第19話 セイヤーは他人を褒めた。

「!」


 セイヤーは魔力で強化した拳で巨大な岩石を殴りつけた。


 その様子を見ていた全員がセイヤーの拳の速さに目が付いていかず、いつ殴ったのか気が付かなかった。


 だが、岩石がパアッと粉のように宙に舞っていったのを見て、顔面蒼白になる。


 岩を削るとか刳り貫くとか爆発させるとか、そういう次元ではなく分子結合まで砕いてしまったのだ。


「勇者にビンタされたら、あなたの顔、一瞬でああなるわよ」


 エーヴァ王女に言われ、エカテリーナは力強く何度も頷いた。


「け、けど王女様。勇者と、その、夜の営みをしたら腰を振るだけであの岩みたいなことになるんじゃ………」


「………」


「………」


 王女と侍女が顔を見合わせて血の気を引かせている間、セイヤーはヒルデと七戦士に「どうだ?」と訪ねていた。


「どうもこうもぉ~」


 口調は戻っているが、ヒルデの褐色の顔からも血の気が引いている。七戦士も同様で、何人かはあまりの光景に失禁している。


「これあんまりじゃないですかぁ~? 戦力差ありすぎですよぉ~!」


 ヒルデは空に向かって叫んだ。


「誰に向かって言ってるのか知らないが、では私の力なら魔王も余裕か」


「そうですよぅ~………あのぉ、勇者様ぁ~」


「?」


「貴方様方にとっては怨敵でありましょうが、我が君主でございます。どうか苦しめずに、一瞬でおねがいします」


 突然真面目な口調になるからヒルデとは会話しにくい。


「善処する」


 セイヤーは白い外套を亜空間にしまい込み、そのあたりに展開していた野営セットも収納するため、ヒルデ達の前から離れた。


 離れながらもヒルデ達がどんな会話をするのか確認するために、魔法で聞き耳は立てておく。


 セイヤーが離れてしばらくすると、七戦士の女ダークエルフ達は、ほっと安堵の息を吐いて、小さな声で会話を始めた。


「………我々は助かったのか」

「助かったというか、私達が戦闘を放棄した時点で、魔王軍を裏切っている気がするんだけど」

「私たちは魔族ではないし、魔王軍の中でも従属扱いだったわけだし、いいんじゃないか?」

「そうだ。魔王軍に従ってここで一族全滅するつもりはないぞ」

「ダークエルフ族の生き残る方法は………隷属でもいいから勇者に媚びて命を拾うしかあるまい」

「肉奴隷、性奴隷……いろんな人間たちの慰み者にされるのか」

「戦士の死に方じゃないね………」


 七戦士は沈痛な表情になった。


「あなたたち~、生きてこそよ~」


 ヒルデは部下たちに微笑みかけた。少しでも部下の不安を取り除こうとする精一杯の笑みだが、魔王軍の将軍に待っているのは死以外にないだろう。


「………しかしヒルデ様。過去、人間に捕まった魔王軍の者たちがどうなったのか………ダークエルフの女も酷い目にあったと

「あぁ! 想像もしたくない話だ!」

「そうだ。想像したくない仕打ちを受けることは間違いない

「私達は体が人間より頑丈だ。だから、死ぬほど酷い陵辱を受けてもなかなか死ねず、苦しみ続ける

「性奴隷など良い方よ。歪んだ性癖の人間の元に送られて愉しみのために拷問され、体をずたずたにされることだって………」

「そ、そうなのか? 人間とはなんて恐ろしい生き物なのだ」

「そういうよ」


 すべて噂話だ。


 実は人間側からも「魔族は酷いことをする」と、今の会話同様のことを言われている。


 だから人間は「魔族のような酷いことはせず、正道を歩むことこそが人の道」という考え方が、ほぼすべての国家の倫理観として存在している。


 同じように、魔族も「人間のような悍ましい真似をして品位を下げてはならぬ」という風潮があり、両軍ともに捕まったとしても「ひどいことにはならない」のだ。


 だが、普段からまったく意思疎通しない間柄で戦争が勃発した結果、こういう噂だけが独り歩きすることになったのだ。


 セイヤーは七戦士の小声を耳に入れながら、元いた世界のことを考えた。


 世界の何処かで必ず起こっている、人類史上止まったことがない戦争。その最中、現代であっても行われている弱き者達への陵辱行為。


 日本のニュースでは取り上げられない、世界各地で起きている蛮行の数々。


 それに比べてこの世界は、まだ「優しい世界」に思える。


 そもそも魔王領と人間側が戦争しているのは、魔王が『我々優良種なる魔族が人間を支配・管理・運営する』と言い出して攻めてきたことがきっかけらしい。


 本来、魔族は人と敵対しているわけではなかった。徹底的に没交渉だった、というだけだ。


 文化文明的には似たようなものだが、元堕天使という高次元生命体の成れの果てである魔族と人間では、生物としての優劣の差が激しすぎるため、互いに近寄らずにやり過ごすて共存していたのだ。


