですか! その人、まだいますか!?」


『こちらに来た時、やつはすでに40歳をすぎておったからな。とっくに死んでおるわい。異世界の人間もこの世界の人間同様に寿命は100年と保たぬようじゃ』


「そっすか。残念です………」


 先代がいればいろいろ「勇者」について聞けると思ったのだ。


『おっと。話し込んでしまったな。それにしても、そなたら、このような夜更けにどこに行こうというのだ』


「あ、はい。実は────」


 コウガはできるだけ要点だけまとめてドラゴンに伝えた。


 無茶苦茶な方法で召喚されたこと。ツーフォーの一族はそのせいでみんな死んだこと。王国に復讐するためにも、逃げ回ってやろうと思っていること。そして逃げる真っ最中であること………。


 お伽噺に出てくるドラゴンはすべて「悪」だが、ファンタジー映画に出てくるドラゴンの中には良いものもいる。この黒い見た目と顔が怖いドラゴンは、見た目に反して「話が通じる良いやつ」に見えたので、コウガとしては事情を話して「協力」してもらいたいと思っていた。


「────というわけです」


『なるほど』


「で、ドラゴンさん。僕に、いや、僕達に協力してくれませんか?」


とな。ふむ。なにを我に望むつもりじゃ?』


「えーと、ここから人目につかないように遠くに移動させて欲し………」


『それでいいのか?』


 ドラゴンはズイッと顔を近づけてきた。でかい、怖い、ごつい顔だ。


『我に頼って馬車扱いするだけでよいのか? もちろんすぐにでもして、どこの国なりとも連れて行こう。だが、本当にそれが望みか?』


「え………」


『そなたの話からすると、逃げるのが目的ではなかろう? この矮小な王国を困らせる、あるいはことが目的なのではないか?』


「え、やってくれるんですか?」


『我がやるのではない、やるとしたら、それはそなたらじゃ。我はそれにすることはできる。あくまでも協力じゃ』


「心強いです」


 苦あれば楽あり。


 ほんのちょっとの切り傷一つの「苦」で、かなり大物の「楽」が釣れたようだ。


 コウガは黒いドラゴンの人差し指と握手を交わした。


『ところで』


 黒いドラゴンは握手しながら、なにか企んでいたかのような悪い笑みを浮かべた。


『対価が決まっておらぬ。さすがに人間相手にタダ働きしてやるほど甘くはないぞ』


「あ………えーと、王国を滅ぼしたら王家の金銀財宝を差し出すとか……?」


『我は黒いがカラスではない。光り物を集める趣味はないぞ。あぁ、もちろんそういう趣味のドラゴンもいるが、我は違う』


「じゃあ、餌として人間を毎日300人差し出せとか……?」


『人間は食う部分が少ないし、旨くはない』


「あ、食ったことはあるんですね………。じゃあ、なにが欲しいんですか?」


『我もそろそろ1800歳となり、人間で言うところの結婚適齢期でのぉ』


「ドラゴンの相方探しですか! 任せてください。こう見えても僕はキューピットのコウガ君と言われくらい、合コンカップル成立率の高い男ですから!」


『よくわからんが、そうか。ではよろしく頼むぞ旦那様』


「ええ、まかせてく────ん?」


『前の異世界から来た勇者と友であった頃、我はまだ1700歳の子供でな。今となっては惜しいことをしたと悔やみ続けておった所じゃ。友ではなく夫婦であればよかったのに、と』


「い、いやぁ、ちょっとどうかなぁ。種族格差的な、ほら、体格とか性別とか、なんかいろいろと………」


『体格と性別なら問題ない』


 黒いドラゴンは黒い光に包まれ、一糸まとわぬ黒髪長髪の美女を生み出した。


 体の要所要所に黒曜石の鱗が残っているが、大きな胸、くびれた腰、すらりと伸びる足………ここまでは、人間の若い女にしか見えない。だが、背中にある黒い被膜の翼と、足元に伸びている黒い鱗の尻尾が「人間ではない」ことを記している。


「え………え………?」


 コウガはドラゴンがこの女性に化けたのだ、と頭の中では理解できていたが、理性がそれを否定していた。


「我がブラックドラゴン族の血統魔法、人化の魔法じゃ。人の歳で言えば我は18歳というところかの」


 身長は180もあるだろう。なんせ翼と尻尾というオプションのおかげで全体が大きく見えるし、胸の大きさもツーフォーに負けじ劣らず、相当な破壊力があるボリュームだった。


 だが、顔つきはまだ幼さが残っている。


 確かに人間で言えば18歳というところだろう。


「女だったのかー!?」


 呪縛が解けたようにツーフォーが叫んだ。


 コウガも喋り方から相当なジジイだとばかり思っていたドラゴンが、こんなに若い女だったとは思ってもみなかった。それよりなにより、人の姿に成れるとも想像していなかったので、唖然となって次の句が出てこない。


「対価はそなたとの結婚。どうじゃ。人間にとっては良い体のメスに見えるはずじゃが?」


「どうじゃ、じゃないです! やめてください! コウガちゃんは私のものです!」


 ツーフォーがコウガを抱き寄せて、胸を顔に押し付けてくる。


「ほうほう。メスの男争いか。ドラゴン族でもよくあるぞ。よいよい、こういうことがしたかったのじゃ」


 ドラゴンも負けじとコウガの腕を引っ張った。


「セイシュンじゃのぅ」


「やめてください! コウガちゃんは私のものです!」


 二人の美女に両腕を引っ張られ、コウガは「これがモテモテってやつか」と少しご満悦だったが、腕を引く力に加減がなくなってきたので青ざめてきた。


「あのそろそろ………」


「私の!」

「我の!」


 ゴキッという音共にコウガの腕は肩から外れ、激痛による絶叫が夜にこだました。

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