第5話 コウガは旅立つ?

 ツーフォーは小刀で自分の髪を削ぎ落とした。


 真っすぐ伸びた綺麗な黒髪は儚く岩床に落ちていく。


「ち、ちょっと!」


「ご安心ください。髪型を変えて少しでもエフェメラの女であることを誤魔化すためです」


「え」


「コウガ様がどうしても外に出たいと仰るので、私も同伴する身として、できるだけ正体がバレないように、こうしている次第です」


 髪は女の命────という価値観は日本人の自分だけなのだろうか、とコウガは何も言わなかった。


「私達は流浪の姉弟きょうだいという設定で、首都から離れる方角へと旅いたしましょう」


「なるほど。兄妹きょうだいね」


「はい。できればどこかで冒険者ギルドに登録して、旅費を稼ぎましょう。とりあえずこのあたりにいた魔物の牙や毛皮はすぐに売れると思いましたので、こちらに取ってあります」


「おお、手際いいねツーフォー」


「はい。お任せくださいコウガ様。あ、これからは姉弟なので言い方を変えなければなりませんね………」


「うん、そうだね」


「では────弟よ」


「………ちょっとまって?」


 コウガは目頭を抑えた。


「どう考えても僕のほうが年上だよね? この世界での18歳は40年以上生きてるなんてことはないよね? 計算おかしくなるよね? いい? よく聞いてよ? 僕は40過ぎたおっさんだよ! そんでもってツーフォーは18歳だよね? おかしくない? おかしいよね? 僕が弟なわけないよね? 身長が低いだけで顔は、ほら、大人の男だよ? ぶっちゃけるとおっさんだよ? 弟って言われたらみんなドン引きだよ。ありえないって顔されるからね。それに────」


「弟よ、うざい」


 ツーフォーの手刀は綺麗に黄河の首筋に決まり、問答無用で白目を剥かされた。











「会話してるだけで僕が昏倒するような手刀打ち込むのやめて? 言えばわかるからね?」


「申し訳ございません。この手が勝手に」


 ツーフォーは手刀を放った右手を、自分の左手でペシペシ叩いてみせた。


「とにかく、コウガ様を弟とするのは見た目の問題です。コウガ様の背丈とお顔立ちは子供のようですし………あっ」


「あ?」


「そういう小柄な種族がいると聞いたことがあります。コロボックル族と言う小人が大体身長80センチから100センチだとか………」


「いやいや、160センチあるからね!兄妹で種族違うとかないでしょ!? ツーフォーは絶対その小人族じゃないよね!?」


「はい。175センチございます」


「………」


 この国の単位は、センチ、メートル、キロ……、グラム、キログラム……あまりにも単位が日本と同じなので、それを聞いた時コウガは「はぁ?」と眉をひそめたものだ。


 しかしこれらの単位が全て、昔召喚された「勇者」によってもたらされたと聞き、その勇者も日本人だったんだろうな、と納得することが出来たし、近代日本人なんだろうと予想もできた。


「コロボックル族じゃなくてツーフォーと同じ人間ってことでいいよね。あと、僕が兄だからね。随分年の離れた兄妹だけど」


「わかりました。兄者」


「兄者って………なんか一子相伝の拳法家一族みたいな感じがするから、もっと砕けた言い方はないの?」


「申し訳ございません。エフェメラの一族には男子が生まれないもので………」


「じゃあさ、にいちゃん、と呼んでくれ」


にいちゃん」


「そう。コウガにいちゃん、だ」


「コウガちゃん」


「おい、にいが抜けたぞ!?」


「コウガちゃん……ああ、なんて甘美な響き……下腹に響くこの安堵感……今すぐに抱きしめて頭の匂いを嗅ぎたくなる至福の呼び方です」


「それ、加齢臭だからやめて?」


「コウガちゃんの匂い、すべてが好きです。どこの部位のどんな匂いでも嗅げば安心します………特に足の親指と人差指の間なんて、嗅いだだけで意識が飛びそうになります」


「それ強烈に臭いから意識飛んでるって意味だよね? そうじゃないとしたら、いよいよ変態っぷりに拍車かかってることになるよ? 大丈夫?」


 この世界の人間が全てツーフォーのような、コウガからすると「メンタルのケアが必要だと思われる人」だとしたら、かなり生きにくい世界だな、と溜息がこぼれた。











 エフェメラの洞窟を出たのは、深夜だった。


 人目をできるだけ避けるためなのだが、この洞窟自体が秘境にあるので人と遭遇することはまずない、とツーフォーは言った。


 なんせ街道まで直線距離で20キロはあるらしいし、魑魅魍魎や野盗が跳梁跋扈する夜中に移動する阿呆な旅人もいないらしい。


 だが、そんな時間帯に移動する危険を冒さなくてはならない。


 まるで自分が悪いことでもしているような気分だが、コウガ自身は「勝手に異世界に召喚されてしまった被害者」である。


 その被害者は、夜空を見上げて感嘆の声を漏らした。


 満天の星空が織りなすほのかなまばゆさに感動したのだ。


 日本の都会でこんな星空を見ることはまず、ないと断言できる。


 しかし、それだけに夜の闇が深いことを表している。星明りがなければ、伸ばした手の先すら見えない真の闇夜というやつだ。


「コウガちゃん、足元に気をつけて」


「あぁ、その呼び方はもう確定なのね」


 諦め半分でツーフォーに手を引かれ、岩場を抜ける。


 秘境と言うだけあって、とても人が立ち入れそうにない断崖や歩きにくい岩場だらけだが、ツーフォーは慣れた風に足場の良い場所を移動していく。


 コウガは着いていくのに必死だ。


 昔から小柄な体躯を活かして「身軽」と評されていたコウガであったが、40代の体力低下の呪いからは逃れることが出来ず、ちょっと岩場を越えるだけでもヒィヒィと息を切らせた。