 そして魔族に対抗できず人間は勇者を呼んだ。


 諸悪の根源は魔王なのだ。


『魔王軍を無視して魔王を倒せば、この戦争は簡単に終わる気がするな』


 セイヤーのいた世界ならトップが倒れても、その権力を巡って内部で争いが起き、いずれは誰かが席を継いで戦争が継続するだろう。だが、この優しい世界ではそうではなさそうだ。


『これで魔王が私と同じ地球から来た転生者で、尚且つ糞野郎であれば殺しても良心は痛まないんだが』


 そのあたりでセイヤーは「ん」と思考を停止させた。


 魔族は元堕天使の成れの果て。


 堕天使がいるということは天使がいるということか?


 成れの果てということは、成れの果てにならなかった堕天使もいるはずだ。


「ヒルデ」


 つかつかと大股で女筋肉将軍の元に行くと、ヒルデは観念したように頭を下げた。


「はい………」


「お前は天使────「え? 私ですか」────!?」


 すべてを言い切る前にヒルデは驚いたように顔を上げた。


「そ、そんなこと……初めて言われ……え、一体どこでどうして……」


 オドオドと顔を高揚させ、筋肉の丸太みたいな太ももを内股気味にクネクネし始めた。


 七戦士はあんぐりと口を開けている。


 エーヴァとエカテリーナは、白目を剥いて七戦士たち同様に口をあけっぴろげている。


 セイヤーも自分が何を間違ったのかわからず困惑し、後ろに続けるべき言葉をかけられなかった。


 これはセイヤーの「人付き合いの悪さゆえの言葉足らず」のせいではない。ヒルデの、七戦士ですら知られざる一面のせいだ。


「わかりました。そこまで私を熱くご所望であれば、このヒルデ、一生涯を貴方様のお側で………」


「待て。誤解が生じた。訂正したい」


「………」


 ヒルデが明らかに残念そうな顔をしたので七戦士は「嘘でしょ」みたいな顔になっていた。


「天使を見たことはあるか、と聞きたかっただけだ」


「ありません~」


 ヒルデは少し怒ったように言った。


「ふむ、では堕天使は?」


「悪魔ですか~。天使と一緒で伝説でしか聞いたことがありません~」


「魔族は堕天使の系譜だと聞いたが」


「私は魔族ではなくダークエルフなのでわかりません~」


 急に態度が素っ気なくなったヒルデに困惑するセイヤーだったが、女心というやつを侮辱してしまったのだろうかと反省した。


「すまないヒルデ。私の言い方が悪かったようだ。異世界人なので作法がわからなくてすまない。なぜ怒っているのか確認したい」


「天使とは美しい物の象徴ですからぁ~。貴方様が私のことを天使と称してくれたのでぇ~、ぬか喜びしてしまったというだけの話ですぅ~」


「そうか。で、あれば君は天使だな」


「!」


「美しいと思うが?」


「!!」


「ちょっと待ってください? セイヤー様? おかしくないですか?」


 エーヴァ王女が割り込んできた。


「なにが、だ」


「そちらの筋肉の塊が美しいのであれば、私はどうなんですか! 異世界ではそういう姿の女性が好まれるのですか!」


「王女は美しいが?」


「さ、さも当然、みたいな言い方ですね!」


「ああ、美しいのは前提デフォルトだったのであえて言う必要もないだろうし、わざわざ口にする機会もなかった」


「そんな♡」


 エーヴァは赤くなる頬を両手で隠した。


「エカテリーナも美人だ」


「え、私に飛び火させるんですか!」


 エカテリーナはブンブンと顔を横に強く振ったが、顔はみるみる真っ赤になっていく。


「ここにいる女性達も誰一人遜色なく美人だ。驚くべきことに、な」


 七戦士にまで飛び火し、全員がボッと顔を赤くする。


 セイヤーはついでに、こちらを見ながら首を傾げている走竜達も「その肌艶と瞳の輝きが美しい」と褒めようと思ったが、言葉が通じそうになかったのでやめた。


『一通り全員褒めたので問題はなくなっただろう』


 そう自己完結させたセイヤーだったが、自分の対人スキルがマイナスのレッドゾーンに突入していると自覚するまで、そう時間はかからなった。

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