 世の中にはおっさんになってもジムに行って体を鍛えたり、ランニングしている人もいたが、コウガからすると「そんなゆとりはない!」だった。


 ジムに通うだけの給金はもらっていたが、繁忙期はかなり多忙になりジムに通う精神的なゆとりはなくなるし、かと言って定時に帰れる時期は今までの鬱憤を晴らすように飲み歩くことで忙しい。


 ────そんな言い訳をしながら、運動を避けて通ってきた結果がこれである。


 小柄な体型で下っ腹に肉がつくとガキみたいな体型になるんだな、と自分の全裸姿を鏡で見た時、唖然としたし、運動しなきゃいけないんだよなぁとも思ったが、しなかった。


「キュイ!」


 甲高い鳴き声がした瞬間、ツーフォーは足を止めた。


 白くて可愛らしいもふもふのウサギのような動物が、岩場の先から頭を覗かせている。二本足で無理やり立ってこちらを見ている様は、プレーリードッグのようだ。


 だが、可愛らしい容姿とは裏腹に、そのデカさはコウガ並にある。


「キュイキュイ!!」


 岩場からさらに多くの顔が伸びてくる。


「コウガちゃん………逃げましょう。ここは彼らの縄張りです」


「ありゃなんて動物だい?」


「シハリ・レミクです。オス1匹にメス数匹という一夫多妻でなわばりを持っています。他の雄が来ると威嚇してきますし、下手をするとキスされます」


「あらやだ、かわいい」


「奴らは黒死病や野兎病などの感染症を媒介しています。キスなどされたら一発です」


「あらやだ、かわいくない」


 そのシハリ・レミクたちがサササと音を立てて集まってくる。


「まずいです、コウガちゃん………囲まれました」


「………マジで?」


「あぶない!!」


 一匹が飛びかかってきた。


 それはコウガ並みの巨体からは想像もできない速さで、必死に避けたが通り過ぎ際に振られた爪は、コウガの足を掠めていた。


 スウェットのズボンが裂けて血が滲む。


 掠めただけだというのに皮膚は薄皮一枚切れていた。


 まさかこれで感染してしまうのか────コウガは青ざめた。


 野兎病は未治療で3割以上が死亡する。適切な治療が行われるならほとんど完治する病気だ。


 黒死病は皮膚のあちこちに出血斑ができ、壊死を起こした体が黒いあざだらけになって死亡する。14世紀の大流行では、世界人口を1億人も削った恐ろしい病だ。


 どちらも、この世界の医学水準では完治が期待できない。


「は、はは。これで僕、死ぬのが確定か」


「冗談はよしてください。その程度の傷で!」


「あいつら病気持ってるんでしょ!? 絶対感染してるから!」


 小指の先にちょっと傷が入って血の珠が浮かんだだけで、死ぬほどの大怪我のように喚くのがおっさんである。


 大体にして、男は女性より血や怪我に弱い。


 若い頃は毎日生傷が絶えない遊びをしていたのでどうということはなかったが、物心がついてしまうと傷や血から縁遠くなるからだ。


 痛い、もう歩けない。てか、死ぬ、とブツブツ言いながらうずくまる情けないおっさんを目の当たりにして、ツーフォーは場違いなを浮かべていた。


『ああ、コウガちゃんコウガちゃんコウガちゃん! 私がいないと生きていけないかわいそうな勇者様! なんていじらしくて愛らしくて可愛らしいのでしょう!!』


「安心してください。白魔法で治癒できます! 少し大きな街に行けば治癒屋が必ずありますから!」


「マジ!? よかった!」


 少年のように満面の笑みを浮かべるコウガだったが、状況は全く好転していない。


 彼らを囲む魔獣の群れは、包囲網を狭めている。


「こうなったら一点突破を────」


 ツーフォーが小刀を構えた時、


「キュイ!」


 先程と違い悲鳴のような鳴き声だった。


 他のシハリ・レミクたちは一斉に立ち上がり、同じ方向を見る。


 コウガとツーフォーもその方向を見る。


 黒曜石のような顔が、一匹のシハリ・レミクを咥え、軽く噛み潰していた。


 いつからそこにいたのか全く気が付かなかった。


 シハリ・レミクたちが一斉に逃げていく。


 顔だけでコウガの倍以上ある黒い大岩は、今し方咀嚼した獲物をごくんと嚥下し、長い舌を伸ばした。


 それはコウガのイメージで言えば「ドラゴン」という生き物に最も近い。


 坊やが電電太鼓を持ってまたがっていそうな東洋風の「龍」ではなく、二足歩行して翼も持つ西洋風の「竜」の方だ。


 ドラゴンを見た瞬間、今まで気丈に振る舞っていたツーフォーが硬直してしまった。


 そのドラゴンは、なにを思ったのか分からないが、鼓膜が震えるほどの咆哮をあげた。それはまるで、新たな獲物を見つけて嬉しがるようにも聞こえた。


 一難去ってまた一難。


 しかも、さっきの比ではない難事が嬉しそうにやってきた。


「全然幸運じゃない」


 コウガは星空を仰ぎ見て、40数年の人生の終焉を感じた。

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